04話.[それでいいのだ]
「待ってください」
ご飯を作り終えていつも通り出ていこうとしたら呼び止められてしまった。
これも駆流からすれば裏切りの行為に該当してしまうのだろうか、それとも、彼女からだからいいのだろうか。
「駆流に怒られちゃうからさ」
あと3日ぐらいでこの生活も終わる。
テストが終われば部活動も再開になって戻る。
たった1週間ぐらい我慢してあげないとなと片付けていたのだが、下手をすると彼女のこれが僕の頑張りを無駄にしかねない。
難しいのはこの子が悪いわけではないことだ。
「家にいてくれればいいですよ、この時間に外に出たら男性だろうと危ないことには変わらないんですから」
「この時間って言ってもまだ19時半だからね」
そうでもなければ彼女が残ることを許可しない。
流石にね、20時とか21時とかまで異性の家に残しておくわけにはいかないのだ。
「望心ちゃん、どうせいるならちゃんとやら……ないと」
「駆流くん、お兄さんに意地悪をするのはやめて」
「意地悪なんか……」
「同じだよ、追い出すなんて酷いよ」
うーん、ありがたいんだけどありがたくないというか。
きっと、彼女を使って言えないことを代弁してもらったと考えることだろう。
そうしたら駆流からすれば面白くもないことだ、納得できるわけがない。
彼女のいる前ではあくまで普通を装うだろうが、いなくなった後の展開を容易に想像できる。
「してないからっ」
「あ……」
えぇ、駆流が外に逃げ出すの?
この子はどうするんだ、もう帰らなければならない時間なのに。
「すみません、もう帰りますね」
「……危ないから送っていくよ」
「でも、駆流くんに怒られてしまうんじゃ……」
「それとこれとは別、好感度稼ぎというわけでもないから安心してほしい」
「それじゃあ……よろしくお願いします」
ひとりで帰らせたら先輩が絶対に怒る。
関わりはなくなっているが、あの人なら「はあ!?」ってなる確率の方が高いから。
荷物を持ってきた彼女と一緒に外に出て、並ぶのではなく少し後ろを歩くことにした。
「ごめん、僕らのせいで面倒くさいことに巻き込んで」
「いえ……」
「嫌じゃなければ駆流と仲良くしてあげてほしい」
この子がいる時間だけ外にいることには慣れた。
というか、完全にいないのなんて不可能なのだ。
だってご飯を作る気がないんだから僕がしなければならないんだし。
流石にそこは分かっているのか駆流も文句を言ってくることはなかった。
「ありがとうございました」
「いや」
「それでは……失礼しま――」
そのタイミングで誰かが家の中から出てきた。
誰かがではない、それは先輩そのものだった。
結局、まだ名字というものを知らないから、みお、という名前であることしか分かっていないけど。
「あんた、私にはあんなことを言ったくせに望心とはいるんだ」
「勘違いしないでください、駆流が逃げたから代わりに送ってきただけです。だってひとりで帰らせたら先輩は文句を言いますよね? まあいいです、失礼します」
うーん、なんか喧嘩腰になってしまった、申し訳ない。
もうちょっと柔らかく言えばよかったと後悔した。
さて、あの不良少年を探さないと。
頑固なところもあるからこのまま朝まで~なんてこともありそうだし。
「はぁ、見つけた」
「……裏切り者」
「そんなのじゃないよ、横いい?」
「……勝手に座ればいいじゃん」
せっかく走り回って探していたのに玄関前で座っていたという悲しいオチだった。
それでも無事だったからそれでいいかな。
「駆流、あの子の名字ってなんていうの?」
「浜島……、浜島望心ちゃん、浜と島」
「そうだったんだ」
ということは、浜島みおさんと、浜島??さんと。
知ったところでなにがどうなるというわけでもないが、名字を知ることができただけでもなんか落ち着けた。
「駆流はあの子のことが好きなの?」
「違う……」
「え、そうなの?」
「うん、彼女になってほしいとか、そういうことを考えているわけじゃないよ」
それはまたなんとも……意外だ。
あんなに頻繁に来てくれる女の子がいるなら、僕なら間違いなく期待してしまうけどな。
「恋とかよく分からないんだ、だから、ただただ望心ちゃんや他の子と仲良くしたいと考えているだけ」
そうか、それでもまだあの子の気持ちが分かっていないか。
駆流にその気はなくても向こうにはあるかもしれない。
いや、多少なりともないと連日、家になんか来ないだろう。
礼儀正しい子だし色々な子から好かれていそうだし。
うん、先輩に比べたらマシどころか最高だ。
「僕はてっきり気になっているものだと考えていたけど」
「意地になっているわけじゃないよ? 本当に付き合いたいとは考えていないんだ」
誰かを好きになれることが全ていいことばかり、というわけではないから間違っているなんて言えなかった。
そもそも、僕が偉そうに言えるような人間ではないのだ。
「兄ちゃんさ、嘘をついていたよね」
「ごめん……、友達ができなくてね」
「別に馬鹿にしたりしないのに……」
「ごめん、あんまり情けないところは見せたくなくて……」
こんな嘘をついた時点で情けないということには変わらないということを僕は分かっていなかった。
この点に関しては浜島さんの言う通りだ、隠そうとしたところでより面倒くさいことにしかならないというのに。
「ちょっと浜島さんの家に行ってくる、謝りたくて」
「なにかしちゃったの?」
「うん、そうなんだ、謝ってくるね」
連絡先を交換していないとこういうときは気まずいな。
それでも悪いのは自分だ、謝罪はしなければならない。
後か先かという話でしかないのだから。
「はいはーい、あ、梶間くん」
「こんな時間にすみません、浜島、あ、み、みおさんを呼んでくれませんか?」
「分かった、呼んでくるね」
数十秒後、玄関前で先輩と向かい合っていた。
「で?」
「あの、この前はすみませんでしたっ」
「なんに対しての謝罪?」
「ほら、浜島先輩はちゃんと言っておいた方がいいって言ってくれていたじゃないですか、それなのに僕は冷静に受け取らずに頑な態度を取ってしまったわけですから……」
謝罪時にこんなに緊張しているのは初めてだ。
逆に言えば、いままでのどの謝罪よりも真剣に、相手に対して申し訳ないと思っている気がする……かな。
「なんだ、来なくていいって言ったことに対してかと思ったけど?」
「それは……変わりませんよ、自分の教室にすらまともにいられない人間といたところで浜島先輩にはデメリットしかないわけですからね」
謝罪ができた時点で目的は達成している。
外とはいえ、異性とこんな時間にいるべきではない。
なので、言い逃げをさせてもらうことにした。
先輩は止めてきたりはしてこなかったから問題もなかった。
でも、少し寂しかったのは言うまでもない。
「おーよしよし、久しぶりだね」
「な゛~」
テストは無事に終わった……と言うべきかどうなのか。
平均68点、真面目にやったのに褒められるような点数ではないのが問題なところだ。
それでも赤点はなかったのだから喜んでおけばいいのだろうか、最初のテストを無事に乗り越えられて良かったのだと。
「ん? なんか太ってないか?」
「に゛ゃ~」
「ははは、声が野太くなっているぞー」
動きもなんか緩慢になっている気がする。
「物好きね」
「え」
「なによ、私も食坊に会いたかったのよ」
「あ、どうぞ」
今回も逃げることはせずに見ていた。
先輩は無垢な瞳で見つめる食坊の頭を撫で、微笑を浮かべていた。
……僕にもそのような態度で接してくれれば、なんてことを考えたり考えなかったりしていると立ち上がって、
「ね、この後って暇?」
と、言ってきた。
「はい、特に予定はないですね」
「じゃ、付き合いなさい、ファミレスに行くわよ」
今日はお昼休みにではなく、放課後にここに来ていたからそれも可能と。
この前言ったことがなんにも届いていない点は微妙だが、特別拒む必要もないから付いていくことにした。
「はい、乾杯」
「お疲れさまです」
今日の先輩はなんか静かな感じがした。
いやまあ、元々あんまりうるさい人ではないんだけど。
心静かに落ち着いているというか、そんな感じで。
「なに?」
「いえ」
あんまり炭酸ジュースとか買わないから飲んでおこうと思う。
とはいえ、あんまりがぶ飲みするとご飯を食べられなくなるし、意地汚い人間みたいだから適度を心がけて、だけど。
「あんたの弟と望心って仲いいの?」
「そうですね、でも、この前聞いてみたら付き合いたいとは考えていないって言っていました」
「へえ、あれだけ一緒にいてそういうものなのね」
最初は強がっているだけだと思っていた。
が、その後の駆流を見て違うと分かった。
多分、いまの距離感が落ち着く……のかもしれない。
「よくわからないわよね、一緒にいてくれても好きになってくれる可能性は半分にも満たないんだから」
「誰か、気になる人がいるんですか?」
「ん? ああ、私の話じゃないわよ」
ということは友達とか妹さんとかお兄さんとかの話か。
お兄さんだったらなんとかしてしまいそうだから友達か妹さんってところだろうな。
「いきなり話は変わるけど、中学からの友達とかいないの?」
「中学生の頃からこんな感じだったので、机と向き合っていたら終わっていました」
「容易に想像できるわね」
なんだろう、今日は本当に。
元々、馬鹿にするような人ではないけど、なかなか困惑する。
「食坊は可愛いわよね」
「そうですね、あの瞳が好きです」
丸くて大きな目。
どうしてもこちらを見上げるような形になるから、それがまた僕の中のなにかを刺激してくるわけ。
足の上に乗ってくれるし、ごろごろと喉を鳴らしてくれるし。
食坊ぐらいしか話せる相手がいないから本当に助かっている。
ちょっと太っていたのは気になるところではあるけど。
それでも、ちゃんとお世話をしてくれる人に見つけてもらえたらなと願っている。
そうすれば敵もいなくなるし、ご飯だって安定して食べられるようになるんだから食坊にとっては最高だろう。
「あの、どうしたんですか?」
「なにが?」
「なんかこの前までと雰囲気が違うな、と」
別人レベルというわけではないが、それでもどこか変化している。
「別になにもないわよ」
「そうですか」
どこがどういう風に変化しているのかを説明できない以上、これ以上言うことはできない。
というか、本人がこう言ってのけた時点でこちらが言えるのはそうですかとかそれぐらいだけでしかないのだ。
「つか、あんたこそ急に謝りに来るなんて思わなかったけど?」
「反省したんですよ」
「それでわざわざその日の夜に?」
「悪いのは僕ですからね、学校でするよりも気持ちが伝わるかなと」
そもそも妹さんを送り届けた際に喧嘩腰みたいな感じになってしまったのも気になったところではあった。
そういうのもあって、尚更その日に謝罪をしなければならなかったのだ。
「土曜日にあんたの家に行くわ、弟に会いたいの」
「部活があるのでお昼からなら会えますよ」
「うん、適当な時間に行くから」
あんまり長居もよくないということである程度のところで退店。
少し前を歩く先輩の後ろ姿を見つつの帰路となった。
「梶間」
「あ、なんですか?」
「もっと気楽に生きなさい」
「あ、はい」
「それだけ、それじゃあね」
怒られるかと思ったらそうではなかった。
やっぱりどこか変な感じのする浜島先輩だった。
「こんにちは」
「こんにちは」
水曜日はこうして一緒に見て回ることが増えていた。
結構、こうして違う家の子と見て回るのは楽しいことを知った。
今日はなににするのかなとか、明日はなににするのかなとか想像しながら行動することができるから。
気持ちが悪いから口にしたりはしないけども。
「それじゃあね」
「あ、待ってください」
「うん?」
個人的に10分以上この子と一緒にいたら裏切りの行為に該当すると考えている自分にとってこれ以上一緒にいるのは微妙だった。
「家に来ませんか? お姉ちゃんが会いたがっているので」
「え、浜島先輩が? あ、じゃあ、食材をしまってからでもいいかな?」
「はい」
絶対にそんなことはないけどお邪魔させてもらうことにした。
駆流を連れて行くことも忘れずにしておく。
そうすればわざわざ土曜日に来なくて済むから楽だろう。
「……なんでまた一緒にいるの」
「まあまあ、約束をしているとかじゃないないんだから許してよ」
付き合いたいわけじゃないのに気にするのはおかしい。
みんなと仲良くしたいと考えるのなら、その子が複数の人間と関わることを望むはずだから。
でも、彼女限定で文句を言う、これはもう友達以上のなにかがありますよと言っているようなものだとしか思えない。
「どうぞ、上がってください」
「ありがとう、お邪魔します」
「お邪魔します……」
駆流の方は思春期らしい感じがする。
僕もあったからなー、不安定な時期というのが。
「あれ、珍しいね」
「あ、お邪魔しています」
お兄さんの方は変わっていなくて安心する。
内がどうなっているのかは分からないが、にこにことしていてくれて話しやすい。
こういうタイプは怒ったら怖いから気をつけないといけないなと考える自分もいる。
「あ、遅くなったけど僕は
「僕は梶間素晴です、この子は梶間駆流という名前で」
「よろしくっ」
よろしくお願いしますと返して少し見させてもらった。
「あ、瑞緒ちゃん? 瑞緒ちゃんなら部屋にいるけど」
「駆流に会いたいと言っていたので連れてきたんです、悪いんですけど呼んできてもらってもいいですかね?」
「それなら梶間くんが直接行ってきなよ、部屋の前まで案内してあげるから」
これ以上駆流にちくちく言葉で刺されているよりかはマシか。
お兄さんに付いて行って、先輩の部屋の前でひとつ深呼吸をした。
それからノックをして、少し待つ、待つ、待っているけど……。
「出てこないや」
寝ているのかもしれない。
学校から帰ったら休みたくなる気持ちはよく分かるし、邪魔をするのも申し訳ないからと戻ろうとしたときだった。
「……なによ――って、なんであんたがいんの?」
「妹さんが誘ってくれまして、駆流を連れてきたので1階に来てください」
「わかったから先に行ってて、はあ」
お、大きいため息だ。
あんまり2階でうろうろとしているわけにもいかないから戻った。
なんなら僕がいる理由がないから駆流を放置して浜島家を出た。
家事をしなければならない。
「まあ、そこまで急ぐ必要ないんだけどさ」
家事をしている最中に僕は気づいた。
ひとりでもなんだかんだで寂しい感じがしないのはこれまでの暮らし方から影響しているのだと気づいた。
僕が家事を覚え、ひとりでできるようになってからは、父は働く時間を戻していた――ということを少し大きくなってから知った。
ひとりでできるようになったといっても、小さいなりに完璧にやろうとしすぎてかなりの時間がかかることもあって、放課後になった瞬間にすぐに帰っていたからだ。
クラスメイトとも、部活仲間ともろくに話すことすらせず、家事をやらなければならないからと言い続け、現在に繋がっている。
そりゃ、誰も近くにはいてくれないよなあということにも気づき、なんか面白くなってひとりで笑って。
「ただいま」
駆流には似たようなことを体験してほしくないからこれでいい。
「先に帰らないでよ……」
「浜島先輩も浜島さんも駆流に用があっただけだから」
なんてことはないことで考え直させてくれるからいいかな。
今日、浜島家へ行って良かったのかもしれない。
なんでもかんでも受け入れるのはそれはそれで問題を発生させるが、なんでもかんでも断ればいいというわけでもないことを今日僕は知ることができた。
「なんかいっぱいぺたぺた触られて困った……」
「いいでしょ、誰かに興味を持たれるって素晴らしいことだと思うよ」
「兄ちゃんが言うとなんかあれだね」
はい、どうせ誰にも興味を持たれていませんよ……。
「でも、いいんだよ、こうして駆流と父さんのために家事ができればそれでね」
「誰かを好きになればいいと思うよ、それこそ、瑞緒さんとか」
なっ、僕にもできないことを弟の方が先にしているなんて……。
「じゃあ、妹さんを好きになろうかな」
もちろん嘘だ。
誰かを好きになってもなにも変わらない。
それどころか、足かせになるというか、面倒くさいことにしかならないから見ている方が気楽だった――と言うより、見ていることしかできないというのが正しいけど。
「望心ちゃんがいいならいいんじゃない?」
「止めてよ、嘘に決まっているでしょ」
「なんで? あ、望心ちゃんに不満があるってこと?」
「違うよ、ご飯できたからお風呂溜めてくるね」
いいのだ、食坊がいてくれれば。
現れなくなっても元気に生きていてくれればそれでいい。
駆流や父さんが元気に生きてくれていればそれでいいのだ。
謙虚でいようと決めていた。
できているかは分からないが、そうあれるように努力をしようと決めているのだから。
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