第4話 ボクは……。
トーナメントセンターを出ると、土砂降りの雨だった。
二人で走って電車を乗り継ぎ、クロエの家までバスで移動したものの、それでも服はびしょ濡れになった。
「うぅ〜……、最悪だな」
愚痴る秋人に対して、クロエは微笑みを崩さなかった。
「そうかな? 青春って感じで楽しくない?」
水もしたたるいい男と言わんばかりに、クロエの濡れた金髪は美しさの暴力だった。耳に濡れた髪をかきあげる仕草がまた――
……って、自分は男にどんな劣情を抱こうとしてるんだ?
秋人は首をブンブン振って不純な考えを追い払った。
クロエはカバンを胸に押し当て、抱え込むようにしている。
「あれ、クロエ……? 腹でも痛いのか?」
「……えっ!? いや、違う違う! 雨で……カードが濡れないように、さ!」
なぜかクロエは顔を赤くして、主張した。
「あ、そっか……」
言われて秋人もカバンを抱え込んだ。せっかく買ったカードが濡れたらシャレにならない。
バス停からクロエの家までダッシュで向かう。
そして――。
クロエの家は控えめに言って……豪邸だった。
おそらく両親は外交官か、外資系の役員かなにかなのだろう。警備もしっかりしていて、お手伝いさんが何人もいた。
そのお手伝いさんからタオルを渡され、拭いながらクロエの部屋へ向かう。
部屋は、ワンルームマンションのように広かった。
ホテルの一室に近い。
キッチンカウンターや浴室も完備されている。
高校生が住む部屋じゃねーし……と秋人は水気を拭いながら思った。
「いやあ、びちょびちょに濡れちゃったね……シャワー、先に入っていいよ」
「…………」
秋人は、頬をぴくりと動かした。ごくり、と生唾を飲み込む。
いや、男同士だから変に意識することもないのだが――美少年に「シャワーに先に入って」と言われると、ドギマギしてしまう。
秋人の動揺を知る由もないというように、クロエは笑顔で、
「服は乾燥機で乾かしておくよ。その間、バスローブでも着ててよ」
と着替えを手渡してきた。
「悪いな……何から何まで」
クロエ、お前はどんだけイケメンなんだ。クロエの神対応に感動していると、
「やめてよ。ボクと駿河くんの仲じゃない」
おのれ。追い打ちかけてきやがって。
秋人は浴室で服を脱ぐと、シャワーを浴びた。
◆ クロエ視点 ◆
(駿河くんは、本当に記憶を失っていた……)
藤堂・クロエ・モーショヴィッツは、シャワーの音を聞きながら、どこか切ない気持ちになっていた。
今、浴室では秋人がシャワーを浴びている。
中二以来、久し振りの再会――。
クロエは秋人との邂逅に〝運命〟を感じずにはいられなかった。
会えない時間が愛しさを募らせたのかもしれない。
あのころと寸分変わらぬ彼の姿を頭の中に思い浮かべて、クロエの胸は締めつけられるような苦しさに漂った。
もし彼が記憶を失っていなければ――ここまでトントン拍子に事は運ばなかっただろう……。
『ねえ、駿河くん。ボクの家……来る?』
トーナメントセンターであの言葉を口にしたときは、心臓が飛び出すかと思った。
自分でも何言っちゃってるんだよ!? とドギマギした。
もし拒絶だれたらどうしよう?
あの日のように……。
しかし、そんな不安も吹っ飛ぶほど、秋人は気軽に応と答えてくれた。
急に降り出した雨も、二人の距離を縮める要因になっただろう。
――問題はここからだ。
雨で濡れた髪を拭いながら、クロエはちゃんと過去の関係を話すべきか迷っていた。
駿河が世界大会で記憶を失ったことは、カードゲームのコミュニティですぐに知った。
半信半疑だったが、探偵を雇って調べさせると、彼は本当に記憶障害を起こしているようだった。
すぐに彼と同じ高校に入学するためにパパに頼み込み、入学予定だった大学附属の私立高校から編入する手続きをとった。
中学二年のとき――どうしても言えなかった言葉を今度こそ伝えるために。
秋人は、どうやら自分のことを「男の子」だと思っている。
たしかにクロエは自分のことを「ボク」と言うし、制服はズボンを履いている。
でも、クロエたちが入学した高校では、女性がズボンを履いてもいいことになっている。
カードゲームは男の子がやるものだという思い込みも手伝っているのかもしれない。
女として意識されていないことに傷つきつつ、異性では変に意識しあったであろう微妙な距離を、あっという間に縮められたのも事実だ。
シャワー室に入るときも、秋人は無遠慮に服を脱ぎ始めるから、目のやり場に困ったものだ。
いや、ご褒美というべきか……。
トーナメントセンターで働いていた女の子――勝美、と秋人は呼んでいた。
長く豊かな髪をツインテールに結っていて、胸も立派な膨らみがあった。軽くお化粧もしていて、ちゃんと女の子していた。
あの子のこと、秋人はどう思っているのだろう……?
少なくともツインテールの女の子は、かなり秋人を意識していたように思える。
クロエがブースターパックを買いに行ったときも、「あなた、秋人の知り合い?」と尋ねられた。
入学初日から、クロエのライバルが出現するとは想像もしていなかった。やはり、自分は駿河秋人のことを何も知らないのだ。クロエは思い知らされた気がする。
でも――今、秋人は浴室でシャワーを浴びている。
手を伸ばせば、届く距離に彼がいる。
クロエの胸は、心臓の
このまま「男の子」として接するべきか?
それとも……。
いつの間にか、クロエは濡れた制服をするすると脱いで、下着姿になった。こんな大胆な行動に出る自分が信じられない。
だが――姿見鏡で控えめな胸とか細い腰のラインを眺め、溜息をこぼす。
頭の中でツインテールの店員さんを思い起こし、姿見に映る自分の下着姿と比較する。敗北感しかない。
「やっぱ女の子……らしくないよね……ボク」
雨に濡れて、下着のラインが浮き出てくるのではないかと、ヒヤヒヤものだった。
鞄を抱えて隠していたものの、「腹痛いのか?」と聞かれたときもかなり、焦った。
ひとつ屋根の下、駿河くんが裸で、自分は下着姿……。
何か起きることを期待しつつ、せっかく「はじめまして」からリセットできた関係を壊したくないとも思う。
揺れ動く心だけが、まるで自分の身体から切り離されていくようだ。
でも――。
秋人はクロエにとって、かけがえのない存在なのだ。
迷いながらも、クロエは浴室に近づいていった。
「駿河くん……っ!」
「……ん?」
すりガラス隔てた向こう側では、駿河くんが全裸でシャワーを浴びている。
つづく言葉がうまく口に出せない。
「すまん、クロエ。よく聞こえないんだが?」
「あ! え! えーっと……」
ギシッと浴室のドアが開きかけ、藤堂の頭は真っ白になった。
自分は今、下着姿なのだ。
「…………ッ!?」
◆ 秋人視点 ◆
記憶を失ってから、あえて触れてこなかったカードゲーム。
トーナメントセンターで軽くクロエと遊んでみたが、特に何も思い出さなかった。
優子先生や親に今日のことを話すと、あまりいい顔はされないだろうな、と秋人は苦笑いした。
不意に、すりガラスの向こう側にクロエの姿が見えた。
「…………?」
「駿河くん! あのね……」
「……ん?」
シャワーの音で、クロエのか細い声は聞き取りづらかった。
「すまん、クロエ。よく聞こえないんだが……?」
「あっ! え、えーっと……」
目を細めてみれば、すりガラスの向こう側――クロエは妙に肌色が多かった。
下着姿のようだ。
早くシャワー入りたいのか? 俺はすりガラスのドアを開けた。
「おい、なんなら一緒に入れよ」
「くぁwせdrftgyふじこlp!?」
藤堂は素っ頓狂な声を発し、ドッテンバッテンッと騒がしい。どうやら足を滑らせてころんだようだった。
「だ……っ、大丈夫か!?」
シャワーを止め、秋人は浴室を飛び出した。
「クロエ――ッ!?」
目に飛び込んできた光景に――秋人は身体を硬直させた。
クロエが、尻もちをついて転がっている。
乱れた金髪。抜けるような白い肌に、レースの純白の下着が彩り、天の使いを思わせる神々しさがあった。
何で女性の下着を……と考える間もなく。
そのか細い腰。
かすかな胸の膨らみ。
そして、M字に開脚した脚の付け根を目で追ってガン見してしまった秋人は、慌ててそこから目を逸し、悲しげに眉を寄せるクロエを見やった。
彼女の顔は青ざめ、震えている。
「――――っ」
「ちょ……ッ、クロエ……お前――!?」
――女の子だったのか。
気まずさに身をよじりつつ、クロエはようやく一言、
「駿河くん……何か着て」
と呟いた。
秋人は、粗末な愚息を無様にぶら下げたままだった。
「あ……っ!」
すぐさま秋人は生乾きの服を身につけた。背後でクロエも衣服を身に着けている。
この居心地の悪い空気を和らげる弁解や言葉を必死に紡ごうとしたが、秋人は「すまん」と一言だけ残し、クロエの家を出た。
つまり――逃げてしまったのだ。
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