二人の心境

…ライセが意識を失う、少し前…


カミュは、例の…自らの私室にあたる空間で、唯香と相対していた。


…否、相対という表現は的確ではない。

正確には、カミュは黒水晶に近い材質で作られた椅子に、唯香の体を後ろから抱きしめる形で腰を落ち着けていた。


唯香の綺麗な蒼の瞳… その双眸が、不安に揺れる。


「…カミュ…、ライセは何処に行ったの? まだ用事は終わらないの…?」


その当のライセが、今は記憶から削除されている息子・累世と共に、闇魔界の皇帝と対峙しているとも知らず…

また、その件の闇魔界の皇帝・ヴァルディアス自身が、自らを狙っていることも知らずに…

唯香は会ってすぐにいなくなった息子・ライセのことばかりを、ひどく気にかけていた。


このままでは唯香が憔悴するであろうことが目に見えたカミュは、唯香の気分を落ち着かせるために、片手で優しく抱きしめ、空いたもう片手で、ゆっくりと髪を撫でてやっていた。


「…気に病むな。あれが出かけるのはいつものことだ…

いずれ戻る」


しかし、唯香はされるがままで、カミュの言葉も気休め程度にしか感じられなかった。

それでも、唯香はそんな考えを振り切るように頭を振った。


考えてみれば、ライセはもう、それほど幼くはない。

17歳という、外に出て遊びたい盛りの年齢だ。

よしんば遊びではなくとも、ライセはカミュと同様、この世界の皇族だ。

急用のひとつやふたつくらい出来るだろう。


だとすれば、カミュの言う通り、そう気に病む必要はないのかも知れない。

…どちらにしろ、ここで待っていれば、いずれライセは帰って来る。


「…うん…、そうだね。戻って来るよね」


唯香の口調が、少し明るいものに変化したことを察したカミュは、不意に髪を撫でる手を止め、唯香を抱いていた方の手に力を込めた。

刹那のうちに、唯香の体勢が変わる。

それまでは、片手とはいえ後ろから抱きしめられる形だったのに、今度の体勢は…


「!これってまさか…、お姫様抱っこの着席バージョン!?」


不意打ちで、巧い言葉が出て来ない。

だが、辛うじてニュアンスは伝わったようで…

カミュは浅い溜め息をつくと、唯香の頭上から、どこか呆れたように唯香を見下ろした。


「もう少し気の利いた言葉は出てこないのか?」

「!だ、だって…」


女性ならば、いきなりこんな体勢を取らされれば、誰でも混乱するだろう。

その原因を作った張本人が、こちらの反応を見て呆れているとはいただけない。

唯香は女性を代表して、すかさず反撃に出た。


「あのねぇ、カミュ! 確かにお姫様抱っこは女性の憧れよ!? でも、前置きもなくいきなりこれじゃ、ムードもへったくれも…!」

「…お前がそれを言うのか?」

「!う゛…、な…、何ですって?」


先程まで憂いていたとは思えないほどの反応の早さで、唯香はぴくりとこめかみを引きつらせた。

それこそムードがないと分かってはいたが、ここで更にカミュを増長させるわけにはいかない。

唯香はとりあえず、作戦による歯止めをかけることにした。


「…悔しいけど、どーせあたしにはムードなんてないわよ。女の子に必須なデリカシーだって皆無なのよぅ…」

「…誰がそこまで言った?」


わずかにその整った眉を顰めて、カミュが再び呆れたように呟く。

しかし、ここで大人しく留まっておけばよいものを、カミュは、またしても一言余計に付け加えた。


「今更、お前にそんなものを求めても仕方ないだろう」

「……は?」


気が付けば唯香は、これ以上はないというほど、その動きを固めていた。


…今聞こえたのは…

空耳なのだろうか?


唯香は固まったまま、それでも器用に口だけを動かして訊ねた。


「…カミュ、今…、何て言った?」

「“今更お前にそんなものを求めても──”」


やや尊大な口調で、それでもしっかり呆れ顔を残して律儀に繰り返したカミュに、唯香の固まった表情が、そのままぴくりと引きつった。


「!…誰が反復しろって言ったのよ!?」

「…、お前がそのように仕向けたんだろう?」


噛みつく唯香に、カミュは全てにおいて最上級の呆れを伴って答える。

だが、こうなると…改めて言うまでもなく、唯香の負けだ。


「!…そ、それはそうなのかも知れないけど、何だかあたし…、嫌になるくらい釈然としないんだけど…!」


肩を落として、深い溜め息をつく唯香に、カミュはその全ての呆れを引っ込めた。

同様に深く息をつくと、唯香の視線に、その美しい紫の瞳の見る先を絡ませ、先程とは打って変わって真顔になる。

あまりに美しいそれに、唯香の心臓が、どきりと跳ねた。


…食い入るように、カミュを見る。

かつて、自分を支配していた美麗なるヴァンパイアの皇子は、今も尚、自分を構成するもの全てを支配している…!


「…か…、カミュ…?」


…知らずに声が上擦る。

それは自分が動揺している証。


カミュは狂おしく瞳を閉じた。


「…唯香…

お前を、ヴァルディアスには渡せない…

例え、相手が対立する世界の皇帝であろうとも…

奴になど、絶対に渡すわけにはいかない…!」

「…え? 【ヴァルディアス】…?」


その名前自体が初耳な唯香は、ただ怪訝そうに首を傾げることしか出来ない。


カミュは、静かに眼を見開いた。

そこには明らかに、ヴァルディアスに対しての、突き刺すような殺気が見て取れる。


…神に愛でられたような美貌に相反する…魔が、その感情を貪り、蝕むように、ゆっくりと侵してゆく。



そこに見えたのは、深い…深海よりもなお深い、暗くも蒼い独占欲。

そして窺えたのは…

炎より激しく、嵐などよりもなお荒れ狂う…

相手に焦がれ、乞い求める、ひとつの感情…!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る