遭遇 ~エンカウント~
すでに連絡が付いていたのだろう。ひかげは特に怪しまれることもなく、職員の人に事務所を通され、来客用の一室で試飲という名のタダ酒を頂こうとした瞬間のことである。
――――ズズゥ……ン。
何処か近いところで何かが倒壊したような爆発したような低音と振動が窓ガラスをビリビリと揺らした。こんな小さな島で爆発事故でも起こったのだろうか。ひかげは研ぎ澄まされた野生の勘ともいうべき危機察知能力を持ち、いち早く窓を開け放って室内から飛び出る。その異常な俊敏性にやや遅れるようにして一緒にいた職員が何かを睨んでいるひかげの元に辿り着き、見つめる先にあるその光景に己の目を疑ってしまうのだった。
「職員さん……私、夢を見ているのでしょうか……?」
「それは極度の酩酊による幻覚では? ……と言いたいですが、どうやらアレは現実のようです」
ひかげが目撃しているのは今まさに事務所の別棟の二階部分を粉砕し、恐ろしい大穴を開けている災厄――40フィートに届くほどの超巨大サソリだったのである!
「あ、あの黄色と茶色のシマ模様……あのフォルム……まさか、どうして沖縄などに……」
「知ってるんですか、あの化け物を!」
「ええ……私の推測が正しければ、きっと中東に生息しているはずのオブトサソリの変異種です! 通称デスストーカーと呼ばれる最強クラスの神経毒を持つ非常に危険な個体で……しかも、最悪なことにあれはバビロニア神話を冠する『ギルタブリル・オブトサソリ』だと思われます! ははは、おしまいだぁ……私たちは食料になってしまうんだぁ……!」
気が触れてしまったのか、職員はへなへなと座り込んで壊れたオモチャのようにただ虚しく笑うばかりだった。
どこから現れたのか知らないが、ひとしきり破壊の限りを尽くしたあと化け物サソリは両腕の鋏を鈍器のように振り回し周囲の木々を薙ぎ倒していく。そして、次の標的を探すように「ギ、ギ、ギ」とざらついた鳴き声を響かせたその瞬間、六本足をバタつかせ猛烈な勢いで疾走し始めた!
ひかげは今までの巨大生物との戦闘経験から即座に身構えるが、何故か化け物サソリはひかげとは違う方向に突進していく。戦闘態勢を解き、サソリの行き先を思案するひかげ。しかし、度重なるストロング系飲料のせいで脳みそが上手く働いていない。それでも、ぼやけた思考の中で辿り着いた答え。あろうことか最悪の未来が眼前に見えてしまうのだった。
ギルタブリル・オブトサソリが突進していく先――そこに停泊しているのは定期便の船である。つまり船内には最愛の友、藤原が何も知らずに船酔いで寝ているのだ……!
そこまで思い至ると、ひかげは助走も無しに一歩目を踏み込んだ瞬間、その場から消えてしまっていた。つかの間の静寂。
残されたのは心の折れた職員と、巻き上がる土煙と、足の形にひび割れたコンクリートだけだった。
***
沖縄の海を愛する船長は、心優しき男である。
船の揺れに慣れてない旅行者のために、せめて少しでも思い出になるように新鮮な海の幸のスープをと、眩しい笑顔で料理していたのだった。空腹を刺激する香りが充満する船内。その素晴らしい香りは扉を抜け、排気口を抜け、船外にまで広がっている。その香りに誘われるようにカモメが船の上を旋回し、藤原の腹の虫が可愛らしく鳴り、猛スピードで接近する化け物サソリの姿があった。
「――せいッ!」
ギルタブリル・オブトサソリの背にひかげ渾身の踵落としが綺麗に振り下ろされる。だがしかし、その感触はまるで鉄塊。化け物サソリは止まるどころか未だ走り続け、むしろひかげの足に鈍いダメージが残ってしまった。
外骨格生物は身体全体が強靭な鎧で出来ている。それが40フィートの生物となれば、それを支える骨の強さも比例してより硬化していくのだろう。いくら常人離れしているとはいえ人間の筋肉で太刀打ち出来るものではなかった。しかし、どうにかして倒さなければひかげの代わりに藤原が大怪我を負ってしまう。
ひかげは息も切れず並走し、うっとおしい羽虫を払うが如く適当さで振り下ろされる重機を思わせる鋏を必要最低限の動作で躱していく。その大振りな攻撃の隙間を縫うように殴打を的確に当てていくが、目立ったダメージは付けられずにいた。
「どうしよう、もう船が見える……」
再びガラ空きの背に乗り、船までの距離を確認しようとコンマ一秒だけ意識を外に向けたひかげ。しかし、その刹那の行動をサソリは見逃さなかった。背後から濃密な殺気を感じたひかげは即座に回避行動を取る。実際、その判断は正しかった。だが、身体が動くまでが僅かに遅かったのだ。
――ドシュッ。
鈍く鋭い音がひかげの右足へ、深々と。
それは紛れもなく、サソリの尾から伸びた特大の毒針だった。先程の職員の説明が脳裏をよぎる。「最強クラスの神経毒を持つサソリ」――その毒針が自分自身の右足に突き刺されているのだ。ひかげは絶望するよりも先にサソリの尾を両手で掴み、純粋に握力のみの馬鹿力で右足と毒針をズルリと無理矢理に引き剥がす。
なおも止まらない化け物サソリの上でバランスを崩したひかげは、そのまま地面へと放り出されてしまう。立ち上がろうにも血飛沫が吹き出し、穴の空いた右足からは燃えるように熱い激痛が邪魔をして、動くことさえままならない。
「はあ、はあ……タマちゃん……!」
このままでは私がふがいないせいで藤原まで死なせてしまう。それだけは絶対に駄目だ。藤原を守らなければ……なのに、私はなんて無力なんだ。
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