第30話「研がれた牙」
父さんのことは放っておいて俺も飯にありつくことにしよう。
今日のメインはロースカツだ。特製の醤油ベースのタレをかけていただこう。
サクッ、ジュワ〜ッ。
う、うんま〜っ。
噛んだ際の軽快な食感とは反して重厚な肉汁が口の中に広がり、そこにかけたタレが調和すると舌の上で旨味が爆発する。
それはさながら不在だったドラマーがライブに途中参戦し、オーディエンスが一斉に沸き立つ光景のよう。
「武田さん、今日もめちゃうま最高」
「ふふっ佐原くん、それは今日お母さんが作ったんですよ」
「なんですと! 母さん美味いよ。腕を上げたね。免許皆伝だ」
「ありがと。けどなんで勝手にあんたが免許皆伝してんのよ。まだ10分の1も教わりきってないわ」
武田さんに弟子入りした母さんは一時期どうなることかと思ったが、こうして着実に腕を上げていることは間違いない。
それにしても武田さんはどこで料理を教わったんだろう。もしかして独学か? これぞ生まれ持った才能ってやつですかね。ちょっくら聞いてみよ。
「それにしても武田さんはなんでそんなに料理うまいの?」
「母が料理好きだったので、物心ついたときには自然とキッチンに立ってました。あまり教わったという感覚はなくて、気がついたら自然と身についていたという方が表現としては適切かもしれません。もちろん母の受け売りであることに変わりありませんが」
「へぇ〜、そうなんだ。武田さんのお母さんは料理関係の仕事してるとか? もはや趣味とかいうレベルじゃないような気がする」
「……そうですね」
「なんだろうなぁ〜、あっ、もしかして料理研──」
「違います」
「料理──」
「違います」
被せて否定された。2回目は言いかけで否定されました。何かあるんだろうな。あまり聞かないでおいた方がいいだろう。
武田さんは咳払いをすると、この話題は終わりと言わんばかりにお題を変えてきた。
「ところで佐原くん、今日のプールはどうでしたか?」
「楽しかったよ。武田さんも来ればよかったのに」
「立花さんと……変なことしてないですよね?」
「…………し、してないよ。何を言い出すんだね武田氏は」
「したんですね?」
タイガーマスクの隙間から覗く瞳は鋭く、獲物を狩る本物の虎のよう。
だが待って欲しい。いろいろと不可抗力なのだ。一つ一つ丁寧に説明すれば絶対に伝わるはず。俺は今からムツゴロウさんだ。
「誤解だよ武田さん。確かに立花さんに日焼け止めをヌリヌリしたり、流れるプールで同じ浮き輪に入ったりはした。けど、カキ氷の間接キッスは俺の勘違いだったし、ビキニが外れそうだったからちょっと上からソフトタッチしてしまったくらいなんだよ。決して、断じて、やましいことはなにもなかったんだよ」
「あ……アウトじゃないですか! はぁ……こんなことなら我慢してでも私も行けばよかったです……」
いや、武田さん。その格好でプールはさすがにまずいですよ。入園前に通報されてリングの上に強制送還ですわ。
とりあえず危機は乗り切ったようだ。ちゃんと指もある。
あれ、俺なんで必死に弁明してんだろ。
何故だかマスク越しから伝わるしゅんとした武田さんに、俺は無言で茶碗を差し出した。恒例となっているお代わりの要求に対し、武田さんは何も言わずに茶碗を受け取るとキッチンへと姿を消した。
「あららぁ、お兄ちゃんやっちゃったね〜。ほんと、デリカシーがないんだからー」
「すまんな美紀、俺は今キッチンにいる虎に対してどう配慮していいのか決めかねているのだ」
「そんなことしてるといつかガブッと噛まれちゃうよ?」
「出来れば甘噛みでお願いします」
「あのねお兄ちゃん、虎は2頭いるんだよ?」
「え、どういう──」
「お待たせしました」
「ありがとう武田さん」
武田さんからホカホカのご飯が盛られた茶碗を受け取り、再びロースカツをおかずに食べ進めた。ウマウマ。
深いことは考えずに今は飯に集中しよう。
*****
夕食後に美紀がゲームのコントローラーを俺に渡してきた。これはこの間のリベンジのチャンスだ。今度こそボコボコにしたらぁ。
しかし対戦相手は美紀ではなく、ゲーム初心者の武田さんだった。
ゲームソフトはこの間やった格ゲーだ。
まぁ? 相手は武田さんだし? ちょっと手加減してやらんでもない。
武田さんが使用するのはブランカ。緑色の肌をしたゴリラのようなキャラだ。
いざ、尋常に勝負!
そりゃ、くらえ、こりゃ……くっ、ちょ、ちょっと手加減しすぎたかなぁ。次だ次。
ふりゃ、喰らえ、瞬獄殺──スカッ。あ、あれれ? ちょ、武田さん、強くね?
ガブガブガブガブガブ。
「あ゙ぁぁぁぁ、や、やめて、死んじゃう〜!」
どうやら俺の知らないところで、美紀は密かに虎の牙を研いでいたようだ……。
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