Episode 17 ショータイム

 十二月二十九日、二時ジャスト。マーシャとペアを組んだ俺達二人の初仕事が始まった。

 全身黒づくめの戦闘服姿になった俺は一人、電動船外機付きのゴムボートを使って、深夜の闇に身を隠しながらコンテナ船「ベイジン号」の左舷船首付近へと接近した。


 当然のことながら、照明のたぐいは一切使えなかったが、夜のあららぎ港の埠頭では、あちらこちらで煌々こうこうと照明がかれていたため、それほどの不自由さは感じなかった。夜間の海上からの目標への接近・進攻は、フランスにいた頃に訓練で散々やってきた。現役を離れて久しかったが、それは手慣れた作戦行動手順の一つであるはずだった。


 だが、実際には思考よりも身体の方が正直だった――冬の夜の寒さによるものとは明らかに違う、微かな身体の震えと動悸を俺は自覚していた。


 それが緊張によるものなのか、恐怖によるものなのかは分からなかったが、俺はアメリカで探偵とボディガードの訓練を受けていた時に習った呼吸法――四つ数えて息を吸い、四つ数えて息を止め、四つ数えて息を吐き、また四つ数えて息を止める――を三回繰り返した。微かな身体の震えと動悸は、それでじきに収まった。


 ゴムボートをベイジン号の左舷船首付近に接舷させ、短めのロープを結んだ大型のレバー式吸着器を船体に取りつけてゴムボートをベイジン号と連結させた俺は、身に着けたタクティカルベストのポーチの一つを開け、そこからほぼてのひらサイズのマイクロドローンを一基取り出し、電源スイッチを入れた。


蜘蛛アレニェから妖精フェへ、準備完了だ。まずはこの上の甲板の様子を見てくれ」


 俺はフランス語でマーシャに言った。蜘蛛が俺で、妖精がマーシャのコールサイン。コールサインを取り決めたのは、無線連絡の際にお互いの名前を呼び合う訳にはいかなかったからだ。


 また、万が一誰かに無線の内容を聞かれた時のために、今回は全てフランス語で会話をする取り決めをしていた。マーシャは自分のコールサインについて、どうせならティンカー・ベルがいいなどと言ったが、呼び名が長かったので却下した。咽頭マイクと骨伝導イヤホンの調子は、今のところ全く問題が無かった。


「妖精、了解です。少しお待ちください」


 マーシャからの返事と共に、俺の掌の上にあったマイクロドローンのプロペラが静かに動き出し、ほぼ無音のままコンテナ船の舷側げんそく付近まで飛び上がる。


「妖精から蜘蛛へ、その付近に人影は見えません」


「蜘蛛、了解。これより状況を開始する」


 俺はゴムボートの中に置いていたフック付きロープを手に取り、ベイジン号の舷側を目がけてロープを放り投げた。既に相当数のコンテナを積み込んでいたため、海面から舷側までの距離はそれほどなかった。ロープの先に取り付けられたフックは、運良く一発で舷側の手すりに引っかかってくれた。


 ロープの端をゴムボートに括りつけ、俺はベイジン号の船体に足を掛け、出来るだけ音を立てないよう慎重にロープをたぐってベイジン号の舷側へと登っていった。ヘルメットと一緒に被っている黒の目出し帽バラクラバの加減で、口周りが少し湿り気を帯びて気持ち悪かったが、それは我慢するしかなかった。


 無事ベイジン号の舷側に上がったところで、ロープのフックが外れないように固定し直し、コンテナの物陰へと身を隠す。


 ベイジン号は比較的小型のコンテナ船ではあったが、全長約二百メートル、全幅約三十五メートル、二十フィートサイズのコンテナを最大で約三千個積載することが出来る。このサイズの船の中から、どこかに捕らえられている外国人達を見つけ出し、十五人いるはずの船員達を全員始末するというのは、なかなか骨が折れそうだった。


「蜘蛛から妖精へ、両舷の甲板通路上の様子を確認してくれ」


 俺の無線を聞いたマーシャが、マイクロドローンにベイジン号の周囲を旋回させた。


「妖精から蜘蛛へ、両舷の甲板通路上には人影がありません。ただし、船体中央付近の甲板上に小さな明かりが見えます」


「蜘蛛、了解。節電のためだ、一旦ドローンを回収する」


 俺がそう言うと、マイクロドローンは器用に俺の掌の上に着陸した。これまでのところ、マーシャのラジコン操縦の技術には全く文句が無い。妖精とは、良く言ったものだ。


 ドローン本体下部に装着されているバッテリーの残量を示すインジケータは、すでに半分弱の表示になっていた。俺はマイクロドローンの電源スイッチをオフにして、再びポーチの中に収納した。陳さんが言うところのこの試作品は、電波の受信距離が最大で二キロメートル強、暗視カメラも内蔵された超小型の優れものだったが、稼働時間が十分程度しかないことが唯一最大の欠点だった。


 続いて俺は右もものレッグホルスターからグロック17を抜いて消音器サプレッサーを装着し、タクティカルベストから取り出したフラッシュライトを左手で逆手に構えた。そして身を低くしながらゆっくりと舷側の甲板上を移動し、捕らわれた外国人達が閉じ込められているであろうコンテナの捜索を開始する。こちらの存在を察知されないよう、フラッシュライトはその必要がある時だけ、瞬間的に明滅させるように光らせていた。


 陳さんから聞いていた話では、目的のコンテナは四十フィートサイズの、青色のオープントップコンテナだということだった。それは二日前の夜間にひっそりと、船上に備え付けられたガントリークレーンで積み込まれたもので、積載位置は船体の中央付近やや左舷寄りとのことだった。そこまで執拗にベイジン号の様子を監視していた依頼主の執念と緻密さに、俺はほとほと感心した。


 通常は船の重心位置を下げるため、比較的重い荷物が入ったコンテナが船倉下部アンダーデッキに積み込まれ、甲板上部オンデッキには荷運びを終えて返却される空になったコンテナ、あるいは空に近いコンテナが積み込まれるという。


 さらわれた外国人達が捕らえられているコンテナは、おそらく甲板上部に積み込まれている可能性が高いと思われた。外国人達を捕らえたコンテナを隠密裏に積み込むのであれば、荷物が格納されているコンテナ群の中よりも、空のコンテナ群の中に紛れている方が、港湾関係者のチェックも幾分か甘くなるはずだからだ。


 もちろん、目的のコンテナが船倉下部のコンテナの中に紛れている可能性は否定できないが、そうなるとエンジンルームから伸びる「アンダーパッセージ」と呼ばれる専用通路を伝って、膨大な量のコンテナ群の中から目的のコンテナを探し出さなければならなくなる。もしそうなると、捜索により時間が掛かり、いささか厄介だ。


 息を殺して甲板通路を進んでいくと、果たして船体の中央付近の甲板上に小さな明かりと、微かな人の気配があった。俺は数段に積み上げられたコンテナの陰に身を潜め、屈んだ姿勢でそっと様子を伺う。


 そこには、二人の男達がいた。一人は折り畳み式ベッドの上で、おそらく冬山登山用と思われる黄色いシュラフに包まって眠っており、その向こう側には濃い緑色の防寒着で着ぶくれした男が、折り畳み式のチェアに座り、携帯型のカセットボンベ式ヒーターの前で寒そうに膝を揺すっている。男達の脇には、小さな電池式ランタンと数本の酒瓶、クーラーボックスがあった。


 男達までの距離は、約十メートル強ほどだった。自分の心臓の音が頭の中でどくどくと鳴り響き、拳銃を握る手が微かに震えているような気がした俺は、静かに例の呼吸法を二回行ってから拳銃を構え、まずはチェアに座っている男に向かって発砲した。


 消音器の効果で、軽く乾いたような発砲音が二発鳴り、チェアに座っていた男はそのまま後ろへとひっくり返った。その物音で目を覚ましたのか、折り畳み式ベッドの上で眠っていた男がもぞもぞと動き出した。


 俺はシュラフに身を包んだまま折り畳み式ベッドから起き上がった男の背中に向けて、更に二発発砲した。背中付近に一発、腰付近にもう一発の弾丸を受けたその男は、呻き声を発しながらそのまま横へどさりと倒れた。暗闇の中で黄色いシュラフに二カ所、赤黒い染みがじんわりと広がっていった。


 俺は立ち上がって歩を進め、倒れている二人の男の元へと近寄った。先に撃った方の男は、胸に二発の銃弾を受けて既に絶命していたが、後で撃ったシュラフの男の方は、まだ息があった。口から血の泡を吐き、苦痛の呻き声を発しながらも、男は何とか寝袋のチャックを開けようとしていたので、俺は更にもう一発、その男の頭に銃弾を撃ち込んだ。頭の中に鳴り響く自分の心臓の音も、拳銃を握る手の震えも、その頃にはもう感じなくなっていた。


 近くで聞こえた拳銃の発砲音に驚いたのだろう。側にあったコンテナの中から、複数の悲鳴が聞こえた。悲鳴が聞こえてきたコンテナには、コンテナを拘束するためのラッシングバーが取り付けられておらず、コンテナに封をするためのボルトシールも打たれていなかった。


 俺はそのコンテナのレバーを操作し、コンテナのドアをほんの少し開けた。その隙間から、緊張した面持ちの外国人の男の顔が見えた。


 ヘルメットとゴーグルを身に着け、目出し帽を被り、全身黒づくめで拳銃を手にしていた俺の姿を見たその男は、ひっと小さく叫んでコンテナの奥へと身を隠した。中からは男女入りまじった悲鳴と、微かな明かりが漏れ出ていた。俺は慎重にコンテナの中へと入り、中の様子を伺った。


 コンテナの中は、酷い有様だった。一応マットレスが敷き詰められていたが、二十人ぐらいの男女がコンテナの奥で身を寄せ合って、震えながらこちらの様子を伺っていた。マットレスの上には防寒用の毛布や小型のランタン、食い散らかされたレトルト食品や缶詰の残骸、使用済みの携帯用トイレなどが散らばっていて、酷い悪臭を放っていた。オープントップコンテナの天井部分は防水シート張りになっているが、すぐ真上に別のコンテナが載せられているため、外部から扉にロックがかけられると、事実上ここから脱出することは不可能だった。


 俺はフラッシュライトを使って、中にいた男女の顔を一通り見渡した。誰もが眩しそうに顔をしかめるその中には、玲芳リンファンの姿は見当たらなかった。


「俺はお前達を助けにきた」


 俺は出来るだけ声を潜めて、日本語でそう言った。


「お前達は国に帰してやると言われて、このコンテナに入れられた。そうだな?」


 俺がそう尋ねると、コンテナの奥で縮こまっていた男女はお互いに顔を見合わせた後、それぞれが何度も首を縦に振った。


「お前達が国に帰れることはない。お前達をここに連れてきたのは中国系マフィアの連中で、お前達は他の国に連れていかれて、奴隷のように働かされるか、バラバラにされて臓器を売り飛ばされるかのどっちかだ」


 中にいた者達のうち、比較的日本語に堪能たんのうな者が、俺の言葉を周囲の者達に通訳した。たちまち中にいた者達が、口々に何事かを呟いてざわめき始めた。


「静かにしろ」


 俺は外の様子にも気を配りつつ、再び低い声で言った。


「お前達の扱いについてはどうあれ、後で必ず日本の警察が助けに来る。これからもう一度、このコンテナを外からロックするが、それまではただ黙って、このコンテナの中で隠れていろ」


 再び中にいた者達が、口々に何かを喋り始めた。俺は手にしていた拳銃を連中の方に向け、もう一度言った。


「これが最後の警告だ。命が惜しければ、何があっても絶対に勝手に逃げようとするな。勝手に逃げようとしたら、この船の連中か、俺がお前達を必ず殺す。分かったな?」


 一瞬のざわつきの後、俺の言葉を通訳した者の話を聞くと、そこにいた者達全員が何度も首を縦に振った。そこで俺は、ふとあることを思い出し、中にいた連中に尋ねた。


「この船に連れてこられた外国人は、ここにいる者で全員か?」


 すると外国人のうちの一人がおずおずと手を挙げ、震える声で言った。


「若い女の子、何人か別のところ連れていかれた。場所までは分からないけれど」


「分かった」


 俺はその言葉を聞くと、コンテナの外に出てドアを閉め、レバーを操作してドアをロックした。ついでに男達の懐を探ると、それぞれ自動拳銃が一丁ずつ出てきた。先に相手を殺しておいて今更の話だったが、やはりこの男達はまっとうな船員ではなかったらしい。


 俺は無線でマーシャに連絡を入れた。


「蜘蛛から妖精へ、目的のコンテナを発見。監視役の船員二人を排除。コンテナの中で捕らえられていた外国人達は、現状では命に別状はなかった」


「コー……じゃなかった、蜘蛛へ。その……人を殺したのですか?」


 マーシャの声には、緊張と不安の色が入り混じっていた。俺は出来るだけ平静を装った声で返事をした。


「蜘蛛より妖精へ。連中は人でなしだ、動く的を撃っただけだ」


 マーシャからの返事は無かった。俺は言葉を続けた。


「外国人達が捕らえられていたのは当初の情報通り、船倉の中央付近やや左舷寄り、甲板上部にあるコンテナの中だった。付近に監視役だった船員二人が転がっているから、後からでもすぐに分かるだろう。なお、捕らわれた外国人のうち、このコンテナ以外の場所に監禁されている者達がいる模様。引き続き捜索を行う」


「……妖精、了解です」


「それほど大きな音は立てなかったつもりだが、念のため周囲の様子の確認を頼みたい」


 ポーチから取り出したマイクロドローンのバッテリー残量のインジケータ表示は、残り三分の一を切っていた。電源スイッチを再度オンにすると、マイクロドローンは俺の掌の上から静かに飛び立ち、左舷側の甲板通路へと向かっていった。


「妖精から蜘蛛へ! 男の人が一人、船尾側からそちらに向かって歩いてきています!」


 緊張の入り混じったマーシャの声が、イヤホンから聞こえてきた。一番可能性が高そうなのは、先程始末した男達の交代要員といったところだろう。俺は甲板通路から約十メートルの位置まで進み、そこで身を屈めて拳銃を構えた。


「蜘蛛から妖精へ、その男に見つからないよう、艦首方向へ後退して距離を取れ。それから、こちらが現在いる場所にその男が来るまで、カウントダウンをしてくれ」


「妖精、了解。そちらに男の人が到達するまで、残り五、四、三、二、一、ゼロ!」


 マーシャのカウントダウンが終わると共に、マーシャが言っていた男の姿がこちらか視認出来た。風に乗って漂ってくる潮とオイルの匂いに、微かに煙草の匂いが混じったような気がした。


 こちら側へ数歩足を踏み入れたその男は、甲板上に倒れている仲間達二人と、傍らに屈んでいた俺の姿を見て一瞬驚いた表情を見せたが、次の瞬間には俺が放った二発の弾丸を胸と顔に受けて、声を上げることも無く、そのまま後ろへどさりと倒れた。


「蜘蛛から妖精へ、船員一人を排除。他にこちらへ向かってきている船員はいるか?」


 少しの間の沈黙の後、マーシャからの返信が聞こえてきた。


「妖精から蜘蛛へ、現時点においては、他の船員の姿は見えません」


「蜘蛛、了解。悪いがこのまま、右舷側の甲板通路にも人影がないか確認してくれ」


 マーシャからの返信を待つ間に、俺は今さっき倒した男を先に倒した船員二人の近くへと引きずって運び、その身体を手早く調べた。男の赤いダウンジャケットのポケットには財布と煙草とライターが入っていたが、それらは全て無視した。男を蹴り転がして更に調べると、男の腰の辺りには自動拳銃が一丁ねじ込まれていた。


「妖精から蜘蛛へ、右舷側の甲板通路、現在人影は無しです」


「蜘蛛、了解。そろそろドローンのバッテリーが切れる頃だ、バッテリー交換を行う」


「妖精、了解」


 それから程なくしてマイクロドローンは俺の手元に戻ってきた。電源スイッチをオフにしてバッテリー残量のインジケータを見ると、やはりほぼゼロに近い状態になっていた。


 俺はマイクロドローンの胴体下部に取り付けられているバッテリーを外し、ポーチの中に入れておいた予備バッテリーと交換してから、ドローンをポーチの中に収めた。


 これまでであれば、俺とアイツがバディを組んで相互に警戒・援護をしながら行動していたが、マイクロドローンを使ったマーシャとのバディも悪くない。単純な火力は一人分しかないが、相手に気取られる可能性を極力抑えた状態で周囲の警戒が出来るというメリットは、かなり大きい。何より、仮にマイクロドローンの存在を気取られても、すぐさま命に関わるような事態に陥らないという点では、いざという時の安心感が段違いだった。


 俺は自分の左手首に着けていた腕時計に目を向けた。ボタンを押して文字盤のバックライトを点灯させると、時刻はそろそろ二時四十分を指そうとしていた。

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