Lilly12. 百合の萌芽

「本当にこの中に入れるんですか?」

「魔物でテストしたから大丈夫」


 イルヴェーナ北部の関所が目前に迫ろうという時、私たちはかねてより練り上げていた計画を実行することになった。関所に入るのは白昼堂々。私とアーシャ姉が、私のカバンの中に隠れてそのカバンをミオさんが持ち込むことで亡命を成功させようというのだ。


 確かにこのカバンの中身をいちいち詮索されることはあまり無かった。詮索されたとしても、無限に入るカバンを無限に調べていたらキリがない。妥当ではあるものの、私はこのカバンの中がどうなっているかを知らない。多分入っても大丈夫なようになっていると思うけど……多分!


「とりあえずアルセーナさんを入れましょう」

「うん……戻ってこられそうになかったらカバンを思いっきり振れば多分出てこられると思うから」

「了解です。じゃあ……入れますよ!?」


 自分自身のカバンの中に入るなんて初めてのことだ。カバンの中は何もない真っ白な空間で、そこに入れられたものが無造作に散らばっていた。ポーションの薬瓶や今朝しまった野営セット、他にも様々なものが転がっている。


「聞こえますかー?」

「うん、聞こえるよー!」

「……ちょっとくぐもってるけど一応音は通るみたいですね」


 音が聞こえるというのもありがたい。外でどうなっているかが分かるというのはとてもありがたいことだ。


「一旦取り出してみますね」

「うおっ」


 服の襟をつままれる形で私がカバンから引き出される。その様子にミオさんは驚いていた。こういうカバンってよくあるものって聞いてたからそんな驚くことじゃ無いと思うんだけど。


「ほんとになんでも入るんだ……」

「収納魔法付きのカバンよ。そんなに珍しいものじゃないでしょう?」

「珍しいですよこれ! というかそんなもの聞いたことないです!」

「イルヴェーナでは流通していないのね」


 イルヴェーナは交易都市だと聞いている。そんな都市で流通していないものならばこのカバンは相当レアなものなのでは? アーシャ姉、そんなレアものを私にくれたってこと!?


「でもこれなら通れるはずです! では二人とも入ってくださいね!」

「行こう、アーシャ姉!」

「そうね」


 そうして私たちはカバンの中へと入っていく。無機質な空間を見回しているアーシャ姉は興味津々といった感じであたりを見回していた。


「それじゃ今から行くんでおとなしくしててくださいね!」

「わかったよー!」


 ミオさんが草を踏みしめる音がうっすらと聞こえてくる。おそらく今関所に向かって歩いているところだろう。それでもここには揺れひとつ感じさせないというのはすごいものである。全く別の場所に飛ばされているような、そういう感覚だ。


「アルセーナ」

「なにアーシャ姉」

「キスしてほしいの」

「えっ」


 時と場所をわきまえてほしい。というか最近は怖いアーシャ姉になってないんだからキスすることもないはず。はずなんだけど、なぜかアーシャ姉の下腹部にはあの時と同じ紋章が光っていた。妖しいハートマーク状の意匠があしらわれたそれは見るからにヤバそうな代物だ。こんなものをつけているところを見られたらもうまともに街中を歩けなくなる。


「アーシャ姉? どうしちゃったの?」

「目の前に美味しそうな果実があってそれを奪うものがいない。なら食べないという選択肢はないはずよ」


 直感的にアーシャ姉を突き飛ばす。アーシャ姉は驚いたような表情でこちらを見ているが私が言い放つ言葉は変わらない。


「あなた、アーシャ姉じゃないよね。誰?」

「……あーあ。バレちゃったか~……そうだね、ご明察だ」


 アーシャ姉の身体に変化こそないものの、口調が怖いアーシャ姉になったときの感じに似ている。おそらく今のこの状態が怖いアーシャ姉になった原因、そしてあの力を使わない原因だ。


「そうだね……私は『黒百合の精』とでも呼んでくれればいい。ちょっとこの子の身体を間借りさせてもらっているんだ」

「アーシャ姉を返して!」

「もちろん返すよ。ただそれはボクの話を聞いてからにしてほしいなぁ」


 不敵な笑みを浮かべるアーシャ姉。見た目だけはアーシャ姉だが中身は全くの別人だ。


「ボクは君と敵対したくないんだ。アルセーナ、いや敢えてこう言わせてもらおうか。『白百合の姫』とね」

「白百合の……姫?」


 ユリの花は知っている。白い花をつかせる綺麗な花だ。教会の花壇でも育てていたからよく覚えている。黒百合という種類があるということも勇者さまから聞いたことがある。だから百合の精とはそういう意味なのだろう。


「君はボクの祝福を受けた大事なお姉さんがもたらした力を目の前で見ている。そうだろう?」

「……うん。あの剣で私を守ってくれた」

「そうだ。人々は花の祝福を受けている。だがどの花がどんな祝福を与えるかは分からない。そしてその祝福の意味を理解した者は強大な力を手にする」

「……強大な力」


 力があればアーシャ姉やミオさんを守ることができる。なにもできず、ただ荷物を輸送するだけの不甲斐ない自分からも卒業できる。そんな甘言を想像してしまった。


「ふふっ、そうだ。その目をボクは求めていた。アルセーナ。君の力はあまりにも強力すぎる。強すぎるからこそ多重の封印をかけられているんだ。まだその力は君の中で芽吹いた直後と言っていいだろう」

「……芽吹いた直後」

「これが育ち満開の花を咲かせたとき、その力は真に解放されるだろう。その力があればもう昔の弱い自分から卒業できるってことだ。どうだい? 素晴らしいと思わないか?」


 確かにその力が目覚めればみんなを守ることができるのかもしれない。ひょっとしたら私の冤罪も晴らされて、元の村で平穏な暮らしができるのかもしれない。それでも私は、私は!


「私はそんな力は必要ない。身の丈にあった力でサポートできればそれでいい!」

「……なるほどね。その道は善意で舗装された地獄への道だ。君は必ず芽吹いた花を育て上げ、満開にさせる。でもその花をアーシャが見ることはない」

「アーシャ姉が!?」

「せいぜい足掻いてみな? こいつがあの剣をもう一度抜くことがないように……ね! アハハ!」


 そうやって笑いながら怖いアーシャ姉が私へと歩み寄り口づけを奪う。それは元のアーシャがやってくれた優しいそれではなく、一方的に私の唇を貪り喰らうような乱暴なものだった。私はそれに耐えるしかない。この時のキスはどうしようもなく甘くて、どうしようもなく苦かった。


 そしてしばらくするとアーシャ姉が意識を失ってバタリと倒れてしまう。とりあえず今はアーシャ姉を起こすのも忍びないので放置。


 外の様子はというと、ちょうど今検疫をウケているところで、このカバンも検査にかけられているようだ。ファスナーが開けられ、男の人と思われる手が突っ込んでポーションや薬草を確認すると、そのままバッグに戻されていく。どうやら私たちが見つかるということにはならなかったようだ。


 かくして私たちはイルヴェーナへの亡命に成功する。ひとまずの安寧を手に入れた私たちは、プトレ皇国に帰るために仲間を集めることが大きな目標。それよりも前に今はミオさんの武装の完成。やることはいっぱいだけど、アーシャ姉とミオさんがいれば大丈夫だ。あとは心の中にいる勇者さま。


 勇者さま、私新しい道を踏み出しました。勇者さまとまた会えたら……その時は成長した私を見せられるでしょうか?

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