覚醒 ~アウェイクニング~

 毒が回り始めて混濁する意識の中、ひかげは己の非力さを呪っていた。動け、立て、走れ、それだけを強く念じながら、視界がグラリと暗転してしまった。


 ――――ドクンッ!


 全てを諦めかけた、その瞬間ときである。

 ひかげは何も見えない真っ暗な世界の中で、自分の手を握る何者かの気配を感じていた。


 ――――力が欲しいの?


 呼びかける声に何も見えずともひかげは瞳を開く。

 暗闇の世界なのだが、目の前に居る誰かの姿が少しずつ鮮明に見えてくる。そんな不思議な感覚を味わっていた。手を握る誰かの姿が認識できるようになったとき、ひかげは思わず息を飲んでしまう。


 ――――どうして力が欲しいの?


 暗闇の中で問いかける誰か、それは紛れもなくであった。まるで鏡を挟んで向かい合っているような自分のような誰か。

 ひかげは繰り返し問われる言葉に、一点の曇りも無い本心からの答えを紡ぎ出す。これが私を突き動かす全てだ、と言わんばかりに。


「――守りたい人がいるの。私はタマちゃんを守りたい! だから、そのための力が欲しい……!!」


 その答えを聞き、優しく微笑んだひかげに似た彼女。

 次の瞬間、暗闇の世界が瞬く間にひび割れていき、隙間から眩い光とアルコール臭が広がっていった。上手く思い出せないが、彼女のことは知っている。ひかげはずっとそばで彼女を知っていた、そんな思いが溢れてくるのだった。

 そして、真っ白な光が身体の中心へと収束していくと、今まで感じたことのないほどの漲る力がひかげの全身を駆け巡っていく!


 ――――ドクンッ!!


 ひかげは目を開き、立ち上がる。致死量の神経毒が巡っていた身体からは高温の蒸気が吹き出ている。すでに穴の空いた右足も綺麗に塞がっており、全力で体内の毒を中和しているようであった。自分の身体の変化を感じつつも、ひかげの心は今、藤原を守る……そのためだけに突き動かされている状態だった。


「ウオオオォォォーーーーーッッッ!!!!!」


 大地を揺るがす咆哮。この瞬間、ひかげは完全に覚醒していた。

 倒れている間にギルタブリル・オブトサソリとの距離が出来てしまったが、今の覚醒ひかげにはそんなものは些末な問題である。ほとばしる闘気を蹴り上げる足に凝縮し、驚異的な爆発力で地面を踏み締めた。

 一歩……僅か一歩である。その無造作に蹴り上げた推進力だけで、ひかげは船へと突進していたサソリに追いついてしまったのだ。そして、その銃弾のようなスピードを殺すことなく狙い済ましたかのように毒針の尾を驚異の握力で掴み、一回転の後、鉄塊のような外骨格の背中から勢いに任せてコンクリートに叩き付けた!


 ドシィィイイイッッッ!!


 巻き上がる粉塵、木々を薙ぎ倒す衝撃波、放射状にひび割れるコンクリート……!

 今、自らに起こったことの理解が追いつかないままサソリは宙を舞うことになり、気付いたときには外骨格の薄い腹部がひっくり返って露出していた。今が好機とばかりに、柔らかな腹の上に降り立つひかげ。そのまま相手が混乱している隙に叩き込むのは残像により無数に増えた拳!

 反撃の機会すら与えないほど超高速のラッシュ! ラッシュ!! ラッシュ!!!

 しかし、サソリも黙ってやられてはいない! 死物狂いで馬鹿でかい重機のような鋏をひかげ目掛けて振り下ろした!

 自らのダメージを犠牲にひかげを殺すための捨て身の攻撃! ――のはずだったが、振り下ろした鋏はいとも容易くひかげの手の平で押さえつけられてしまっていた。そして、飴細工を無邪気に割るかのような手軽さで、驚異的な硬度を持つ巨大な鋏をメキメキと軋ませながら、圧倒的な握力のままにグチャリと握り潰し、無慈悲にも両腕を粉々に粉砕したのだ!


 一瞬のうちに毒針も、巨大な鋏すらも失ったサソリは成すすべもなくジタバタと藻掻いている。その光景を見下ろしながら、ひかげは優雅に懐からスキットルを取り出し中身を一気に飲み干した。焼けるような喉越しの冷たいウイスキーが覚醒ひかげのほとばしる闘気をさらに増大させる。

 その極大の闘気を全て拳へと流し、ズタボロになった外骨格の薄いサソリの腹部目掛けてトドメを刺すために繰り出すのだった。握力と体重とスピードが異次元の練度で噛み合った破壊力限界突破、一撃必殺の掌底を!

「――特大スコルピオ・ウォッカになっていたら、また貴方と戦いたいわ」

 ひかげは髪を掻き上げ、小さく深呼吸をする。すると、今まで空気そのものさえヒリつかせていた闘気がフッ……と霧散し、景観に大きな傷跡を残しながらも島に静寂が戻ってきたのだった。


 そして、藤原を乗せた船が停泊している波止場へと、いつものひかげが歩みを進める。のん気にスープを作っていた船長に藤原の居る船室を訊き、穏やかな寝顔を確認して安堵するひかげ。

「なるほど、この子がタマちゃん。が命を賭して守りたい人……」

 ベッドに腰掛けるとそのまま無防備な唇に指先を沿わせ、寝ている藤原の頬をふわりと撫でる。その感触に「う、うーん」と寝言を漏らす彼女にひかげは人知れず微笑み、静かな船室でぽつりと言葉を零した。

「ひかげの大切は、私にとっても大切。この先、何があっても守らきゃね。それじゃあ、また会いましょう……タマちゃん」

 それだけを言い残すと、ひかげは突然グラリと糸の切れた人形のように脱力してしまった。寝ている藤原に覆い被さるように意識を失ったひかげは、船長がスープを持ってくるまで誰にも邪魔されることなく緩みきった寝顔で大いびきを響かせて爆睡をかましていたようだった。

 そして、その船長が『美しい女性二人が互いを信頼しあって無防備に寝ている』という百合なシチュエーションに人知れずガッツポーズを取っていたのは、穏やかな昼下がりの誰も知らない出来事である。


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