世紀の大発明、どこにでもドアがある世界

やまなしレイ

夢の末路

 エアコン、HDDレコーダー、スマートフォン……みなさんの周りを見渡せば、人々の生活を豊かにした発明品が溢れていることと思います。

 当然のことながら、それらの発明品は大昔には存在していませんでした。夏は窓を開けっぱなしにして涼をとっていたし、野球中継が延長するとその後に録画していた番組は録れていなかったし、無料でゲームが遊べる日が来るだなんて誰も想像していなかったのです。



 人々の生活を豊かにしたい―――

 そう願った先人達が作りあげた数々の発明品のおかげで、私達の生活は格段に便利になりました。


 だけど、そうして作られた発明品でも、誰にも知られることなく静かに消えていったものも少なくありません。本日紹介するのは、闇に葬られたそうした発明品の一つです。


 ◇


 歴史に名を残さなかった彼の名前を、仮に鈴木としましょう。

 鈴木(仮)は、毎日「本日の交通事故件数と交通事故による死亡者数」が掲示されるのを心を痛めて見ていました。また、毎日の通勤・通学に何時間もかけている若者や、その最中に起こる様々な事件(痴漢被害や、その逆の痴漢冤罪など)に無力感を覚えていました。


 「移動」にかけるコストをなくせば、人々の生活は豊かになるのではないか―――


 鈴木(仮)はそう考えたのです。



 そうして生み出された発明品は、ある地点からある地点に「行きたい」と座標を合わせることで、扉の向こうがその地点になっているというものでした。

 例えば、東京から「大阪府のこの市のこの番地に行こう」と座標を合わせてから扉をくぐると、そこはもう大阪なのです。


 なんという画期的な発明品でしょう!

 誰も思いつかなかった夢の品です!


 この品が普及すれば、車の事故や、電車での痴漢などもなくなりますし、移動によって人々が奪われていた時間が激減します。

 余暇の時間が増えることで、面白い映画、番組、ゲーム、漫画、小説―――「時間がないから」と諦められていたそうした娯楽に触れる時間も作れて、人々の心が豊かになるし、エンタメ業界にとってもプラスになるはず。

 大都市への人口集中も緩和されて、地価の安い地方への移住者も増えるかも知れない、鈴木(仮)はそう考えました。



 「どこにでも行ける」、それは物理的な意味ではなく、人間の可能性を広げる。そんな思いを込めて、発明品は“どこにでもドア”と名付けられたのです―――



 だけど、“どこにでもドア”はほとんど普及しませんでした。

 夢の発明品のように思えるのに、みなさんの周りにも“どこにでもドア”を使っている知り合いはいないでしょう?


 発明品としては最高でも、商品として“どこにでもドア”にはとてつもない欠陥があったのです。


 ◇


 鈴木(仮)は“どこにでもドア”を完成させた時こう思ったそうです。


「こんな最高の発明品は、ニュースで取り上げられてあっという間に有名になっちゃうぞ。」


 しかし、テレビも新聞も週刊誌も、まるでその存在が見えていないかのように、“どこにでもドア”についてどこも言及しませんでした。

 鈴木(仮)は落胆しましたが、インターネット上でその存在を周知させていくことにしました。SNSや動画サイトなどで発信してこの発明品を知らせようとした結果、話題になり、いくつかの企業が手を上げて量産・商品化しようという流れが出てきました。



 すると、それまでは「その存在が見えていないかのように」黙っていたテレビや新聞、週刊誌などが一斉に“どこにでもドア”を叩き始めたのです。KNOCKIN' ON YOUR DOORですよ。


 安全性の問題、プライバシーの問題、まだ商品として売り出しているワケでもないのに高額になるだろうとか、商品化してくれる企業のスキャンダル、最終的には鈴木(仮)の過去の交友関係など、中には根も葉もない話までもが取り上げられて……好意的に報じてくれるメディアは一つもありませんでした。


 鈴木(仮)自身にも多数の脅迫があったり、街を歩いている時に車が突っ込んできて轢かれそうになったりもしました。そこで鈴木(仮)は気付いたのです。




 もし“どこにでもドア”が商品化されて、普及したら、困るのは自動車産業だ―――!


 現在の人々の移動手段となっている「自動車」、そこに取って代わる形で「どこにでもドア」が座ったとしたら……

 自動車を作っているメーカー、工場、その部品を作っている数多くの下請け、自動車を売っている販売店、修理工場、タクシー会社、バス会社。そのすべての人達が大打撃を受けて、多数の失業者を生んでしまう、鈴木(仮)はそのことに初めて気が付いたのです。


 この国にとって「自動車産業」は要であり、またテレビ等のマスコミにとっては大スポンサーの一つです。「自動車」を駆逐しかねない「どこにでもドア」の存在など許されるワケがありません。



 「電車」もそうです。

 なぜ新聞や週刊誌が執拗に“どこにでもドア”をバッシングしたのか―――新聞や週刊誌が読まれるのは通勤電車の中で、だからこそ中吊り広告にキャッチーな見出しを付けて購買意欲を刺激しようとしているのです。


 もし“どこにでもドア”が普及して「電車」がなくなってしまったら、新聞や週刊誌が読まれなくなってしまうかも知れません。



 “どこにでもドア”の、商品としてのとてつもない欠陥―――


 それは、「あ ま り に 便 利 す ぎ て」この国の基幹産業を破壊しかねない存在だったことです。生態系を食いつくす生き物はいずれ食料がなくなって生存できなくなるように、“どこにでもドア”はこの国の人々を食いつくしかねなかったのです。


 ◇


 それでも「便利なことに間違いはない」と利用しようとする企業も出てきました。

 宅配業界のとあるベンチャー企業は“どこにでもドア”を使えば大幅なコスト削減ができると、大量導入を試みました。


 ですが、ここで一つの誤算が生まれます。

 例えば、千葉にある倉庫から北海道に品物を運びたい場合、配達員が“どこにでもドア”を使って千葉→北海道に移動したとします。しかし、同時に千葉←北海道にも行き来できるようになるため、配達員が配達している間にこどもが勝手にドアをくぐって千葉の倉庫に来てしまう事案が多数発生してしまいました。


 そのため配達員は、間違ってこどもがくぐらないように、巨大なドアを抱えたまま荷物を届けに走り回らなくてはいけなくなったのです。その間にぶつけて壊してしまい、戻ってこられなくなった者もいました。



 鈴木(仮)は考慮していなかったのです。

 “どこにでもドア”はそれ一つだけでは未完成で、“どこにでもドア”を簡単に持ち運べる……例えば、どんな大きさのものも小さくして入れられるような“魔法のポケット”がなければ実用的ではなかったのです。


 しかし、そんな“魔法のポケット”は存在していません。

 “どこにでもドア”は、少なくとも今の時代にはただの欠陥品だったのです。



 そうこうしている間に、“どこにでもドア”は国会でも取り上げられて、法による規制が進みます。安全性やプライバシーの問題で、私有地から私有地への移動以外は禁止となり、更に「人」がくぐるのは禁止、「物」だけを移動させられる商品へとなりました。

 つまり、千葉の倉庫から北海道の倉庫に「物」だけを移動させるのはOKということなんですが―――“どこにでもドア”を導入したベンチャー企業はまだ小さな会社です。国のあらゆるところに支社があるワケがありません。


 かくしてそのベンチャー企業も破綻。

 “どこにでもドア”もいつしか市場から消えてしまいました。



 もし、“どこにでもドア”が普及していたならどんな世界が待っていたんでしょうね。それはもう誰にも分かりません。“どこにでもドア”では、どこにも行けなかったのです。

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世紀の大発明、どこにでもドアがある世界 やまなしレイ @yamanashirei

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