第42話 魔王軍と魚神

「えっと。一つ聞きたいんだけど」

「なにかな?」


 俺が声をかけると、ファッシュのぎょろりとしたまぶたのない目がこっちを向く。


魚神ぎょしん……様って、名前からすると魚人の神様ってこと?」

魚神ぎょしんさん」

「はい?」

魚神ぎょしん様じゃなくて魚神ぎょしんさんって呼ばないとあの人拗ねちゃうから」


 拗ねる……?

 神様が?


 俺はよくわからないまま呼び方を変えて質問を続けることにした。


「えっと……魚神ぎょしんさんは貴方たちの神様ってことかな?」

「うーん、神様とは違うかなぁ。あの人はこの辺りの海で一番強い魔物だけど、神ってほどじゃないと思う」


 魔物なのか。

 いや、もしかするとこの魚人も獣人の一種じゃ無くて魔物だったりするのだろうか。


 そもそも魔物と人間や獣人族との違いは、大雑把に言えば体が使うエネルギーを得る手段が魔素か食物かの違いでしかない。


 そして魔素は食物以上にエネルギー効率が良く、強い力を持つ。

 なので魔素をエネルギーとして育つ魔物は他の生き物に比べ強靱な体と力を持つのだ。


 だが、その代わり魔素濃度の低い所ではエネルギー効率の悪さから強大な力を持つ魔物ほど行動できなくなってしまう。

 なので魔素濃度の強い所に住む魔物は強大な力を持つが、それ故に魔素濃度の低い地へ余程のことが無いと現れない。

 リョニレで起こったスタンピードは、そのうちの一つである。


「ユーリスはこの町、というかこの辺りの沿岸の町と魚神ぎょしんさんとの関係は聞いていないのか?」


 ニャーニョのその問いに、俺は頷きで返す。

 魚神ぎょしんと沿岸の町……ということはナーント以外の漁港も含め、それなりに広い範囲の町が魚神ぎょしんと何らかの関係があるということだろう。

 だが、そんな話はこの町に来て日の浅い俺は聞いた事が無かった。

 そもそも魚人自体が10年ぶりにやって来たという位だ。

 ギルドを取り囲んでいた、珍しいものを見たいという野次馬を見る限り町に住む人々の中でも知らない人も多そうだ。


「そこから説明しなきゃならんな。私はそういうのは苦手だし、当時実際立ち会ったお前が話す方が良いだろう」


 ニャーニョは横に座るファッシュにそう言って説明を丸投げした。

 基本猫族は面倒なことは人任せにする所が有る。


「さっきも言ったけど、魚神ぎょしんはこの辺りの町の近海に危険な魔物が入り込まないように結界を張ったんだ」

「どうして? 魚神ぎょしんさんは魔物なんだろ?」

「僕も魚神ぎょしんも魔物だけど人族と争う気は無かったからね。だからあの時も魔王に手を貸さなかったし」


 あの時というと、数百年前に魔王が魔族を率いてこの大陸を支配しようと軍を上げた時のことだろう。

 魚人の言葉からすると魚神ぎょしんはその戦いに魔王直々に誘われたのを断ったらしい。

 魔王というものを俺はそんなに知らないが、あの自由気ままに本能で生きる魔物たちを統率するほどの者だ。

 そんな魔王の誘いを断る魚神ぎょしんというのはどれほどの力の持ち主なのだろうか。


「それどころか村の人たち――あ、当時はこのナーントとかも小さな集落だったんだよ。で、その村の人たちに頼まれて魔王軍が近寄らないようにって魔王に頼んだんだ」

「魔王に? 頼んだ?」

「うん、そう。で、魔王も自分たちの海での進軍を妨げないという条件を付けて、この近海の村だけは進軍路から外してくれたってわけ」


 ますます魚神ぎょしんという魔物がわからない。

 どうして魔王の誘いを断ってまでこの辺りの町や村だけ守ろうとしたのか。


「それでも戦争が激しくなると魔王の目も届かなくなったのか、時々この辺りの海にも魔王軍の魔物がやって来るようになったんだよ」


 なので仕方なく魚神ぎょしんはこの辺りの海岸沿いにだけ自らの力で魔物避けの結界を張ったという。


「どうしてそこまでこの辺りの村を魚神ぎょしんさんは守ろうとしたんだ? それがわからない」


 魔物だったら全てが魔王によって統治された世界のほうが良いだろうに。


「あー、それは今回の久々の訪問につながるんだけど」


 ファッシュは口をパクパクさせながら両手……ヒレをぺちんと会わせるような仕草をして言った。


「君たちの作るご飯が美味しかったからさ」

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