02話.[途中まで持つよ]

「止まりなさい」

「えっ」


 前後左右、確認してみても声の主を発見することができなかった。

 ただ、意地悪をするつもりはないのか、その声の主が僕の前に現れる。


「この子を返してほしければそのお弁当を全てよこしなさい」

「にゃ~」


 うっ、先輩の方はともかく猫の純粋無垢な瞳が突き刺さる。

 嫌がってはいないからある程度は無視をしても困らない――が、いつもあれだけお世話になっているのにお弁当を優先して見捨てていいのかという考えがあった。


「あ、あげますから彼を返してください」

「ふむ、いいわ、返してあげる」


 そもそもこの子は僕の子というわけではないけど。

 お弁当箱というかお弁当袋を失うかわりに彼を守ることができた。

 幸い、ポケットの方に入れてあるからご飯をあげる分には困らない。


「せっかく持ってきているんだから食べろよー」

「な~」

「よしよし、可愛いなあ」


 男の子だろうが女の子だろうが、変わらず可愛いって得な存在だな。

 男の子だと分かっていると可愛さの中に格好良さが存在しているように見えるし、女の子だと分かっていると綺麗に見えてくる。

 中には……僕みたいな平凡な顔だったり、ぶ、ぶさいくな子もいるけど、それでもこの子は比較的整っている気がした。


「美味しいわね」

「それは良かったです」

「って、あんたが作っているの?」

「はい、そういうことになりますね」


 僕がしないと駄目になる云々は言わなくていいだろう。

 どうして僕が作っているのかなんて先輩からすればどうでもいいのだから。


「あの、この前の方は……本当に彼氏さんじゃないんですか?」

「彼氏じゃないわよ、だってあれは私の兄だし」

「あ、そうだったんですか、それなのにすみません……」

「はは、仕方がないでしょ、誰の兄かなんてわかるわけじゃないんだし」


 でも、それなら隠れた理由はなんだろう。

 実はお兄さんが好きだとかそういうことなのだろうか。

 もしそうでも大切なのはその人達の気持ちだからなんとも思わないけど。


「あとは中学3年生の妹がいるのよ」

「え、奇遇ですね、僕にも3年生の弟がいるんです」

「そうなの? じゃあ、もしかしたら会っているかもしれないわね」


 それにしてもすごいな、3人か。

 僕にも高校生の兄、姉、弟、妹のどれかがいてくれたら良かったんだけど。

 駆流がいてくれればいいけど、その点についてはどうしても考えてしまう。


「あ、というか東中?」

「そうですね」

「じゃ、尚更可能性は高いわね、妹もそうだから」


 もし仲良くしているあの子だとしたら、そうしたらなんかすごいな。

 って、先輩とその子が姉妹だろうと僕の人生にはなにも影響しないけどさ。


「ごちそうさま、美味しかったわ」

「あ、はい」

「……ちょ、ちょっと待っていなさい」


 先輩は綺麗にお弁当箱を片付けてからどこかに歩いていってしまった。

 ただ戻っただけと考えていた自分、けど、先輩はまた戻ってきた。


「はい、これをあげるわ」

「ありがとうございます、後でお金を払いますから」

「い、いいわよっ、私がお弁当を忘れただけなのにあんたのを貰っちゃったわけだから……」


 あ、そういうことだったんだ。

 そりゃそうか、そうでもなければ野郎のお弁当なんて狙わないか。

 ああ、たまには焼きそばパンというのもいいな。

 食いしん坊な猫――食坊が興味を持って匂いを嗅いでいるけど、流石にあげるようなことはしなかった。

 これは猫にとって塩分濃度が過剰すぎるだろうから。

 でもあれだよねと、きゅうりをおもむろに取り出してあげるというのもまたシュールな光景だなと。

 ちゃんと調べた、そうしたら生であげていい物できゅうりが挙げられていた。

 最悪、食坊が来なくても自分がかじることもできるんだからコスパのいい野菜だと思う。

 栄養はないらしいけど、噛むという行為をするだけでお腹も多少は膨らむから。

 たまに焼いた鮭の一部をあげたりもする。

 どうなるのかは分からないから気をつけないといけないんだけど、それでも見つめられるとあげたくなっちゃうというかさ……。

 とにかく少量、ほんのちょっとにしてあるから大丈夫だと思いたい。


「あ、つか名字はなんだっけ? 失敗したなあぐらいにしか認識していなかったから覚えてないのよ」

「あ、梶間です、梶間素晴と言います」

「ふーん、なるほどね」


 残念ながら先輩の方は教えてくれなかった。

 当たり前か、友達というわけでもないんだし。

 みおって名前なのは分かっているが、役には立たなさそうだった。


「戻るわ、お弁当、ありがとね」

「はい、こちらこそありがとうございました」

「うん、それじゃ」


 こっちはいつも通り、食坊でも膝の上に乗っけてゆっくりしようか。


「そう上手くはいかないよね」


 たまたま似たようなところで過ごすからというだけでしかない。

 それ以上でもそれ以下でもない、それどころか僕に対する評価は低いと。

 名前と中学、あと細かいなにかを言うだけであんなに失敗したんだから。


「戻るよ、また明日ね」

「にゃ~」


 食坊の頭を撫でてからこの場をあとにする。

 それでも、あんまり残念な気はしなかった。




「あ、駆流くんの……」

「あ、こんにちは」


 翌週の水曜日、買い物をしていたらまたこの子と出会った。

 買い物を代わりにするなんて偉いなあなんて適当に考えていたら「あの」と話しかけられて慌てて意識をそちらに向ける。


「あ、駆流なら今日はいないんだ、ごめんね」

「あ、いえ、そうではなくて、いつもお兄さんがお買い物に来ているんですか?」

「そうだね。駆流は部活があるし、父さんは仕事があるから暇な僕がやるのが1番かなって」


 寧ろふたりのためになにかできることが嬉しい。

 してくれてありがとうって言ってもらえると凄く嬉しいのだ。

 だったらって動きたくなるのはおかしなことじゃないよね?


「私もこうして水曜日は来ているんですが、お小遣いのためなので純粋ではないかなと」

「そんなことはないよ、お小遣いのためでも家族のために動けていることには変わらないんだから。きっと嬉しいと思うよ」

「そうですかね、そうならいいんですけど」


 それで何故か一緒に見て回ることになってしまった。

 結構長くやってきているから食材の選び方を偉そうに口にしてしまったけど。


「途中まで持つよ、駆流といてくれてありがたいから」

「そんな……、申し訳ないですよ」

「いいからいいから、別に家まで付いていこうとしているわけじゃないからさ」


 部活が終われば本格的に受験生になるわけだけど、駆流ともっと普通に仲良くしてあげてほしいと思う。

 勉強をするときなんかには家を使ってくれればいいから、それが気まずいなら外で一緒に駆流とやってくれればいいわけだし。


「あ、ここなので」

「そっか、じゃあはい」

「ありがとうございました」

「お礼なんかいいよ、それじゃあね」


 余計なお世話かもしれないけどこのことは駆流には言っておこうと思う。

 というか、そうしないと僕的に申し訳ないというか、そんな感じで。


「ただいまー……って、なにもなくても寝るのか」


 気持ち良さそうな顔をして……。

 起こすのも可哀相だから綺麗なバスタオルを掛けておいた。

 その後は食材をしまって、調理を開始。


「ん……あれ、帰ってきてたんだ」

「うん、さっきあの子と一緒にね」

「あの子……?」

「ほら、駆流が最近仲よ――」

「なんで望心ちゃんと帰ってくるようなことになるの!?」


 うん、今度から起こすときはその子の名前を出そう。

 そうすればこうして弟の眠気を1発で吹き飛ばしてくれるから。


「スーパーで会ってね、一緒に見て回ったんだ」

「なんで一緒に見て回ることになるの……」

「僕も不思議に思ったんだけどね、それで、帰りは荷物を持って途中で別れたって感じかな」


 やましいことはなにもないんだから隠す必要はない。

 ま、僕がこんな対策をしなくたってあの子的にはどうでもいいだろうけど。

 僕らの間にはなにもないことは確かだ、寧ろあったら怖いよねという話。


「な、なんで好感度を稼ごうとしているの?」

「そんなのじゃないよ。駆流が普段お世話になっているからね、兄として多少はなにかお礼がしたかっただけなんだよ――できた、お風呂を溜めてくるね」


 けど、僕はすぐに言うんじゃなかったと後悔した。

 なんでなんでなんで攻撃が止まらなかった。

 ご飯を食べているときも、お風呂に入っているときも、予習をしているときも、寝ようとしたときも止まってはくれなかった。

 それで駆流は疲れて僕のベッドで寝てしまったという話、なんじゃそりゃ。


「しょうがない、下で寝るかな」


 ま、これでよりあの子と仲良くしようと頑張れればいいのではないだろうか。

 仮想敵として存在していればあの子も嬉しい結果に繋がるかもしれないし。

 頑張れと応援しつつ、ソファに寝転がって眠気を待った。




「いたた……流石にソファで寝るのは辛いな」


 翌日、つまり今日に大変響いている。

 朝からなんで攻撃を食らってきたわけだからそれも影響していて。


「ふぁぁ……」


 教室に着いたら休憩開始。

 僕がこうしてSHR前にここにいるのは珍しいと言える。

 でも、クラスメイトは特に気にすることもなくクラスメイトと盛り上がってくれているから気にならなかった。

 先生が来たら休憩をやめて、SHRが終わったら教室から逃げた。

 やっぱりね、授業の時間以外は教室には居づらい。

 というか、こうしている間にも4月が終わってしまいそうだ。

 その間にできたのは食坊との出会いと、好感度稼ぎぐらいだけ。


「お、珍しく校舎内で会ったわね」

「あ、おはようございます」

「うん、おはよ」


 今日もどうやらひとりのようだ。

 まあ、高校内でお兄さんとずっといるわけにもいかないから無理もない。


「で、なにやってんの? 教室にいれば?」

「あ、居づらくて、お昼休みにあそこにいるのはそういうことでもあるんですよ」

「ふーん、なんかあんたらしい選択ね」


 これは間違いなく僕=情けないということになってしまっている。

 事実、自分は本当に情けないんだから違うだなんて言うことも間違いで。


「そういえば中学3年生の弟がいるって言っていたわよね?」

「はい」

「その子はどうなの? 教室から逃げるような人間なの?」

「全然違いますよ、寧ろ弟が兄でいてくれた方が良かったですね」


 それでも僕の周りに特定の人がいてくれないのは同じだけど。

 それでも、兄らしくいられていないいまを考えれば、あの子が兄でいてくれた方が落ち着けるのはある。

 誰かに甘えてみたいという気持ちもあったのだ。

 駆流がお兄ちゃんなら間違いなく楽しく生活できただろうし。


「というか、教室から逃げているわけでは……」

「そうでしょ?」

「はい……」


 これからも駆流の前では嘘を重ねるしかなさそうだ。

 もし反抗期がきてしまったら注意をしてもその度に「クソ兄貴に言われたくねえんだけど、このぼっち」とか言われてしまいそうだし。

 いやまあ、駆流はそんなこと言わないけどね。


「なるほどね、だから猫用のご飯を準備しているんだ」

「え? どういうことですか?」

「だからさ、猫しかいてくれないから必死に来てくれるようにご飯をあげているんでしょ?」


 そういうわけではなかったんだけど。

 どうせ来てくれるならとお礼をしていただけで。

 足の上に乗ってくれたりして優しい子だからなにかを返したいと考えることはおかしなことじゃない、はず。

 それが例え違う種であったとしても変わらない。

 してもらったことに対するなにかを用意しなければならないのだ。


「じゃあはい、私にもちょうだい」

「え?」

「察しが悪いわね、私はこうしてあんたのところに来てあげているじゃない。だったら、その猫にするみたいにお礼をする必要があるでしょ?」


 と言われてもいまなにかがあるわけでもないし……。

 猫じゃないんだからノーマルきゅうりを貰っても嬉しくはないだろう。


「すみません、いまはなにもなくて……」

「じゃ、お弁当でいいわよ、あんたのお弁当を気に入ったの」


 えぇ……、また奪われることになるの?

 これなら先輩用のお弁当を作ってしまった方が遥かにマシだ。

 寧ろそうしないと自分はお昼抜きになってしまう、それで許してくれはしないだろうか?

 というか、別にどうにもならないんだから来てくれなくてもいいんだけどなあ――なんて考えてしまう自分は性格が悪いかな?


「あの、明日から作ってきますのでそれだけは……」

「駄目、いますぐ」

「……じゃ、待っていてください」


 あの子のお姉さんであるわけないな。

 いやそうじゃなくて、あの子のお姉さんであってほしくない。

 お弁当袋を手渡すと「ありがとっ」と笑って言ってくれたが、こっちは愛想笑いをすることだけしかできなかった。


「あのさ、弟ってなんて名前?」

「駆流って名前です、漢字はこんな感じで」


 いつもなにかがあったとき用にボールペンを持っているから腕に書いて見せた。

 弟の名前を聞いたのは僕から名字を聞いていたからだと思いたい。


「駆流、かける、かけるねえ」

「どうしたんですか?」

「妹がたまに口にしていたような……」

「そ、そうなんですか」


 頼むっ、あの子の姉じゃいないでくれ!

 駄目だ、全く似ていないし、仮に姉ならお姉さんの方はわがままだし。


「ちなみに、私の妹の名前は――」

「あーあー! もう授業が始まるので戻りますね!」

「あ、そうね、それじゃあまた後で」


 ……食坊には悪いけど今日はあそこには行かないようにしよう。

 どうせお弁当はもうないし、そこまで先輩といたいとも思わない。

 食坊、また明日会おう。




「お邪魔します」


 土曜日、駆流がまたあの子を連れてきた。

 特に用事などがあるわけではないが、なんとなく家を出た。

 もう5月だ。

 歩いているだけで少し汗をかきそうな、かかなさそうなそんな曖昧な感じ。

 でも、風が気持ちいい、土曜日に引きこもっているよりかはいいだろう。

 意味もなく高校まで歩いてみたり、本屋に寄ってみたり、公園で適当に休んでぼうっとしてみたりを繰り返して時間をつぶしていく。

 こういうときは携帯などを弄ると台無しだからマナーモードにしていた、しなくても誰かから連絡がくるだなんてことはないんだけど。


「アイス美味しい?」

「うん、美味しいよ」


 小学生ぐらいの子に話しかけられたりしたけど、うん、流石にそれぐらい年齢差があると緊張したりすることなく普通に対応できる。

 その子は「アイス買ってくるっ」とコンビニ内へと入っていった。


「アイス美味しい?」

「ん? え゛」


 急に陰ができたからなんだと思って前を向いたら壁だった。

 ――は冗談として、高身長の男の人が立っていた。

 違う、この人は先輩のお兄さんだ。


「アイス、美味しい?」

「あ、美味しいですよ」

「そっか、じゃあ僕も買ってこようかな」


 こちらはその間に逃げてしまうことにする。

 冗談じゃない、誰かといたら台無しになってしまう。

 駆流や父ならともかく、仲良くもない人となんていられない。

 せっかくの休日を無駄にしたくなかった。


「あ、裏切り者の兄ちゃんだ」

「裏切り者って……」


 あれからというもの、駆流は反抗期の子どもみたいになってしまった。

 必ず裏切り者とか卑怯者とかそういうことを付け足してくる。

 それでも「兄ちゃん」と呼んでしまうあたりが悪ぶれないところを物語っているわけだけど、なるべく早く終わってほしかった。

 駆流がいるとなれば当たり前のように彼女はいた。

 特別近いわけでも、かといって離れているわけでもないそんな距離感。

 うーん、やっぱり違うよね、あんまり似ていないし。


「あ、どこかに行こうとしていたんだよね? 気をつけてね」

「裏切り者の兄ちゃんも気をつけてね」


 ふたりが出たなら家に帰るだけだ。

 幸い、部屋は鍵をかけることができる。

 だから家にいても良かったんだけど、まあ、少し息抜きができたから結構だ。


「はぁ」


 なにも変えられないまま1ヶ月が経過しようとしている。

 いまはまだ4月から5月というところだからいいが、これが5月から6月、6月から7月ってなってしまうとあまりの早さに困ることになると思う。


「ま、食坊が長く生きて僕のところにやって来てくれればいいや。


 あとはそう、先輩の妹さんがあの子ではありませんようにっ。

 お弁当袋及びお弁当箱すら返してこない先輩が姉なんて駄目だからね。

 ところがどっこい、現実というのは願ったことの反対の結果になることばかりなんだよなとフラグを立てつつ、ぼうっとしていても仕方がないから昼寝をすることにしたのだった。

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