うろ深しさくらの根本散り積もる いびつ花びら清き白さよ

 人生を語るには何かと若輩だが、そんな私にも印象深い桜の木がある。私がまだ中学生の頃だったが、引っ越し先の前庭に植えられた一本の桜(ソメイヨシノ)がそれだ。

 二階の窓から満開の桜が眺められるほどに成長した直径一五から二十センチ程の幹を持つ大きな桜だった。淡いピンクの花びらが可愛らしく、私はこの桜をいたく気に入り、毎年の開花を心待ちにするようになった。


 その地に越して二年が過ぎた頃だ。

 桜の木は年々少しずつ弱っていたらしく、その年は殆ど花を付けなかった。ソメイヨシノは案外虫にやられやすく、その年は近所でも桜を好んで寄生する虫の被害が相次いでいた。

 桜の幹をかじり倒す外来種のカミキリムシの仲間は日本でも度々話題になったが、我が家の桜もよくよく幹を観察してみると、あちこちに穴を空けられ、卵と思しき粒々が散見された。

 驚いたし気持ち悪いしで愕然としたことを覚えているが、このままでは桜が枯れてしまうと思い、何とかできないか、その日から翌年まで手探りで奮闘することになった。


 それまで自然に任せていた給水も、雨の降らない日はジョウロで水を与え、虫を見つけた時はピンセットやハケで駆除し、根本の雑草を除去して、明らかにダメージの大きい樹皮には濃く溶いた墨を塗り込めたりしたものだ。

 正直、気休めにしかならなかったと思う。

 それでも何かせずにはいられなかった。

 弱った桜の幹は気付いた時には随分と痩せて荒れており、根本にはいつの間にかうろができていた。これ以上、虚が大きくなると倒木の危険があるため、大家さんの責任上、伐採も検討され始めた。悲しくて仕方がなかった。


 近所の桜はほぼ全滅してしまい、次々と伐採されていった。

 翌年。そんな中でも、桜は咲いた。

 見たこともないほど真っ白な桜だった。花びらは小さくいびつで、私の小指の爪ほどの大きさもなかったが、枝を埋め尽くす満開だった。


 季節外れも甚だしい表現だが、雪のようだと思った。あっという間に散っていく様も、花びらが根本に積もる様も、とても幻想的でとても清廉な桜の姿だった。

 同時に、あまりにも真っ白で、まるで桜の死に様を見るようでもあった。


 それが最後だった。その年の夏、また引っ越すことになり大家さんもおそらくは桜を伐採したことだろう。それでも、私にとっては生涯忘れることのない桜だし、どこで花見をしたとしても、私の中には常に、瀕死ながら咲き誇る真っ白な桜が深く根ざしているのだ。

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