所業の代償

…自分が犯した罪を…悔いる資格はない…

「…ゆいか…、唯香、大丈夫…?」


…その頃の神崎家では、気を失っている唯香の体を、将臣・マリィ・サリアの三人が、慎重に横たわらせていた。

その傍らで、マリィは不安そうに唯香の手を離さず、握っていた。

…その様はまるで、そうすることで、自らの温もりを分け与えているかのようだった。


「…唯香…、お願い! 目を覚まして…!」


泣き出しそうになりながらも、必死にマリィが訴えるが、当の唯香はぴくりとも動かない。

ただ、青白い顔で…

彼女はそこに静かに横たわっていた。


「……」


将臣は無言のまま、その瞳を妹へと向けた。

次には何かを拒絶するように、僅かに視線を逸らし、慣れた手つきで煙草に火をつける。

その様を見かねたサリアが、珍しく人間のことに介入した。


「煙草など吸っている場合? …この子は貴方の妹…、レイヴァンの娘なのでしょう?」

「……」


将臣は、それでも無言のまま、ただきつく眉根だけを寄せた。


「…、そこまで知っているなら、慌てる必要はないだろう?」


素っ気なく言い放って、そのまま煙を肺に取り入れようとする将臣に腹を立て、一言がつんと言ってやろうと、サリアが将臣の方へ向き直った時…


「!…貴方…」


サリアが目を大きく見開き、絶句した。

将臣の煙草を持つ手が、ほんの微かではあるが、強張りつつも…確かに震えているのを見たのだ。


このような状況の中で、場違いだと解っていて、それでも煙草をくわえたのも、恐らくは落ち着かない自分自身の気分を鎮める為…

ひいては、冷静さを少しでも取り戻すための手段だったのだろう。


その将臣は、ゆっくりと立ちのぼる煙をぼんやりと眺めながら、誰にともなく自らの心情を吐露した。


「…唯香や俺が、いくら普通の人間より丈夫であろうと、それはあくまで肉体面のみでの話だ。

精神面では、普通の人間と全く変わらないというのに…」


将臣は、彼にしては珍しく、苛立った様子をあからさまに見せながら話を続けた。


「“自らが信用し、信頼したはずの者”…

カミュに攻撃を加えられたことは、今の唯香には、肉体的のみならず、精神的にも大きな痛手になっているはずだ」

「!…」


それを聞いたマリィとサリアの顔が、反射的に青ざめても、将臣はそれに遠慮し、言葉を抑えることもなく、容赦なく先を続けた。


「そんな状態で目覚めた時、唯香は…、果たして周囲に対してどんな反応をするのか…

俺は今、それが一番気掛かりだ」

「……」


居たたまれずに、マリィが瞬きを数回繰り返し、俯く。

一方の将臣は、自分の苛立ちを二人にぶつけるのは間違いだと気付いてはいた。

しかし、何らかの矛先を見つけなければ、今度は自分の感情が壊れる。


…それが相応の責任転嫁や、筋違いだと解ってはいても。


…すると、そんな将臣の感情を汲み取ったかのように、唯香がうっすらと目を開けた。

それに、その場にいた誰よりも早く気付いたマリィは、嬉しさと驚きの入り混じった声をあげる。


「!…ゆ…、唯香っ」

「気がついたのか!?」


将臣は魔力によって、空気中に浮く塵の如く、手にしていた煙草を粉々に破壊すると、妹の傍へと近寄った。

唯香は、二人の声に反応することもなく、体が沈みそうなまでにふかふかなベッドに横たわったまま、ぼんやりと天井を見つめていた。


それによって、それなりに空間の広さを把握したらしい唯香は、続けてその視線を、横へと動かした。


瞬間、その目が的確に、マリィの銀髪紫眼の容姿を捉える。


すると、それまでは然したる感情も見せなかった唯香の表情が、目に見えて強張った。

瞬時にそこから跳ね起きると、そのまま救いを求めるかのように、ベッドの隅まで躙り寄る。


「…いや…! こ、来ないで…!」

「唯香…?」


この妹の稀有な反応に、将臣は戸惑った。


「…どうした? 唯香」

「!…ま…将臣兄さん…

怖い…、どうしてなのか分からないけど…、この子がすごく怖いの…!」


唯香は、これ以上ないほど身を縮め、手で自分の顔を覆うようにして、がたがたと震えている。

そんな様子に唖然となったのは、当のマリィだった。


「…唯香…、どうしちゃったの…!?」


答えを求めるように、マリィが唯香に近づくと、唯香は青ざめた表情で、怯えながら叫んだ。


「来ないで!」


唯香は、迫り来る恐怖心から、反射的にこの一言を放った。

…完全に、マリィが自らに介入することを拒んでいる。


その一方で、兄・カミュに続いて、唯香にも拒絶されたマリィは、瞬間、金縛りにあったように立ち竦んだ。

が、徐々にその言葉の意味が脳に浸透すると、自然に、その目から大粒の涙が溢れだした。


「…ゆい…か…!?」


そのままにしておけば崩れそうになるマリィを、サリアがそっと後ろから支え、声をかけた。


「マリィ様…」

「!サリア…、唯香は…唯香はどうしちゃったの…!? どうして…何でいきなりマリィのこと…嫌いになったの!?

…サリア、お願い…、教えて! マリィに非があるなら、悪い所は全部直すから…、だから…!」

「…マリィ様…」


またも激しく泣き出したマリィを、サリアはどう扱っていいものか分からず、戸惑った。

とりあえずは困惑の心情を抑えつつも、マリィを宥めながら、サリアは、つとその視線を将臣へと向けた。

それに気付いた将臣は、その時には既に、今までの唯香の様子から、妹の中で何が起こったのかを把握していた。


…試しに質問してみる。


「…唯香、見て分かるだろう? この子はこんな幼子だ…

なのに、何をそれ程までに怯える? …マリィの何が、どこが怖い?」

「……」


兄から尋ねられても、唯香は激しく怯えるばかりで、言葉を一切、口にしようとしない。

しかしそれでも、将臣は追及の手を弛めず、質問を続けた。


「…自らが怯える原因を知らないはずはない。

答えろ、唯香… そこまで怯えるからには、この子に何処か恐怖心を感じる所があるのだろう?」

「……」


兄にまたも問われて、さすがに唯香が、ようやくぽつりぽつりと口を開いた。


「…銀色の…髪、それから… 紫の目…」


この答えに、将臣の瞳に確信の色が浮かんだ。

…唯香が怖いと答えた部位は、マリィばかりではない…


カミュにも該当している。


…唯香は、記憶を無くす以前のカミュに攻撃を加えられ、殺されかかっている。

その時に捉えた彼の特徴が、今、つかみ所のない恐怖心を掻き立てる、一種のキーワードとして、唯香の中にはインプットされているのだろう。


「か…、…髪と…目?」


マリィが、涙に濡れたその紫眼を唯香に向ける。唯香は途端に、びくりと体を強張らせた。

…その反応を見て、マリィが半ば諦めたように呟く。


「…やっぱり…唯香は、兄上と…マリィが…嫌いなの?」

「…あにうえ…?」


唯香が、この言葉に反応して、おずおずとマリィの方を見る。

対してマリィは、感情の全てをその綺麗な紫眼に閉じ込め、虚ろな表情で頷いた。


「…ねぇ、唯香…、マリィだけじゃなくて、マリィの兄上…

カミュ=ブラインも嫌いなの…!?」

「!…カ…ミュ…?」


唯香が、目に見えて怪訝そうな顔をする。

その顔は、決してとぼけているのではない。


そしてその目は本当に、彼…、カミュのことを、全く知らない者の目だった。


「…やはりな」


将臣が、自らの確信を肯定するかのように、その目に一条の鋭い光を宿らせる。

…唯香は、自らが信用・信頼し、心を預けたはずの者…

カミュに拒絶され、挙げ句に攻撃までされたという受け入れ難い事実を、自分の気持ちの上で、処理しきれなかったのだ。

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