†我の血族†

如月統哉

奇妙な拾い物

…道端に落ちていた…『物』ならぬ、『者』…

「…こ、これ…、どうしよう…?」


声楽部の活動で、すっかり遅くなってしまった、学校からの帰り道。

私こと神崎唯香かんざきゆいかは、普段そこにはあるはずのない、“見てはならないもの”を見て、茫然と立ち竦んでいた。


その場所は、河原のすぐ傍の、土手のような所だった。わりと背の高い草たちに埋もれるようにして…

当然のように、それはそこにあった。


「…これは…、し、死体…? それとも…マネキン?」


…そう。

私の目の前に、死体とも精巧なマネキンともつかぬ、人間の痩躯が転がっているのだ。


一見してどちらともつかないのは、その外見があまりにも整いすぎているからだ。

私は、周囲に誰もいないのを確認すると、こわごわ、その『者』へと近づいた。

それでも、その『者』が動かないのを確かめると、その場に転がっている身体を、まじまじと見る。


…歳の頃は19~20歳くらいだろうか。

少年とも青年ともつかぬ『男』で、すらりと伸びた手足が、今は無機質に辺りの草を潰している。

よくよく見ると、辺りの草の倒れ方は、横から倒れたというより、上から押さえつけられたようになっていた。


彼の目の色は、今は閉じられているため分からないが、その髪の色は…なんと、銀髪だ。

着ている服も、その辺りで売っているものとは、作りや素材からして、明らかに違う。


「…この服に、この髪…、もしかして…外人? …それとも、よく出来たマネキン…?」


判断材料がまるでないため、そのどちらともつかず、私の頭は、いつになく混乱した。

が、その時になって初めて、その『もの』が何か確認するためにも、とりあえずは、直接触れてみれば何か分かるのではないかということに気がついた。


…腰が引けながらも、手を伸ばしながら、恐る恐る『彼』に近づく。

それでも、ゾンビさながらにいきなり起きられても困るので、その辺りの警戒は怠らないようにする。


そろそろと、静かに、なおかつ窺うように彼の顔を覗き込む。

…彼は目を閉じたままで、今のところは、起きる気配は全くない。

その、長い睫が無機質な色気を醸し出していて、意識せずともどこか引き込まれてしまう。


それに、僅かに気を緩めて、もう少し近くで見てみようと、変な欲を出したのがいけなかった。


次の瞬間、私は、長く伸びていた草に足を取られ、そのまま彼の上に倒れ込んでしまった。


「!」


…だが、事は、それだけでは済まなかった。

彼が上を向いたままで、私が前のめりに倒れたせいもあるが…


なんと、そのどさくさ紛れに、互いの唇が触れ合ってしまっていたのだ。


「!…っ」


…何という…お約束なのか…!


私が驚き混じりに僅かに呻き、それでも慌てて離れようとすると、先程までは全く動きを見せなかったはずの、彼の一部が動いた。

引き寄せるように、私の頭を自らの右手で抱え、更に深く、求め、絡みつくように口付ける。


「!…う…」


私は、反射的にそれを振り解こうとしたが、彼の力は思いのほか強く、それすらも許されない。

その身体も触れ合っているためか、次には、彼はいとも簡単に私を捉えた。

…あいている左手が、私の身体をそっと抱く。


「…っ!」


さすがに私は、言葉にならない声をあげた。

すると、それに反応したのか、彼はゆっくりと閉じていた目を開いた。

その瞳の色は、なんと…


(紫…!?)


そう、彼の瞳は、宝石のアメジストを思わせる、美しい紫色だったのだ。

引き寄せられ、吸い込まれそうな魅力を持ったその瞳には、今は、はっきりと私の姿が映されている。


その目が再び閉じられた時、私は唇に、ちくりとした痛みを感じた。


(…!?)


まるで、針で刺したようなその鋭い痛みに、驚いて顔を離そうとすると、その痛んだ箇所が、突然、熱く疼き始めた。

…そこだけが、熱を帯びたように…熱く火照る。


「…っ!」


次々に起こる突発的な事象に、さすがに私は耐えきれなくなり、次には思い切り彼を突き飛ばしていた。

それによって、ようやく私の唇は、彼の支配から解放された。


すると、その突き飛ばした事が原因なのか、彼は完全に意識が覚醒したらしく、不意に不機嫌そうに眉根を寄せた。

…そのまま、その至高な美しさを見せる紫の瞳を、自分の意志で開く。


彼がはっきりと気付いたことで、私と彼との視線がぶつかり、絡まった。


好き放題やられっぱなしの、ある意味での被害者であるはずの私が、彼を問い質すための第一声をあげる前に、彼は、唐突に口を開いた。


「…、誰だ、お前は?」


…恐ろしい事に、開口一番がこれだった。


……



は?



私が絶句すると、彼は静かにその場に立ち上がった。

服に付いている汚れや草などを、軽く叩き落とすと、またも思い立ったように反復する。


「お前は誰だと訊いているんだが」

「!誰って…」


二度も同じ事を聞かれて、さすがに私の頭には、徐々に血が上り始めた。

考えてみれば、初対面からあの状態のこの彼に、まともに話をしようというのが、そもそもの間違いだったのだ。


そこまで考えると、私の声はそれに比例して、ひどく荒いものになっていた。


「あのねぇ! 人に名前を訊くんなら、まずは自分から名乗りなさいよ!」


きっぱりと言い放って、肩で息をする。

彼は、その勢いに呑まれていたようだったが、やがて、素っ気なく視線を逸らした。


「お前に名乗る義務はない。失せろ」

「!失せろですって!?」


まさに売り言葉に買い言葉。慇懃無礼いんぎんぶれいも甚だしい。

私の苛々は、もはや頂点に達していた。


「じゃあ、こんな辺鄙へんぴな場所になんか倒れていないでよ! …いい、今度見かけたって、絶対に助けようなんて仏心ほとけごころは出さないからね!」

「…倒れていた…?」


ふと、何かに引っかかったのか、彼は訝しげに私を見た。

その紫の瞳が揺れ、惑いが浮かぶ。


「俺は、ここに倒れていたのか?」

「え? …何を今更…」


それまでの流れも分からず、また、質問の深い意味も解らないことから、不思議そうに問いかけた私の目の前で、不意に、彼は立ち眩みを起こしたように膝をついた。


「!…これは…」


忌々しげに、横目で吐き捨てる。…いつの間にか、彼の顔色は真っ青になっていた。

その尋常ではない様子に、私の怒りが少しながら解れる。


「どうしたの!? …大丈夫!?」


思わず差し出した私の手を、彼はいきなり、拒絶するように払いのけた。


「俺に触れるな…!」


冷たい、獣のような目で私を睨む。

その瞳には、眼前に居る私の存在はおろか、他の何者をも拒むような、強い光が宿っている。


この彼の過剰なまでの反応に、途端に、先程までの沸々とした怒りが甦った。


「あぁそう! じゃあ勝手にしたら!? 人がせっかく心配してるのに…、もう知らないから!」


怒りに任せて、きっぱりと言い捨て、私はその場から立ち去ろうとした。


「!くっ…」


瞬間、彼が苦しげに呻いた。それと同時に、顔色はますます青くなり、息遣いが荒くなる。


「…っ、ううっ…!」


その整った顔は苦悶に満ち、脂汗まで滲み始めている。

私には凡そ分からない何かを必死に堪えるようなその様は、先程までの私の怒りを、完全に吹き飛ばした。



…確かに、彼は自分を拒んでいる。

だが、このような状況下で、放っておけるはずもない…!



私は意を決すると、次には、躊躇うことなく彼の体を支えた。

それに驚き、強い拒絶の感情を再びあらわにした彼に、私は先手を打ち、はっきりと言い聞かせた。


「どうせ、あたしは赤の他人だけど…、だからって、そんなに拒否しなくてもいいんじゃない?」

「何だと…?」


更なる警戒心も顕に、彼が、その表情を険しいものへと変える。だが、体調不良のせいか、先程までの迫力はない。

それに気付いた私は、今のうちに、更に釘を刺すことにした。


「いくら初対面で体調が悪いからって、別に、あたし如きにそんなに構えなくてもいいでしょ?」


…微妙に言葉を変えて言い聞かせると、心なしか、彼の態度が少し軟化した気がした。


「…、お前… 名は?」


彼が、苦しげな息の下から、その紫眼に、縋るような感情を見せて尋ねる。

それに、私は彼を支えながら呟いた。


「…か…、神崎…唯香だけど」

「“ユイカ”…、唯香か」


…まるで噛み締めるように。

自らの、記憶の奥底に刻むように…

彼はゆっくりと、初めて私の名を口にした。


「“唯香”、…確かに、お前の言う通りだ」

「!」


いきなり折れた彼に、私はさすがに戸惑いを隠せなかったが…

同時に、やっと分かってくれたのかと、嬉しくもなった。


が、今は喜んでいる場合ではない。

現に彼の様子は、先程よりも目に見えて悪くなっている。


「!…っ、ぅあ…!」


身悶えするように、彼が自分の身体を抱える。

そうこうしているうちに、彼を支えている手を通して感じる、彼自身の体温が、何故か…どんどん低くなっていくのを感じた。


「!? これって…」


単純に低くなるどころではない。まるで水から氷に変わるようだ。

思わず息を呑んだ私に、彼は、身体の僅かな疼きを抑えて呟いた。


「…ただの貧血だ…、たいしたことはない」


…貧血?


それにしては、症状が貧血のものだけでは到底ありえない…ような気がするのだが。

疑問に思った私は、それをそのまま突いてみることにした。


「…ねぇ、この症状って、本当に貧血だけなの?」

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