第19話「ブタになる」

「なぁ妹よ」


「な、なんだね兄よ」


 俺はリビングのソファで寛ぐ妹に話しかけた。晩飯前だってのになんかパクパク食ってる。というかなんかデジャヴな気がする。


「折り入って頼みがあるんだが」


「プリン2個」


 な……プリンを2個も要求してくるだと? いくらなんでも足元見過ぎやしないか。だが仕方ない、これも必要経費だ。


「いいだろう」


「ふむ、話を聞こう」


「俺は昨日、間違って出張マッサージを頼んでしまったかもしれん。だが、玄関を開ける勇気がないんだ。もしも、もしも来たら俺の部屋に案内してくれないか?」


「よく分からないけど承った。ということで冷蔵庫から2個目のプリンを取って来てくれたまえ」


「おい、既に1個目食ってたんかい」


 しかも今回は悪びれる様子もなくさも当然のような態度を取りやがって。

 なに目で訴えかけてやがるんだ。あぁ分かったぞ、美紀の言いたいことはこうだな。既に取引は成立していると。


 まぁいいよ、今回はどの道あげることになってたんだ。

 でも、次は、本当に、頭グリグリの刑だからね?


 *****


 ドキドキ、ドキドキ。

 ドキドキ、ドキドキ。


 ダ、ダメだ。自室なのに全然落ち着かない。

 いつ玄関のチャイムが鳴るかと思うと気が気じゃない。

 こうなったら外部の音を遮断するしかないか。俺はヘッドホンを装着してようつべから『うるさいですね』をリピート再生した。

 落ち着くために目も閉じよう。


『うるさい、うるさい、うるさいですねー』


 もう何回うるさいって言われたか分からなくなったところで俺のケツを誰かがバシバシと叩いた。


 イタイですね……つぶっていた目を開けるとそこには何やらあわあわしてる妹がいた。


 なんだ、出張マッサージのお相手は実は美紀だったのか。それならそうと早めにいってくれよ。とりあえず俺のプリン返せ。

 俺は装着していたヘッドホンを外した。


「チェンジで」


「なに言ってるのお兄ちゃん! あれはヤバいよ! 一体いくら絞り取られるか分かったもんじゃないよ! お兄ちゃん破産してもお金貸してあげないからね!?」


「あの……入ってもいい?」


 少しだけ開きかけた扉から顔を覗かせたのは皆まで言わずとも知れたお方。

 ほ……本当に来ちゃったよ。


「あ、どうぞ」


「お兄ちゃん!?」


「美紀、俺は覚悟を決めたよ」


「お兄ちゃん……分かったよ」


 美紀は戦場に兵士を送り届けるような瞳を向けたあと、部屋から出て行った。

 俺は瞬時に通帳の金額を思い出す。無理だ、破産です。とりあえず金額の確認だけはしておかねば。


「30分おいくらですか?」


「ふふ、お金なんて取らないよ」


 タダ……だと? 立花さん、世の中にはこういう言葉があるんですよ。タダより高いものはないって。


 俺は困惑しつつも立花さんの指示でベッドに仰向けになった。

 枕をベッドの中央に置いて、膝下をベッドの外に投げ出すような形だ。


 そこに立花さんが頭側の方からベッドに上がり込む。マットレスが沈み込み、ふわっと甘い香りが鼻孔をくすぐる。

 ヤバい、何これ。まだ何もされてないのに昇天しそう。


「それじゃあ始めるね。寝ちゃってもいいから」


 そう言って立花さんは俺の頭皮を優しくマッサージし始めた。


 ほわ、な、な……チョー気持ちいい……。


 立花さんのしなやかな指が動くたび、気持ち良すぎて全身の力が抜けてゆく。

 巷ではドライベッドスパで有名な猪八戒のきもちとかいう名店があるらしい。

 もしかしてその姿は仮初かりそめで、あなたはそこから来たブタさんスタッフですかね。


 いや、むしろ気持ち良すぎて俺がブタになりそう……。


 あぁ……眠くなってきた……もう意識が……。


 むにゅ。


 あぁ、気持ちいい……。


 むにゅ。


 頭に柔らかいものが……。


 むにゅ。


 ん、ちょっと待て、むにゅ? むにゅってなんだ、この感触。あの……これってもしかしてあれですかね? 歯医者に行くと当たるやつ。男なら全神経をそこに集中しちゃうやつ。


 まずいまずいまずい、もう寝るとかそんな話じゃなくなってくる。

 何とは言わないけど起きちゃうんですが。

 言った方がいいんですかね、当たってますよって。Fが。


 納刀納刀納刀納刀納刀……。

 俺はしばらく自分と格闘していた。

 な、なんとか耐えきった。


「じゃあ次はうつ伏せになってね」


 今度は枕を通常の位置に戻してうつ伏せになった。

 そこに立花さんが俺を跨いでベッドに上がり込む。


 肩から背中にかけてマッサージが始まった。

 程よい力加減、絶妙な指圧。

 これまた……気持ちいい……。


 あぁ、ダメだ……意識が飛ぶ……。


 マッサージは臀部から太ももへと移行。

 そこからはもう記憶にない。抗えない生理現象。


 一つ言えるのは抜刀してしまったということだ。

 あぁ……うつ伏せでよかった。


 ノックの音が聞こえると立花さんが俺の代わりに返事をした。美紀が様子でも見に来たか?


「佐原くん、ご飯ができたのですが……な、なにやってるんですか!? どうして立花さんがいるんですか?」


「あの、それはこっちのセリフなんだけどな……ご飯ができたってどういうことかな?」


 とりあえず俺は寝たフリをした。

 だってまだ、起き上がれないぶひ。

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