神崎ひかげVSギルタブリル・オブトサソリ

不可逆性FIG

珍酒 ~スコルピオ~

 どこまでも果てしなく続くかのような青い水平線の中、島と島を繋ぐ定期便の小さな船はのんびりと航行していた。

 乗客はたった二人。甲板で爽やかな潮風を肴にストロング系飲料を豪快に煽る二十代半ばの女性、そして沖縄の日差しで小麦色に焼けた船長の健康的な肌をねっとりと見つめる連れの女性だけである。


「――ひかげちゃん、またそんなに飲んで大丈夫なの? 昨日、バジリスクなんたらっていう大蛇と大立ち回りしたんでしょ?」

「全然OKらよ、タマちゃん。それに、ハブ酒の後のストロングらから悪酔いの心配無し!」

「何そのカロリーゼロ理論みたいなやつ……」

 限界酒乱OLの女性、神崎ひかげは快活に笑う。同じ会社の同僚で友人のタマちゃんこと藤原は有給休暇を使い、沖縄にてひかげと共に二泊三日の旅行に来ていたのだった。けれど、今は沖縄旅行の四日目。本来ならもうスーツを着て仕事をしている頃だというのに、どういうわけか三日目に空港で待ちぼうけを食らっていた藤原のスマホに上司から連絡が入ったという。なんでも、年間取得有休日数に誤りがあったらしく二人はもう一日、有休を強制的に取らされることになったそうだ。

 藤原は電話の時期や狙い澄ましたようなタイミングを訝しんでいたようだが、たまたま流れていた空港のテレビから、ぐでんぐでんに泥酔したひかげが何故かマングローブ林で恐ろしい大蛇を枕に爆睡をかます映像が放送されていることで、そんな一抹の不安などもうどうでもよくなってしまったのだった。

「はあ……沖縄旅行の延長戦が、ひかげちゃんの珍酒巡りに消えるなんてね。まだまだ私もひかげちゃんには甘いなあ」

「うおー! スコルピオ飲むぞおおぉぉーーーー!」

「危なっ、ちょっと! 船から落ちないでよねっ!?」


***


「おお、ネエちゃんテレビで見たよ。沖縄人うちなんちゅでも、あんな大酒飲みは見たことないさあ! アンタら本土の人ないちゃーだろ? だったら、とっておきの酒情報がある。八重山諸島の某所にスコルピオ・ウォッカの地酒を作っとる研究所があってなあ、なんでも現地民以外の酒豪の感想も欲しがっとるようで――」

 すっかり有名人になってしまったひかげは泥酔爆睡から目覚め、警察の事情聴取のあと、街の人々から声をかけられるようになってしまっていた。しかし、当の本人は昨日の出来事をほとんど憶えておらず困惑するばかりだったのが少し面白い。

 商店街をブラついていると、酒屋を営んでいるスキンヘッドの恰幅の良いおじさんから呼び止められるひかげ。そして、先ほどの情報である。藤原は頭を抱えクソデカため息を吐いてしまう。こんな美味しい情報、無類の酒好きが喰い付かないわけがない。

 ――ちなみに今も藤原の目を盗みながら一挙手一投足、洗練された達人の技法を使って飲み続けているのである。懐に忍ばせてあるスキットルに入ったウイスキーを!

「あのう、スコルピオってなんなんですか?」

「おっ、興味あるかい! 良いねえ、やはり酒飲みはこうでなくちゃあな!」


 スコルピオ・ウォッカ。

 それはイギリス発祥の稀酒であり、珍酒である。三回以上の蒸留を繰り返し、純度の高くなったウォッカに食用のサソリを漬け込んだ世にも珍しい酒だ。そのアルコール度数は37度を超えるもので、素人が迂闊に手を出していい代物ではない。


 そんなウォッカを沖縄にしか生息していないマダラサソリあるいはヤエヤマサソリを使って特産品にしようという酒造メーカーがあるとのこと。もちろんまだ試作段階なので、流通はおろか生産体制にも入っていない状態らしい。まだ花開く前の蕾を味わうべく、ひかげとタマちゃんは口利きしてくれた酒屋のおじさんの好意で八重山諸島の何処かとある島まで船で揺られている、というわけだ。

 水平線の彼方まで降り注ぐ遮るもののない太陽。穏やかな潮風に波立つフェルメールブルーを溶かし込んだ海原。ゆっくりと見えてくるのは剥き出しの岩肌が目立つ山と囲むように茂る深い森の小さな島。

 自然豊かな外観の中、ある一角だけコンクリートで固められた場所へと船は近付いてゆく。白く泡立つ波跡で弧を描きながら、船は島へと静かに接岸した。

 南国の日差しを真上から浴びながらひかげは小ぢんまりとした波止場に降り、大きく伸びをして深呼吸をした。肺の奥で、都会では決して感じることのできない濃密な緑の香りがふわりと鼻腔をくすぐる。「空気が美味しいね、タマちゃん!」そう言おうとしたが、あいにく彼女は船から降りてきてはいなかった。この短い時間で藤原は酷い船酔いになってしまっていたのである。青ざめた顔で起き上がることもできずに船室で苦しそうに呻くだけのゾンビと化した彼女を船長に任せて、ひかげは目の前にある真新しい建物に入ることにしたのだった。


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