水入らずからの経緯

「構わない」

「…え…」


予想外の兄の答えに、マリィの目が、希望と期待の感情で入り混じり、大きく見開かれる。


「…あ、兄上…、今、なんて…?」

「構わないと言ったんだ」

「!…本当に…?」

「ああ」


自分の想定外なカミュの答えに、マリィは戸惑いつつも、もじもじとしていたが、やがて、意を決したように尋ねた。


「じゃあ、兄上に…抱きついても、いい…?」

「ああ」


カミュの答えを聞くか聞かないかのうちに、マリィは嬉しさのあまり、兄の胸に飛び込んでいた。

それを、カミュはわずかに戸惑いながらも、そっと抱きしめてやる。


「兄上、兄上ぇっ…!」

「マリィ…」


またも泣き出したマリィに、カミュは宥めるように声をかけた。


「お前は、泣いてばかりだな…」

「!あ…にうえのっ…、兄上のせい…でっ…!」


感情が高ぶり、しゃくりあげながら話す妹に、今までの件も含めて、カミュは申し訳なさそうに謝罪した。


「分かっている…、だからもう泣くな、マリィ」

「…あに…うえ…」


マリィは、このカミュの言葉に、張り詰めていた感情の全てが緩んだらしく、火がついたように泣き出した。

それを見下ろして困惑するカミュに、将臣と唯香は顔を見合わせ、次には安堵の笑みを浮かべた。

期を計って、将臣がカミュに尋ねる。


「薬は効いたか?」

「ああ。…随分と苦々しい薬だったがな」


言うまでもなく、この場合の薬とは、さっきの説教まがいの諫め兼、忠告のことだ。

将臣にすれば、多少効けばいいくらいの考えだったようだが、この様子を見る限りでは、彼の言葉は予想以上に効いたようだ。

将臣は、今だカミュから離れないマリィを一瞥すると、再びカミュに話しかけた。


「兄妹水入らずといきたいところだが、彼女には色々と聞きたいことがある。…軽食を用意させよう。それを食べながらでも、二人の話を聞かせてくれ」

「ああ。…将臣、話をしているだけでも分かるが、お前は何かと頭が切れるようだ。大方の見当はついているのだろうが…

俺とマリィが知っていることであれば、何でも話そう」


このカミュの返答を聞いて、将臣は頷いた。


「少しは信用してくれたようだな」


「少し違うな。お前のことは、信用よりも…信頼している」


「何?」


意外なことを聞いて、将臣は、先程から手にしていた、今にも燃え尽きそうな煙草を、近くの灰皿へと押し付けた。


「今、何と言った?」

「信頼していると…そう言ったんだ」


カミュが反復すると、将臣が思わず低く呻いた。


「…どういう風の吹き回しだ?」

「何だ、その言い種は。…お前自身が諭したんだろう?」


カミュは呆れたように息をつくと、今度は、今だ自分に張り付いて離れないマリィを引き剥がしにかかった。


「マリィ、もういいだろう。いい加減に離れろ」

「でも、兄上…」


まだ兄に甘えていたいらしいマリィが、口を尖らせて渋る。それでも、また兄を怒らせては元も子もないので、仕方なく離れることにする。


すると、それを見ていた将臣が、部屋の近くにいたメイドに、今いるところの向かい側の部屋に、軽食の準備をするように言い付けた。

メイドは軽く頭を下げると、足早にその場を立ち去った。

それを見届けてから、将臣は三人へと呼びかけた。


「…向かいの部屋へ移動するぞ。そこなら落ち着いて話せるからな」




そして向かいの部屋に移動した4人は、軽食が用意してある、丸いテーブルの近くの椅子に、それぞれ腰を下ろした。

テーブルの上には、紅茶の他に、クッキーやケーキなど、子供向けのお菓子が並んでいる。

マリィがそれを見て目を輝かせたのを、苦笑しながら見た将臣は、マリィに、好きなだけ食べるように促した。

喜んで飛びつくマリィに、すっかり呆れ果てたカミュが閉口し、将臣に話しかける。


「…さすがに妹の扱いはうまいな」

「だてに、こいつの兄はやっていないからな」


言いながら、将臣は唯香に視線を向けた。それを敏感に察した唯香が、跋が悪そうに頭を掻く。


「…苦労をかけてごめんなさい」

「…、全くだ」


こうなればフォローは不可能なため、将臣は肯定するしかない。

それに、唯香は慌てて話を逸らした。


「!ね、ねぇマリィちゃん、カミュお兄ちゃんは優しい?」


この軽率な一言に、ぴくりとカミュのこめかみが反応する。


「おい、唯香。その言い方だと、まるで俺が…」

「兄上? 初めてお会いした時は怖かったけど…今は平気」


カミュの言葉を遮って答え、にこにこと笑うマリィの返答に引っかかるものを感じた将臣は、その疑問を声へと変えた。


「“初めて会った時は”…?」

「…どうしたの、将臣兄さん」


兄の様子が気になったのか、唯香が眉を顰めて問う。


「その口振りだと、その子がカミュに会ったのは、ある程度の自我が形成された後…

つまり、昔からは一緒にいなかったということになるが…」

「…そうなのか? マリィ」


カミュが、その眉根を寄せて問う。それに、お菓子を口一杯に頬張っていたマリィは、不意に兄に問い返され、それに間を置かずに答えようと、口の中のお菓子を無理やり飲み込もうとした。

それを見ていた唯香が、労るように声をかける。


「焦らなくても大丈夫だよ、マリィちゃん」

「…ん」


マリィは、とんとんと軽く胸を叩くと、近くにあった紅茶で残りを飲み込んだ。

それによってようやく一息つくと、訊かれたことに忠実に答える。


「…うん。マリィは母上が寝ている、更に奥の空間から出てきたばかり。そこの存在は、父上と母上しか知らないの」

「…、そうだとすると、かつての俺は、お前の存在を知らなかったということか?」

「はい、兄上。…マリィが兄上と会ったのは、今日が初めて。

父上に聞かなければ、兄上がいたことも、マリィは知らなかった…」

「……」


はっきりとしたマリィの返答に、カミュは無言のまま考え込んだ。

が、やがてまた、心のままに口を開く。


「…マリィ、教えてくれ」

「何? 兄上」


質問という形でも、兄と繋がり、会話が出来ることがよほど嬉しいのか、マリィの声は弾んでいる。

しかし、それに反して、カミュの声は暗く、沈んだものになっていた。


「…俺は…、俺は、本当に…ひとつの世界の皇子なのか?」

「うん、兄上」


マリィが、きっぱりと答える。


「兄上は、父上の息子だから」

「…父上…?」

「うん。“吸血鬼皇帝”の異名を持つ──

精の黒瞑界の支配者」

「!吸血鬼…皇帝…!?」


…“吸血鬼”…!?


カミュは、硬直したように、温かい紅茶の入ったカップを取ろうとした手を止めた。

…夕刻の、強く血を求めた時の、体の疼きを思い出す。


あれは…、あれは紛れもなく、“吸血鬼”の持つ衝動…!


「“吸血鬼皇帝”… それが…、俺の“父親”だと…!?」

「? うん」


何も知らないマリィは、兄・カミュが何故、これ程までに動揺しているのか分からなかった。

マリィからしてみれば、かつての兄が知っていたであろうことを話しただけなのだ。


だが…、今の兄は、確実にそれに反発している。

…嫌悪を覚えている。

それは先程、自分自身にぶつけられた感情と、明らかに同じものだ。


「…兄上?」

「…皇帝の…、父親の名は何という?」

「父上?」


カミュの、徐々に鋭くなっていく瞳に、戸惑いを覚えながらも、マリィは焦ったように答えた。


「“サヴァイス”… サヴァイス=ブライン」

「…サヴァイス…」


呟くように反復して、カミュはその瞳に、何故かうっすらと殺気を覗かせた。


「…、やはり、あの時のカイネルの話通りか…!

それで、マリィ。俺がこちらの世界に来ていたことについては、父親は何か言っていたか?」

「…兄上は…、来ていたというより、“戦いの勢いで、誤って人間界に落ちた”って、マリィは聞いたけど…」

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