Episode 15 組みあがるパズルピース

 玲芳を玄関先で見送った後、マーシャに電話をかけた。数回のコールの後、マーシャが電話に出た。


「コースケ、どうしまシた?」


「いやなに、今一体どこで何をしているのかって思ってな」


「ついさっき、アキコと別れたところです。今はあららぎ駅の前です」


 自宅からあららぎ駅までの間は、徒歩で帰ってくるのには少し距離があった。


「クルマで迎えに行こうか?」


「えっ、本当? それ、とても嬉しいです」


「分かった。じゃあ、駅東口のロータリーに着いたらまた連絡する。それまではどこか、人気ひとけの多い場所で時間を潰して待っていろ」


 それだけ言って、電話を切った。上着を手に取り、靴を履いて、玄関の鍵をかけてマンションの地下駐車場へと向かう。それからクルマに乗り込み、エンジンのキーを捻ってクルマを走らせた。新型コロナウィルス感染症の影響で、街の人通りは少なくなっているとは言え、夕方の主要幹線道路の交通量はそれなりにあった。


 約十五分後に、あららぎ駅東口のロータリーに到着した。クルマを一般車乗降場の一角に停車させ、再びマーシャに電話する。


「マーシャ、今あららぎ駅前に着いた」


「ありがとう。今、本屋さんです。すぐにそっちへ行きます」


 それから数分とたたないうちに、こちらへ向かってくるマーシャの姿が目に入った。クルマのドアを開けて助手席に乗り込んだ彼女は、上機嫌な様子でにっこりと笑った。


「コースケ、ありがとう。今日はとても楽しかったです」


「そいつは良かった。とりあえず、シートベルトを締めるのを忘れるなよ」


 周囲を流れるクルマの動きを見ながら、ゆっくりとクルマを走らせ始めた。街を流れるクルマのヘッドライトとテールライトが、夕闇の中できらびやかなイルミネーションのように輝いている。


「結局今日は、どこで何をしていたんだ?」


 俺の問いに、マーシャが嬉しそうに答えた。


「アキコと一緒にお昼ご飯です。それからあっちこっちお店を見て回って、喫茶店でおハナシしてまシた」


「クエ、って言ったっけか? 結局、最初に声を掛けていた友達とは?」


「何度も電話しましたが、結局連絡がつきませんでした。どうしたのかな?」


 俺はクルマを運転しながら、心の内に小さな引っかかりを感じていた。


「そのクエって子、出身はどこだった?」


「えっ? 彼女、ベトナム人です。学生じゃなくて、えっと……何ていイまシたか」


「外国人技能実習生」


「そう、それ! 私アルバイトだったから仕事辞めるよう言われまシたが、彼女はアルバイト違いまシた。ひょっとして、今日も仕事だったのかな?」


 何となく、嫌な予感がした。決して組みあがって欲しくないパズルのピースが、次々とはまっていくような感じだ。今日は十二月二十八日。役所や一般的な会社などであれば仕事納めの日で、仕事があって連絡がつかなかったというケースは十分に考えられる。


「その子、今電話をしたら連絡がつくのか?」


「えっ? どうしてそんなこと聞くですか?」


 不思議そうに首を傾げたマーシャに、妙な胸騒ぎを悟られぬよう、努めて平静を装って言った。


「仕事で電話に出られなかったのなら、もうそろそろ着信履歴への折り返しの電話があってもいい頃合いだろう」


「そうですね……まだクエからの電話、ありません。もう一度、電話してみましょう」


 マーシャはバッグの中からスマートフォンを取り出し、電話をかけた。


「ダメです。クエ、電話出ません。って」


「その子と最後に会ったのはいつだ?」


「えっと、ヒトツキぐらい前?」


「それからは一度も連絡を取っていない?」


「はい」


「その子、国に帰りたいとか何とか言っていなかったか?」


「うーん……クエの他にもベトナムから来てる女の人、何人かいまシたが、みんなそんなこと言っていたかも。コースケ、何でそんなこと聞きますか?」


 自分の方からあれこれとマーシャに質問をしておきながら、俺はそのことを後悔していた。今聞いた話は、あまりにも内容が出来過ぎている。


 だが、それを知ったところで、今の俺に出来ることは何もなかった。きっとそれは、どこにでもあるような話の一つなのだろう。俺の勝手な推測とマーシャの友達の状況がかみ合う可能性は、ゼロではないが百パーセントということでもない。そう思いたい。


「コースケ……何だか顔色とても悪いです、ダイジョウブ?」


 心配そうな眼差しで、マーシャが俺の方をのぞき込むようにして言った。ここでマーシャに心配されているようでは、俺も相当に焼きが回っているのかも知れない。


「大丈夫だ、何でもない……ところで、その手にしている紙袋の中身は何だ?」


 話題を変えたかった俺の言葉に、マーシャは少し恥ずかしそうな笑みを浮かべた。


「前からずっと欲しかった、日本のコミックです。人気ありすぎて、なかなか売ってなかった」


「大学の休みが明けたら、すぐにテストなんだろう? 勉強の方もしっかりしておけよ」


「えへへ、分かってます」


 それから程なくして、俺達は帰宅した。今夜もマーシャが料理を作ってくれるというので、キッチンの方は彼女に任せ、俺は風呂掃除をして、洗濯乾燥機の中にあった自分の衣類を取り出し、自分の部屋へと戻った。


 たたんだ衣類をクローゼットの中の衣装ケースにしまう時、日中に片付けたモデルガンの箱がちらりと視界の片隅に入った。元々はアイツの持ち物だった銃。衣類を片付け終えた俺は、ベッドの上で横になり天井を見上げた。


 もしもアイツが今も一緒だったら、今回の依頼を受けていただろうかと、ふと考えてみた。アイツが一緒だったら、二人一組バディシステムでの現場への潜入が可能だ。目の数が増える分だけ注意力が増え、死角は減らせる。二人で武装していれば、火力も単純に倍だ――だが、それでもなお力が及ばなかったが故に、今ここにアイツはいない。


 逆に、アイツが一人で今回の依頼を受けただろうかとも考えてみた。アイツは表の仕事――探偵やボディガードの仕事をさせれば、俺よりも数段上手うわてだったと思う。だが、今回のような潜入任務スニーキングミッションにおいては、俺の方が能力や適正は上だろうとも思った。あとはアイツの考え方次第だが、ビジネスにおいては非常にドライなアイツのことだから、きっと今回の俺と同じように、余程の理由でもない限り、無理なものは無理だとはっきり言うだろう。


 いずれにせよ、俺達がこれまでやってきた仕事は慈善事業などではなく、あくまでもビジネスだった。依頼の内容を十分に吟味ぎんみし、こなせる依頼をきっちりとこなして報酬を得る。人間誰にだって、出来ることと出来ないことがある。妙な正義感に振り回されて、自分のキャパシティ以上の仕事を請け負うのは自殺行為だ。


「コースケ、ご飯できまシたよ」


 気が付くと、部屋の扉の向こうから顔だけを覗かせたマーシャの姿があった。ぼんやりと考え事をしているうちに、随分と時間がたっていたようだ。


「ああ、ありがとう。今行くよ」


 リビングに向かい、テーブルの席に着いた。目の前に並べられているのは、白米が添えられた肉を煮込んだらしい料理とサラダ、そして黒パンのスライスだった。


「今夜のご飯、ビーフストロガノフとオリヴィエ・サラダです。これもロシアでは一般的な料理ですよ……って言っても、ちょっと材料はオリジナルですが」


「いや、なかなか美味そうだ」


 マーシャが席に着いたところで、スプーンを手にしてビーフストロガノフを口にしてみた。


「うん、美味いよ」


「それは良かったです……でも、やっぱりコースケ元気ない。本当にダイジョウブ?」


「色々と考え事が多くてね」


 俺が苦笑すると、マーシャは心配そうな表情で言った。


「チェンサンに、何か言われたですか?」


 マーシャは妙なところで、非常に勘が鋭い。


「なに、仕事の話をされたが、無理な内容だったから断ってきただけだ」


 次にオリヴィエ・サラダという料理を口にしてみた。野菜やゆで卵がさいの目に切られていて、それをマヨネーズをベースに塩コショウで味付けしてあるようだ。少し口当たりが柔らかいのは、サワークリームか何かを一緒に使っているのだろうか。


「うん、これも美味い。ありがとうな」


 しばらくの間、俺達は無言で食事を続けた。その沈黙を破るかのように、マーシャがぽつりと言った。


「コースケ、チェンサンとどんな話があったのか分からない……でも、コースケが自分で決めたこと、たぶんそれが一番。落ち込むことないですよ」


「……」


「シンゴいなかったら、出来ない仕事だったんでしょう? コースケ、一人で抱え込んで悩むの良くないですよ」


「ああ、分かっている」


 ぼんやりと答えた後、ふと思い出したことを口にした。


「そう言えばマーシャ、今日の午後、玲芳リンファンがうちに来てくれたんだ。キッチンに月餅ユエビンの入った紙の箱があっただろう?」


「ユエビンって、中国のあの丸いケーキ?」


「玲芳が手土産に持ってきてくれた分の残りが、まだあと四つある。後で一緒に食おう」


 それから再び、俺達は静かに夕食を続けた。夕食を食べ終えたところで、マーシャが食器の後片付けをし始めてくれた。


「晩飯を作ってくれたんだ。食器の後片付けぐらいはするよ」


 そう言ってみたが、マーシャは何とも言い難い笑顔で被りを振った。


「コースケ、今、凄く疲れています。ゆっくりしていてクダさい。私、この家に置いてもらっています。せめてご飯のことぐらいは任せて」


「……分かった。じゃあ、今はマーシャに少し甘えようか」


「それでいイです。良かったらコースケ、先にお風呂入ってクダさい」


 流石に今日は色々な話があって疲れていたので、マーシャの好意をありがたく受け取っておくことにした。風呂に入って汗と疲れを流し、風呂の湯を入れ替えて、部屋のベッドに横になる。


 部屋の時計に目を向けると、二十二時を回ろうとしていた。ついうとうととしかけていたところで、ベッドサイドチェストの上に置いていたスマートフォンが鳴った。プライベート用の方だった。発信者は「グローバル企画」となっていたが、これは陳さんの店の固定電話の番号を登録する際の偽名だった。


 陳さんがショートメッセージを送ってくることは時々あったが、店の固定電話から直接電話をしてくることは、今までほとんどなかった。少し緊張しながら、電話に出た。


「もしもし?」


「まさかとは思うんだけれども、まだそっちに玲芳はいるかい?」


 陳さんの単刀直入な質問に、俺も簡潔に答えた。


「いや。十七時半頃には帰ったよ」


「……」


「一体どうしたっていうんだ、陳さん?」


 しばらくの沈黙の後、陳さんの沈痛そうな声が聞こえてきた。


「鳴沢、済まないが仕事の準備をして、今すぐうちの店に来てくれないか。大至急だ」


「何があったんだ?」


「電話では言えない、店に来てくれたら話す。頼んだよ」


 それだけ言うと、陳さんからの電話は一方的に切られた。


 こんな電話がかかってくるようなことは、今までに一度もなかった。玲芳について尋ねられたことといい、非常に嫌な予感がした。


 クローゼットの中から、以前使っていた仕事道具一式を収めたままの、大きめのボストンバッグを一つ取り出した。バッグのチャックを開け、その他必要な道具をいくつか中に放り込み、再びチャックをしめる。


 今更こんなものを持ち出して、一体何が出来るというのか――頭の中でそう思ったが、俺の身体はまるで習慣づけられたかのように、俺の意志とは関係なく動いていた。


「ちょっと、コースケ……その大きなバッグ、一体何ですか?」


 振り返ると、部屋の入口のところでマーシャが呆然と立ち尽くしていた。


「少し用事が出来た、悪いが今から出かけてくる」


「……一体どこに行くですか?」


「それはお前が知る必要のないことだ」


 部屋の入口にいたマーシャをそっと押しのけ、足早に玄関へと向かった。その途中に見えたリビングのテーブルの上には、月餅を乗せた小皿と湯気を立てたティーカップが二組あった。


 玄関の靴箱の奥からシューズバッグを取り出し、左足を靴に突っ込んだ俺の背中に向けて、マーシャが緊張の入り混じった声で言った。


「チェンサンが言っていた、仕事の話ですか?」


「……」


「あの時コースケ、相棒いないから仕事無理って言ってた。それなのに、何でチェンサンのところ行くですか」


 俺は左の靴を履き終え、今度は右足を靴に突っ込みながら答えた。


「さあな。俺にも良く分からないよ」


「コースケ……少しだけ待つです。私も一緒に行きます」


 突然のマーシャの言葉に驚いた。そしてつい反射的に怒鳴ってしまった。


「駄目だ!」


「嫌です! 今のコースケ、一人で行かせることなんて私できない。今日のコースケ、ずっと凄く顔色悪かった。このままじゃ、絶対に良くないこと起こる」


 俺は肩越しに振り返り、マーシャを見た。彼女の青い目には、うっすらと涙が浮かんでいた。


「コースケ、私の大事な友達。友達困っているのに、私ほっとけない」


「今回の件は遊びじゃないんだ、ここで大人しく待っていろ」


「嫌です!」


 マーシャはぐいと涙を拭い、大慌てで部屋に戻ると、ダウンジャケットだけを手にしてすぐに戻ってきた。そして、いそいそと自分の靴を履き、仁王立ちのような姿で俺の前に立った。


「さあ、私準備出来まシた。一緒に行きましょう」


 俺は更に何かを言いかけたが、途中で諦めた。陳さんの用件は、おそらく今日聞いた話に関連していることなのだろう。俺の答えはきっと変わらないのだろうが、玲芳が関係している可能性だけが非常に気がかりだった。


 ただ黙って、玄関のドアを開けて外に出た。マーシャと口論をしている時間の方が惜しかったからだ。マーシャが俺の後に続いて外に出て、玄関の鍵を閉めた。

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