尽くされた想いは色褪せない

 そのころ、敵を倒すごとに勘を呼び覚ます影政は、寸分たがわない自己把握能力で効率よく立ち回ったことにより、苦労することもなく、あれから2体のワーウルフを殲滅していた。

 残りの4体のワーウルフは、余裕のできた果凛を筆頭に倒されていた。

 ただ残念なことに、重傷者が出てしまった。

 そのため、皆の士気はそれほど高くはなかった。

 それにまだ、一番厄介そうなブラックワーウルフが生きている。

 柳生隊の面々は、急いで回復薬を飲みだした。


 一方の兄妹は、過激な戦闘の繰り返しによって、ワーウルフの深紅に煌めく返り血を全身に浴び、あたりに濃密な血の香りを漂わせていた。

 影政は、中級回復薬を綺羅に投げ渡し、すぐさま、苦戦している母の主戦場に歩みを進めた。

 そして、ブラックワーウルフに脅すようにな魔力風を叩きつける。


「苦戦しているようだな。手助けするよ、母さん」


 ブラックワーウルフは状況の悪さを見てとり、うしろに大きく飛び跳ねた。


「……影政? 何をしているの!」


 藺草は、ふいに距離をとったブラックワーウルフを睨みつけたまま、そう叫んだ。

 影政は聞きなれたいつものその声に、まだ活力が宿っていることを知り、安心して優しく微笑んだ。


「うしろの敵はすべて殲滅した。いまならば、こちらを振り返っても大丈夫だ」


 藺草はなにを馬鹿なと言いたげに、前方を警戒しながら、さっと振り向いた。

 彼女は、影政のどす黒い魔力オーラに圧倒されたかのように一瞬ふわついたが、それだけだった。

 血濡れた人は何人も立っている。が、そのなかにワーウルフの姿はなかった。

 綺羅も結末を見届けようと、青竜偃月刀にしがみつき、立ち上がっていた。

 そのため、藺草にもほんの一時の安堵が訪れた。


「ほんとう……なの?」


「これはいったい……」


 厳正も、状況確認をすばやく済ませた。

 しかしそこには、一瞬の安堵もなかった。


「見てのとおりだ。ここからは、おれがあの厄介なやつの相手をしよう」


 手助けをするとは言ったが、影政はひとりで戦う意思を明確に示した。


「無茶よ! わたしでも苦戦しているのに!」


「これ以上、命の灯を散らす必要はない。いままで、よく耐え忍んでくれた。ありがとう」


 優しさのこもった彼の口調に、藺草は小さく震えていた。


「なによそれ……わたしだってまだ……」


 戦えるとい言いたかったのだろうか。しかし、藺草からそれ以上の言葉はでてこなかった。ただ大剣をギュッと握りしめ、彼女は肩を震わせている。

 その姿は、力足らずを恥じ、悔しさを押し殺しているようにも見えた。

 生粋の戦闘民族ゆえの葛藤があるに違いない、と影政は思った。


「任せても、いいのね?」


 影政が全身に纏うどす黒いオーラは、すべてを無に帰す絶望と錯覚させるほどに強い力を秘めていた。それはこのような状況下にあってなお、暢気な会話ができる程に。


「ああ、まかせてくれ。いまはなんでか、負ける気がしない」


 影政は迷いなく即答した。


(尽くされた想いは色褪せない。いつも体調が優れず寝たきりで、窓の外を眺めるだけの生活だったこのおれに、家族は嫌な顔ひとつ見せたことがなかった。それどころか、色々なことを手伝ってくれたり、暇をつくっては、お喋りをしにきてくれた。感謝してもしたりない。いままで実感したことのない感情だったけれど、これが愛情だと理解するのに、それほど時間はかからなかった。すごく、幸せな、優しい時間だったように思う。だけど、何もかもを貰ってばかりいては、心ない。それでは転生した意義を見いだせない。家族の役に立てることならば、おれはどんなことだってする覚悟がある。

 思い返せば、おれは15年間生きてきたなかで、一度も家族に恩を返したことがない。恩を返す機会がなかった、と言えばいい訳がましいかもしれないが、その機会すら与えてくれないほどの愛情を、家族はずっと注いでくれていたのだ。これはもう大恩といっても過言ではなく、一生をかけて、返礼していくべきものなのだ。重い? 知らない。拒否されてもやめてやらない。お互い様だ。そうやって家族と向き合っていくと、おれはもう心に決めている)


 影政は、「人生」を振り返りながら、何者にも侵されない強い信念をもって、ブラックワーウルフの前に歩みを進めた。


 しかし、異変はすぐに起こった。

 頭を振りながら縮こまったブラックワーウルフが、いきなり何事かを呟き、雄々しく咆哮したのだ。


「アウゥーーアァゥウゥゥーーー」


 すると、『収納』せずにその場に放置していた9体のワーウルフの死体から、赤黒い魔力の球体が浮かびあがった。

 そして、その雄叫びに呼応するかのように、それら球体が、ブラックワーウルフにつどい吸収されていく。

 異常な光景だった。


(吠えただけで死体から自然に魔力が湧き上がり、あまつさえその魔力を吸収だなんて、いくらなんでも都合が良すぎる。たとえあの敵が上位個体だったとして、ただの魔物にそんな芸当が、はたして可能なのか? しかし実際に、眼前の敵はそれをやってのけたぞ。あいつ、正気か? 生命体に宿っていた痕跡を示す魔力は、大気に紛れ込んでいる、扱いやすい魔力とは異なるというのに……おもしろい、おもしろいが、くそっ、やっぱり、知れば知るほどってやつか!)


 影政がそうこう考えていると、やはりというべきか、現実は無情だった。

 死体から魔力を吸収したブラックワーウルフが、苦しそうに呻きだしたのだ。

 ブラックワーウルフは自我を必死に保とうと、血の涙を流し、グルルゥと唸り、終いには、吐血する。

 やはり適性のない者が、魔力波長の異なった、他の魔力を取り込むのは愚の骨頂であった。


(よく考えれば、目の前の敵にしても疑問は多い。ブラックワーウルフは、迷宮で出現した魔物であるにもかかわらず、なぜか、理性ある瞳を持ち、執拗な悪意と憎悪に満ち溢れ、言語を使用していた。これは、無視できる内容ではないぞ。……それにしてもやつのあのパワーアップ、地獄からさらに転げ落ちたぼたもちみたいだな。可哀想に、なんらかの干渉が行われているのは間違いないだろう。

 あれ、前にも、こんなやり口、あったな。生物を生物として認識していない、この気味の悪い感覚、覚えがあるぞ。肥えただけの人間が、家畜をお金にしか見ていないような、そんな感覚だ。――ああ、そうか、あのときの! なるほどなるほど、いやーまさかこんなにも陰湿な穴蔵に、天使どもがずっと隠れていたってわけ? 本気? けれどまあ、集団を好み、少数の心に潜るのが得意なあいつらにとっては、さぞ、気持ちのいよい所なんだろうな。あれ、そうするとユルミルのやつ、今頃は天使どもが迷宮の黒幕と知って、深い悲しみに暮れているんじゃないのか?)


 影政はひどく上機嫌に、殺気を周囲にまき散らした。

 友達の悲しむ気持ちを知った愉快さよりも、友達を悲しませた許せない気持ちがすぐに上回ったからだった。

 そして彼は、後方で控える藺草から不安な気配が漂ってきたことを軽微に感じとり、不倶戴天を三度クイックし、肩を反らせ、やる気を十分にアピールした。

 このとき、彼の両手にある不倶戴天の刀身が、怪しく光った。

 しかしそれに気づいた者は、この場に誰ひとりとしていなかった。

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