Interlude. After Irvena Incident

「アタシ、今日でここやめようと思います」

「突然だね……何かあったのかい?」

「アタシのパンの可能性を試したいんですよね」


 ある日のイルヴェーナ。この日も人々や物品が行き交い、街並みは何事もなかったかのように賑わいを見せている。つい先日、ここらへんでグスタフさんが襲撃されたってのに呑気なものよね。


「……そうか。君が来てからここも繁盛するようになった。特にあのジャムパン、あれは君の持ち込みだったよね」

「そうですね、あのジャムは特製ですから。店長にはよくしていただきましたし、地元秘伝のレシピも既に店長は知っている。もうアタシがいなくても大丈夫ですよね」

「……それでも君がいなくなると寂しくなるよ」


 まぁここにいる用が無くなったってのが正しいんだけどね。アタシも随分と甘くなっちゃたわ。こんなパン屋に情を感じるなんて。まぁこれもあのお方の思し召しだから、アタシはペコペコ従うだけなんだけどねぇ?


「長い間お世話になりました。店長さんもお元気で」

「ああ、君も元気でな……イローミャ」


 パン屋の店員さんが総出で見送ってくれるのはありがたいんだけど……まぁ長く居すぎたわね。ここも無駄に有名になっちゃったみたいだし、次からはもう少しお人好しなことはしないようにしましょう。


 アタシは隣の建物を見ている。そこはかつてちっちゃい女の子が営んでいた鍛冶屋だった場所だ。その入り口は固く閉ざされていて、表には張り紙が貼られている。店主が長い旅に出るので長期閉店するというグスタフさん直筆の張り紙だ。結局あの後あの二人は仲直りできたのね。元から不穏ながしていたけど、その匂いもとうに消え失せている。


「(それにしても最近はよくプトレ兵を見るわね)」


 あの一件が起きて以降、街中にプトレ兵とみられる人が明らかに多くなっているような気がする。ああいう人たちって多めにパンを買っていってくれるし、女の子に免疫がないからいいカモだったんだけどこう見るとちょっと怖いわね。まぁその理由は大体分かっているのだけれど。


「(あのシスターのコンビのせいよね)」


 ある日から隣の鍛冶屋に居候するようになった二人の少女。よくうちのお店で買い物してくれる笑顔の絶えないちっちゃい子と、その子を守るように帯剣までして隣にいる怖いシスター。あの二人のどちらかからアタシはの匂いを感じ取っていた。


 そしてあの日の夜、アタシはその匂いの在処を見つけた。隣の鍛冶屋が騒がしくなったと思ったらそこから四人の女の子が飛び出してきて。それから大通りでの戦いだ。あの鍛冶師の女の子、すっごい武器を持ってたわね。あんなものを直撃したら多分アタシでも内蔵のひとつやふたつグチャグチャになるんじゃないかしら?


 あとはエルフの女の子もいたわね。あの子は地味だけど……敵には回したくない、そんな目をしていた。何よりもあの子、銃撃の精度が他のボンクラと比べても段違いよ。おそらくあの強力な一撃を決めるための牽制だと思うのだけれど……その牽制でプトレ兵の足を撃ち抜いて動きを鈍らせていた。それが単発式のものならまだしも、反動でブレが激しい連射式の銃でやれるんだから相当よ?


 でもあのカバンを持ったちっちゃい子は……なんなのかしら? あの子からは何の匂いも感じ取れなかった。きっと取るに足らない存在ね。まぁ本命はその付き人にあったわけだけど。


 あの匂いはアタシたちののもので間違いない。まだまだほんのりと分かると言った程度だけれど、アタシの鼻をごまかすことはできないよ。


 アタシたちの主……様はある日突然消息を絶ってしまった。そのためにアタシたちは世界中に捜索部隊を送って魔王様の手がかりを探している。何十年と探し続けて消えたはずの手がかりは今ここに突然現れた。


 星の降る世界で威厳を示す翼がアタシに対して服従を迫る。下々を見下すその目でアタシのほうに視線を感じたとき、思わず平伏してしまったほどだ。この情報は既に仲間に伝えられ、あの女を城へ迎え入れる準備も既に整えている。それでも、魔王様の置き手紙のせいもあってかアタシたちは直接手を下せないでいた。


「『見つけてもその周囲には手を出すな』……ねぇ。随分とお人好しじゃないかしら?」

「そうかな」

「……突然出てくるのは心臓に悪いわ」


 路地裏から声が聞こえてくる。その声の該当者はただひとり。この硝煙にまみれたような匂い。それでいて私たちに不快さを与えないような淫靡な香りを放つ存在。淫魔の血を引いているはずの私たちのクセに無駄にスレンダーな異端児。そのくせにぴっちりとした黒のボディースーツがエロさを引き立たせているその女。私はやや呆れたような感情を込めて彼女に話しかけた。


「それで、貴女の任務は終わったのかしら? シノ」

「否、まだ彼女は開花に至っていない」

「彼女って……あの無味無臭ちゃん?」

「是」


 魔王様直轄の暗殺部隊、その隊長であるシノは今は魔王様の捜索部隊の一員になっているはずだった。しかしどうやらシノはシノ自身の意志で行動を起こしているらしい。


「魔王様は彼女の存在を善しとしている。手を出せば魔王様の意志に背くことになる」

「やっぱりシノもあのシスターが魔王様だと踏んでいるのね」

「是。魔王様は自らの意志であの少女……アルセーナを守ると誓いを立てているようだ」

「へぇ……それでどうするの? アンタもリリシアナに行くつもり?」

「是。我は魔王様を守る影」


 前々から思っていたのだけれど、シノって言葉遣いが変よね? なんというか私たちと違う世界観で生きているような、そういう根付いた文化の違いみたいなものがあるのかしら?


「ならちょうどいいわ。貴女も同行しなさいシノ」

「感謝。プトレの干渉を防ぐには都合がいい」


 シノがさっきまでの無駄に目立つスーツから、一般的な冒険者然とした服装へと一瞬で変化する。白いリボンで結ばれた黒髪のポニーテールと、人を見定めるような流れる目こそ恐怖感を与えるが、その見た目で私たちを魔族の一員だと勘ぐる人はいないだろう。


「夜になったら空でも飛ぶ?」

「是」

「その時はアタシが抱えてあげるわ。アタシ、意外とアンタのこと気に入ってるのよシノ」

「……感謝」


 少し顔が赤くなっているわね。同じ淫魔なんだしこんなくらいで顔を赤くされても困るのだけれど……まぁそれがシノの魅力でもあるのよね。アタシたちもリリシアナへの一歩を踏み出す。なんであの無味無臭ちゃんを守らないといけないのかとは思うけど……それが魔王様のためだってならアタシたちは従うだけよ。


 アタシたちを救ってくれた魔王様へのご恩はこんなくらいじゃ返せない。それが私たちの行動原理なのだから。

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