父親への反抗

そう叫んだ累世の声は、若干の焦りと…それを上回る程の、期待と喜びに満ちていた。


…ずっと、一人っ子だと思っていた自分に、兄がいた…

そして、その兄は何と、自分と双子だという…!


本来ならその兄には、憧れていた父親を今まで独占していたということで、散々恨み言を言うところだ。

だが、今まで兄弟がいないと思い込んでいた自分に、兄弟がいた…

その事実が、累世の感情から、兄・ライセに対する羨みや妬み・嫉みの感情を、全て取り払っていた。


「…俺に、兄弟が… 兄がいたのか…!」


呟いた累世の声は、その心情を反映してか、喜びと期待に溢れ、まだ見ぬ兄との出会いを待ち望んでいるように窺えた。


しかし、そんな累世の淡い期待を裏切るかのように、唯香の表情が再び曇った。

それに引っかかった累世は、親子という絆が示す勘からか、何かを危惧し、唯香の顔を覗き込む。


「? …どうしたんだ? 唯香」

「ライセのこと…、今まで黙っていて…ごめんね、累世」

「…、それだけか?」

「!…」


何気なく問うている累世の言葉は、唯香の胸に楔のように突き刺さった。

そんな、言いにくそうに口ごもる唯香を見かねてか、代わってカミュが口を開いた。


「…ライセも今頃は、お前という弟の存在を情報として得ているだろう。

だが、恐らくライセは、お前とは異なった判断を下すはずだ」

「どういうことだ? それに、何故そう言い切れる!」


累世は目の前の父親に、反発に次ぐ反発を重ねていた。

カミュは、そんな累世の度重なる暴言にはもはや関心がないらしく、先程のように腹を立てることもなく、ただ…冷たくも低く嘲笑う。


「…解らないか?」

「解るかよ」


累世が忌々しげに吐き捨てる。

そんな累世の様子を見ながらも、カミュはその表情に、累世と出会ってから初めて、憐れみにも近い憂いを浮かべた。


「片親であることへの拘りは、お前もよく知っているのではないか?」

「!…俺が父親に拘っていたように…

兄貴も…、ライセも母親に拘っていると…!?」


累世の、愕然としながらの発言に、カミュは深く頷いた。


「だからこそ、ライセはお前を憎むだろう。…弟である、お前をな」

「馬鹿を言うな!」


累世が先程までの驚きを振り切り、怒りに任せて声を荒げた。


「今まで会ったこともない…、その存在を知ったばかりの兄貴に恨まれる筋合いなんかない!

それに、立場的には俺たちは同じだろう!?」

「理屈は通っているが… さて、あいつがそれを認めるかな」


カミュは不敵に笑うと、再び唯香を捕らえた。

もはや抗う術もない唯香は、せめてもの抵抗に呻く。


「…う…」


唯香の頬が、微かに紅潮したのを見た累世は、先程覚えた怒りを再び沸騰させた。


…そうだ。

まだ見たこともない、兄のことで一喜一憂している余裕はない。

この時点で、何よりも先に、どうにかしなければならないのは…

他ならぬ父親の方だ…!


「唯香を離せと言ったはずだ!」

「こちらが大人しくしていれば… お前などに干渉される謂れはない」


カミュは一転して、蔑むように累世を見る。

その鋭い視線に臆しそうになりながらも、累世は感情全てを振り絞るように声をあげた。


「じゃあ、唯香はそれを望んでいるのか!? …唯香自身が望んでいる訳じゃないだろう!」

「!」


息子としての感情を真っ直ぐにぶつけられ、カミュが険しいままの目を細める。


「…、貴様…」

「俺が気に入らないか!? 気に入らなければ殺せばいいだろう!

恭一や夏紀にしようとしたのと同じようにな!」


…今、父親であるカミュに反抗する糧となる、累世の全ての感情を支配しているのは…

途方もない怒りと、底知れぬ絶望だけだった。


「お前には、俺の兄だけがいればいい! もう…俺には、お前など…必要ないんだ!」

「…累世っ!」


どこか投げやりとも取れる、累世の言葉を聞きつけた唯香が、カミュの手を振りほどき、いきなり累世の頬を打った。


…乾いた音が、辺りに響き渡る。


「!…」


累世は、叩かれた頬を押さえると、呆然と母親を見た。

母親は、手をあげてしまったことに戸惑いを感じているようで、自分を打った方の手首を押さえているが、その反面…

先程から泣いて潤んでいる瞳に、言いようのない怒りも漲らせていた。


「…どうして、父親に…カミュにそんなこと言うの!?」

「!…っ」


累世は、打たれた頬を、そのまま押さえていた方の手の甲で拭うと、今度は、怒りの矛先を母親へと向けた。


「父親だと!? ふざけるな! …こんな奴が…俺の父親であるものか!」

「…それはお前が勝手に抱いていた幻想と比較しているからだろう」


累世の心境を軽視するが如く、カミュが冷めた口調で告げた。

それに累世は、内心では図星を突かれていると思いながらも、それに打ち勝つ怒の感情でもって、父親と渡り合う。


「…父親らしいところが何ひとつないお前に、そんなことを言われる筋合いはない」


素っ気なく言い捨てて、累世はその部屋から出るためにか、その入り口に歩み寄り、扉に手をかけた。

…何かを察した唯香が、息子に訊ねる。


「!る…、累世、どこへ行くの!?」

「…こんな不愉快な場所には、もう一時だって居たくない…」


怒りに任せて吐き捨て、今にも扉を開けようとする累世に、カミュは何事かを秘めた表情で、口元に笑みを浮かべた。

そのまま、怒りの感情を露にしたままの息子に、ゆっくりと近付いていく。


「!? カミュ…」


カミュの意図を測りかねた唯香は、焦りを帯びた目を累世に向ける。

すると、気配によって父親の接近に気付いた累世は、振り返り、目に見えて警戒を強めた。


「何のつもりだ?」

「…ふん…、虚勢を張るのは一人前のようだ…」


次の瞬間、肘を曲げ、勢い良く累世の頭上にあたる位置に拳を叩きつけたカミュは、ぞっとするほど優しい声で囁いた。


「覚えておけ…

例え愛していなくとも、愛するふりをすることなど容易いのだとな…!」

「!な…」


唐突に父親から優しい声をかけられ、累世の蒼の瞳は、そのカミュの紫の瞳に釘付けになった。

扉を背にしているので、逃げたくても逃げようがなく、縋りたくともそれは後ろ手に、無機質なものにしか縋れない。

…そんな八方塞がりのような状況下で…


カミュは腕を下ろし、そのまま静かに累世を包み込んだ。


「!…」


それに気付いた累世の表情は、わずかに強張り、その瞳にはこれまたわずかに拒絶の色が浮かぶ。

しかし、かねてから憧れていた父親に抱きしめられたことで、累世のそんな負の感情は、いつの間にかどこかへ消え失せていた。


…その温もりは間違いなく、自分がまだ見ぬ父親に対して焦がれていたものだった。

結果、ごく自然に累世の緊張が解れていく。


すると、体温の全てを預けようとした累世を…

息子を突き放すかのように、カミュは唐突にその体を離した。

…そして一言、告げる。


「…こんな簡単な感情を望むというのなら、この程度…いつでも曝け出してやろう。

まあ、お前が望むものとは多少異なっているかも知れないがな…」


喉を鳴らすようにして笑うカミュに、累世の怒りが息を吹き返した。

遊ばれている、ということが容易に分かり、その怒りの矛先を再び父親に向ける。

が、それと相俟って覚えていたのは、こんな手に乗ってしまった自分に対する苛立ちだった。


…父親がこんな奴だということは、先程の会話から、充分に理解していたはずだったのに。

それに今までにない怒りを覚え、心底から軽蔑していたはずだったのに…


いつの間にか、自分もそれに引き込まれ、翻弄されている…!


「…結構だ! 俺だってそんなに感情に飢えているわけじゃない!」


感情に流されるままに身を翻した累世は、今度こそ扉を開き、部屋を飛び出した。


「累世っ!」


後に残された唯香は、慌ててその後を追おうとするが…

カミュが来ている事実が頭をよぎり、その足がぴたりと止まる。

そんな唯香に、カミュはその紫の瞳を落とし、冷酷に笑った。

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