Episode 16 相棒
「
俺達が店を訪れて開口一番、陳さんが沈痛な面持ちでそう言った。
「たったそれだけの理由で、俺を呼んだ訳じゃないんだろう?」
俺の言葉に、陳さんはただ黙ってスマートフォンの画面を俺に差し出して見せた。そこにはあららぎ港の一角の地図が示されていて、埠頭の一角に赤い丸印が示されていた。
「例のコンテナ船が停泊している場所だ。どうやら玲芳が、
感情を押し殺した声で、陳さんが絞り出すように言った。
俺の嫌な予感は、見事に的中した。だが、余りにも突然の出来事だったが故に、にわかには信じられなかった。今更言っても後の祭りだが、もしもこうなることが分かっていれば、玲芳を独りで家に帰すような真似はしなかった。
「玲芳の持っているスマートフォンに入れておいたアプリケーションソフトを使って、最後に割り出した位置だ。一応電話はしてみたが、一度回線を切られた後は、電源が入っていないか、電波が届かない場所にあるって返事しか返ってこなかった」
「アンタの話じゃ、連中のメインターゲットはベトナム人だったって話だろ」
腕を組み、カウンターにもたれかかっていた俺の言葉を聞いて、一瞬マーシャが身を固くした。きっと
「理由なんざ分かりゃしないよ。ただ、今回の件であたしが一枚噛んでいるってことは、連中にはバレていないはずなんだ」
「……」
「事実、連中からは何の連絡も来ていない。あたしに対する警告や見せしめの
「俺は今回の件、受けることは出来ないって言ったはずだよ」
このような場面でまだそう口にしていた自分に、我ながら嫌気が差した。陳さんは少しの間黙っていたが、やがて右側の
「そのことは、一応依頼主には伝えておいたさ。随分と渋い顔をされたが、急ぎ他のあてを探してみるとも言っていた……でも、玲芳までが連中に
「……」
「依頼主からの報酬の他にも、あたしからも別途報酬を出すよ。頼むから今回の件、引き受けちゃくれないだろうか」
陳さんが
「悪い、陳さん……今回の件、俺にとっては金が問題って訳じゃないんだ」
今回の一件は任務ではなかったが、玲芳の命が関わってきた時点で、ただの仕事という訳にもいかなくなった。だが、どうしても一年前の出来事が、俺の手足に
陳さんの視線が俺から外れ、あらぬ方向を見ながら、ため息と共に小さく肩を落とした。
「これだけ頼んでも、どうしても駄目だっていうのかい」
その時、それまでただ黙って俺達のやり取りを聞いていたマーシャが口を開いた。
「チェンサン、少しだけ席をハズしてクダさい。私、コースケと話があります」
陳さんは一瞬、マーシャに対して何かを言いかけようとしたが、そのまま小さく被りを振って店の奥の間へと引っ込んでいった。マーシャがじっと、こちらを見ながら言った。
「コースケ……私、途中からしか話聞いてないから全部は分からないけれども、チェンサンからの仕事のお願い、リンファンサンの命掛かってるですね?」
俺はしばらくの間、その問いに答えなかったが、マーシャの無言の圧力に負け、ため息とともに頷いた。
「ああ、おそらくはな」
「チェンサンもリンファンサンも、コースケにとっては、たぶん大事な友達のはず。その友達が困ってるのに、コースケがそれを助けられない理由って何?」
俺はふと、マーシャの顔を見た。彼女の表情は、いたく真剣なものだった。どうやら今更になって、隠し事が通用する雰囲気ではなさそうだった。
「今回の陳さんからの依頼ってのはな、とある中国系マフィアの人身売買の取引を潰すことだ」
「えっ?」
「三日後にあららぎ港を出港するコンテナ船の中にいる外国人の救出と、そのコンテナ船の船員達……中国系マフィアの構成員達を皆殺しにすること。それが陳さんからの依頼の詳細だよ」
俺の話を聞いたマーシャは、しばらくの間言葉を失っていた。それはそうだろう。ごく普通の感覚で言えば、このような
だが、真っ青な顔をしたマーシャが、再び俺に尋ねてきた。
「どうして、そんなことをコースケが頼まれるですか?」
俺は気まずくなって右手で首筋を撫でながら、ぼそりと答えた。
「そういった汚れ仕事が、俺とアイツが今までやってきた俺達の
「そんな」
マーシャの唇の色がやや青ざめているのは、何も冬の寒さが原因だったという訳ではなかったのだろう。
「アイツとコンビを組んでいた時には、そういった仕事をすることにも、それ程の恐怖や抵抗は感じなかったよ。陳さんからの依頼は、人前では言えない内容のものばかりだったが、決して悪事を働くという訳ではなかったし、な」
俺が話をしている間、マーシャはただじっとこちらを見つめていた。
「でも、ちょうど一年ほど前、同じ中国系マフィアの違法取引を潰す依頼を受けた時、ちょっとした俺の不注意でアイツを死なせてしまった」
「ひょっとしてコースケ、そのことがずっと気になって辛いのですか?」
「……」
「逃げる、ごまかす、ダメ。これ、リンファンサンの命かかってる」
マーシャの言葉に、ただ笑うことしか出来なかった。今まで誰にも話したことがなかったが、この時だけは己の内にずっとわだかまっていた何かが、するりと口をついて出た。
「そうだな……相手が誰であれ人を撃つ以上は、自分も撃たれる覚悟をしていたつもりだった。だが、自分の身代わりになった自分以外の誰かが撃たれる覚悟のことまでは、誰も教えちゃくれなかった」
「それは」
「あの時、迷わず撃たなきゃいけなかった中国系マフィアの幹部が、すぐ側にいた女に拳銃を突き付けて人質にしたんだ。余りにも突然の出来事で、俺は一瞬、その相手を撃って良いのかどうか迷ったよ」
「……」
「だが、すぐ側にいた女っていうのも、実は中国系マフィアの一員だったのさ。今にして思えば、
マーシャが小さく被りを振り、視線を床に落とした。俺は組んでいた両腕を軽く広げ、大きく息を吐いて言った。
「今回の仕事は、一人で請け負うにはあまりに内容がハード過ぎる……かといって、アイツはもういないし、仮にいたとしても」
「ねえコースケ、ちょっと教えてクダさい……いイ探偵の条件って、一体何?」
マーシャが突然、俺に尋ねてきた。少し考えてから、言葉を選びつつ慎重に答える。
「匂いを嗅ぎ分けるセンスだな」
「いイ兵士の条件は?」
「折れない心」
「じゃあ、いイ相棒の条件は?」
「……お互いの信頼関係、かな」
半信半疑だった俺の言葉を聞いたマーシャが、嬉しそうに胸を張って笑った。
「どれも年齢や性別じゃないですね……良かった。コースケ、ここに一人、貴方の相棒いますよ」
思わず絶句した。絶句せずにはいられなかった。
「馬鹿……お前、自分が一体何を言っているのか、分かっているのか?」
俺の問いに、マーシャはややうつむきながら答えた。
「うん……コースケに人を撃てなんて、私、とても言えない。私だって撃てない」
「……」
「でも、コースケにしかできないこと、それからは逃げちゃダメ……今の話、どうしてもコースケがやらなきゃいけないんだったら、私、そのカクゴ半分持ちます」
マーシャの言葉に、何も言い返せなくなった。やがて俺の口から、大きなため息が一つ漏れた。
「俺達は、出会ってまだ四日目の間柄なんだぞ? それに今回の件は、ボルシチを作るようなのとは訳が違う。お前は何故、そこまで出来るって言えるんだ?」
マーシャは両手の拳を強く握りしめながら、自らを鼓舞するかのようにきっ、と顔を上げて言った。
「私のおばあちゃん、いつも言ってまシた。困っている人がいたら助けてあげなさい、受けた恩は必ず返しなさいって」
「……」
「コースケ、困っている私のこと色々と助けてくれまシた。今度は私が、コースケ助ける番ですから」
自分の子供程の歳の若い娘にここまで言われるとは、正直思ってもみなかった。彼女を俺達の世界に、決して巻き込むわけにはいかないと思っていた。だが、ここ数日の間で少しずつ分かってきたマーシャの性格から考えて、彼女がここで大人しく引き下がってくれるとも思えなかった。
今の自分に足りないものをもう一度、一つずつ思い返してみた。考えてもどうしようもないものは、この際思い切って判断材料から切り捨てる。個人で作戦を立案する能力は、空挺レンジャーの訓練で嫌というほど仕込まれていた。
「マーシャ……お前、ラジコンの操縦は得意か? 空を飛ばすヤツだ」
俺の問いかけに、マーシャはやや青ざめた顔で、だがにっこりと笑ってみせた。
「私の弟、ラジコンが趣味でした。あの子のラジコンの飛行機とヘリコプター、二つ潰しちゃいまシたが、動かすならだいたいダイジョウブです」
「おいおい、それは大丈夫って言っていいのか……陳さん」
俺が店の奥へと声をかけると、陳さんが再びのっそりと姿を現した。
「この店の在庫にドローンはあるか? 遠距離からの操縦が可能で、ライブカメラと映像確認用のディスプレイがついているタイプだ」
俺が尋ねると、陳さんは口元を覆ったマスクの奥で、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「おや、奇遇だねぇ……あるよ。うちの取引先の物好きが、何かの時にでも使ってみてくれって置いていった
「ゴムボートと電動船外機、レジャー用の小型のものでいい。それにフック付きのロープと、例のコンテナ船の見取り図、携帯型の軍用小型無線機が二台」
「お前さんに仕事を頼むために必要だったものは、一通り全部揃っているよ」
陳さんの回答は、打てば響くかのように早かった。
コンテナ船の位置が表示されている陳さんのスマートフォンを借りながら、陳さんにコンテナ船の見取り図を出してくれるよう頼んだ。
陳さんはカウンターの下からノートパソコンを取り出すと、画面にコンテナ船の見取り図を表示させた。俺は停泊中のコンテナ船の周辺地図と見取り図を見比べながら、頭の中で素早く作戦計画を組み立ててみる。
俺は少しの間考え込んだ後、マーシャを見て言った。
「ここから先は、興味本位や冗談では済まされない世界だ……それでもお前は、俺と一緒に来るって言えるのか?」
マーシャは少しの間、無言のままでこちらを見つめていたが、ややあって緊張に震える声を絞り出すようにしながら、右手の親指を立てて笑った。
「この間ネットで見た特撮テレビドラマで、今と同じようなシーンありまシた……アクマとアイノリ出来るか、って。アイノリジョートーです。半分力、貸しますよ」
「テレビドラマの世界と一緒にされちゃ困るんだが……まあいい」
頭を掻きながら、陳さんに向かって言った。
「今回の依頼、受ける算段が何とかつきそうだ。必要な機材の準備と、依頼主との連絡調整を大至急で頼む」
「あいよ」
陳さんは満足そうに一つ頷くと、右手を軽く上げて再び店の奥へと引っ込んでいった。俺はマーシャに少し待っているように言ってから、クルマの中に積みっぱなしにしていたボストンバッグとシューズバッグを大急ぎで取りに戻った。
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