第3話 メイジ・ノワール
「いらっしゃいませ、こんにちわ……って、ええ!?」
あるまじき入店時の挨拶を寄越してきたのは、なんと
「うーっす」
「……何の用?」
抗議めいた視線を投げてよこす勝美に、秋人は追い払うように手を振った。
「別に角倉に会いに来たわけじゃねーよ」
「なっ……なんですって!? ってか、アタシの名前……」
不意に名前を呼ばれて、勝美はキョトンとしている。チャンスだ。今のすきにオサラバしておこう。秋人はクロエに向き直った。
「いこーぜ、クロエ」
「大丈夫? あの店員さん、駿河くんのこと……」
クロエが心配するように言ってくる。
「いいから、いいから!」
どういう状況なのかわからず、戸惑うクロエの背を押す。店の奥へと進む秋人の背後で、「仕事の邪魔しないでよね!」と腕を振り上げて勝美が訴えていた。
カードショップ――勝てる屋トーナメントセンターは広大だった。
クロエ
しかし、トーナメントセンターはその名の通り、カードの大型大会を開催することを前提に作られたカードショップらしく、店の奥には数百人収容可能なデュエルスペースが広がっている。
「まるでファンタジー作品に出てくる、ギルドの酒場だな」
言いつつ、秋人は冒険者たちが酒を
「そう言われればそうかもしれない……うん! 駿河くんの言うとおりだ!」
クロエはかなりテンションが高い。傍から見てもはしゃいでいるのがわかる。
ざっと見渡すと、テーブルのそこかしこで、プレイヤーたちがカードゲームに興じていた。秋人たちはカバンを置いて、適当な場所を取る。
「シールドだったらカード資産がなくても遊べるかな?」
細い
「……シールド?」
おそらくかつては知っていたであろう、専門用語を、秋人は問うた。シールドと聞いて真っ先に浮かぶのは盾のことしかない。秋人が首をひねっていると、クロエが説明してくれた。
「未開封のカードパックから引いたカードだけでデッキを構築するフォーマットだよ」
デッキ、構築、フォーマット……。クロエは当たり前のように専門用語を並べる。その
秋人はクロエの説明から、引いたカードだけでゲームに必要な山札を作ることかな、と当たりをつける。
「お、おう……じゃあ、そのシールド、やろうぜ」
「『メイジ・ノワール』のブースターパック買ってくるから、待っててよ」
クロエはと、販売カウンターへ小走りで行ってしまった。秋人は荷物番として、テーブルで待つことになった。勝美と会うと何かと面倒なのでちょうどいい。お金はあとで精算すればいいだろう。
トーナメントセンターは男の世界だった。女性は店員の勝美くらい。大学生、会社員とおぼしき年代の男性もいるから、幅広い層のプレイヤーが見受けられる。
トーナメントセンターで一際目を
「お待たせ、駿河くん!」とクロエが戻ってきた。
「さっきの女性店員さん、知り合い?」
「ん? ああ、勝美のことか? 俺と一緒のクラスなんだ」
なんか
「なるほど。じーっとにらみながら会計するから、変な汗が出ちゃったよ」
(あいつ、本当に接客大丈夫なのか?)
よく考えたら、高校生初日からバイトしているわけだから、しかたがないのかもしれない。先が思いやられるが、とは言え、勝美の心配をしてやる必要はない。
秋人はクロエに買ってきてもらったブースターパックなるものの精算を
「これが……『メイジ・ノワール』?」
『メイジ・ノワール』はフランス発祥のトレーディング・カードゲームだ。クロエから、電車で向かう途中に大体のことは聞いていた。
「メイジ」は魔法、「ノワール」は黒、すなわち「黒魔術」の意味らしい。黒魔術のカードを駆使して悪霊を召喚し、戦うゲームだ。
「もしかして、カードって、フランス語で書かれてたりする?」
「安心して。日本語版を買ってきたよ。一パック開けてみよっか?」
バシャッバシャッと開封する。中には十六枚のカードが入っていた。カード背面はトランプと同じように手札が見えないよう、共通のデザイン。革装丁の魔導書の表紙に『MAGIE NOIRE』のロゴマーク。
つづいて秋人は一枚一枚、カードを見ていった。まず目を惹くのが華麗なカードイラストだ。日本のアニメやマンガ的な記号化されたものではない。
幻想的でノーフューチャー。黒魔術を題材にしているので、ゾンビだとか、墓場とか、吸血鬼だとか、幽霊だとか、おどろおどろしい絵が並ぶが、このダークな世界観は嫌いではない。
絵の下には、各カードの情報・データが記載されている。羊皮紙の巻物を思わせるテキストボックに、びっしり書き込まれている。
こうして眺めていると、一枚一枚のカードがまるで、魔導書の一ページのようだ。カードに触れていると、黒魔術の術者になったような気分になってくる。
「あ、カードはこのスリーブにいれるといいよ」
「スリーブ?」
クロエが差し出したのは、カードサイズにぴったりのプロテクターだった。裏面は黒で、カードテキストの表面は透明なのでカードの中身が確認できる。
「カードを保護するんだ。シャッフルもしやすくなるし」
シャッフルと言えば、トランプのときのように、下の
しかし、クロエはスリーブに入れたカードの束を二つに分けると、互いの
「トレーディングカードゲームは確率に左右されるから、デッキの無作為化はとっても重要なんだ」
「なんかカッコいいな……」
秋人も見様見真似でカードスリーブをかぶせ、シャッフルしてみる。テーブルの上でシャッフルしていると、一日その動作をしていたくなる、なんとも言えない感じがあった。
「……楽しいでしょ?」
クロエが笑顔を向けてくる。
「ああ……楽しい」と秋人は同意する。
カードをスリーブに入れる。単純作業が、妙に楽しい。自分が引いた一枚一枚のカードの愛着が深まっていくようだった。
すべてのカードをスリーブに入れ、デッキが完成したところで、秋人たちはテーブルの上を片付けた。
「じゃ、簡易ルール説明、いくよ?」
「お願いします」
クロエは、実際にカードをプレイしてみせながら、簡単なルール説明をしてくれた。
『メイジ・ノワール』は、黒魔術を展開するエネルギー源――供物台を展開し、ゾンビや悪魔や悪霊などを召喚するゲームだ。
つまり、供物台カードを引かなければ黒魔術は
そして、基本的に強いカードはコストが重い。強いカードだけでデッキと呼ばれる山札を構築すれば、召喚できるまでに時間がかかるから、先に負けてしまう。
供物台をバランスよく引きつつ、強い決定的なカードを出すまでの時間を
ルールの概要を頭に入れた秋人は、
「おめでとう、駿河くんの勝ちだよ」
「……ってか、運ゲーじゃね?」
勝ったのに、どこかスッキリしない。秋人はゲームシステムに問題があるんじゃないかと疑った。優位だったクロエが、ビギナーズラックで引いたカード一枚に
「フフッ……ハハハッ!」
「…………?」
クロエが腹を抱えてケラケラと笑う。何がそんなにおかしいのか? 秋人は難しい顔をしてクロエを見返した。
「駿河くん……前にも同じこと言ってたよ」
笑いをこらえて、クロエは暖かく、優しい口調で言った。
秋人はおずおずと尋ねる。
「前ってことは……?」
「ゲーム始めたばかりのころだよ。ちょうど三年前。中学入って、同じクラスになって……。駿河くん、ボクのやってたカードゲームを一緒にプレイしたいって言って――」
回想しながら語るクロエが続ける。
「何か思い出すな。中学の時のこと。駿河くんに『メイジ・ノワール』を教えてあげたのはボクだったんだよ?」
「そう……だったのか……」
「でもね? デッキの上に
そうか、そういう考え方もあるのか、と秋人は納得した。逆転の見込みのないゲームは、ただの
そんな風にクロエとそんな話しをしながら、秋人にはどこか引っかかるものがあった。
中二のときに引っ越した……とはいえ、インターネットで世界中繋がるこの時代。自分はクロエと連絡を取らなかったのだろうか? 世界中で遊ばれているゲームであればなおのこと。情報交換は重要ではないか。カードゲームを始めるきっかけとなったこの元親友と、自分はどういうわけか疎遠になった。もしかして、クロエとの間で昔何かあったのではないか……?
気づけばクロエが不思議そうにこちらを見つめていた。
「どうかした? ひょっとして、何か思い出したとか……?」
秋人は心中で巡らせた疑念を
「そっか……じゃ、ちょっとボク、カード売ってくるね」
「え、売る……?」
席を立つクロエに、秋人が
「うん。さっきブースターパックから、レアカード引いたんだ。『
「いくらぐらいするんだ?」
「えーと……六〇〇〇円、かな?」
「えっ……!?」
よく見れば、店内の買取表に『WANTED』と大きくカードの画があった。クロエのカードと同じ画で、『冥界のネクロマンサー』は六〇〇〇円買取とある。
「いいのかよ? 強いカードで、レアカードだったら、持ってたほうがいいんじゃねーのか?」
二人で楽しくスリーブに入れて。愛着を深めたカードじゃなかったのか?
クロエはしっかり頷くと、
「うん……カード売ったお金でブースターパック買えば……また駿河くんと遊べるでしょ?」
と答えてさらに笑みを広げた。
あまりに真っ直ぐなクロエの思い触れ、秋人は気恥ずかしいような、くすぐったいような
「ありがとう。クロエがいいなら……いいけど……」
「うん! ちょっと待ってて」
未成年のクロエは、親の同意書を取り出した。準備がいい。『冥界のネクロマンサー』を持って買取カウンターへ向かった。
彼の背中を眺めながら、秋人は自分だったら高額レアカードを元手に、友達とのカードプレイに当てるだろうかと自問する――いや、自分にはできない。こんないいヤツと、自分は音信不通だったとは。不義理な男だな、と過去の自分を
そうこうしている内に、クロエが戻ってきた。店内を見回して、「やっぱり駿河くんは有名人だね」と言った。
「……ん? そうか?」
そう言われてみれば、と秋人は周囲の視線に気がついた。明らかにちらちらと秋人たちを
「やっぱ……気になる、よね?」
「ちょっとな……居心地いい気はしないよな?」
秋人ははあと息を
「普通にカードゲームしたいのに、じろじろ見られるの嫌だよね。ボクもそうだし」
別の意味で、クロエも注目を集めがちだ。
「ねえ、駿河くん。ボクの家……来る?」
「……えっ? あ、いや……その……家!?」
予想外のお
「フフ……ボクの家でもう一戦しよ!」
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