25~27〈魔獣に剣を〉

ルヴィアは、首が痛いと思った。

それを見上げるのに十分な角度で、ほんの数瞬頭を上げていれば、当然のことと言えよう。

いや、実際には痛みなどない。そんな錯覚を覚えるような、恐ろしい巨躯に圧倒されただけだ。


村を囲む四重の柵の一番外側を、十歩を僅かに超える巨人が乗り越えるところを、ルヴィアとヨハンは目にした。

青白い絹のような肌を持ち、ふとするとその場にほどけていってしまいそうな儚さを感じる細腕や足だが、その幽鬼はずしりと足元を踏み固めた。

ぼおおおおと声をあげる幽鬼をよく見れば、顔はぶよぶよとして、目鼻口には虚空があった。髪のように、細く薄く束で伸びた頭頂部が、背中を覆うように揺れる。


距離は100歩に届かない。

戦いが始まるのは間もなくだ。


「みろよ。お仲間がご到着だな」


ヨハンが指さす方には、空を羽ばたいてくる、ヘルカイト2羽の姿があった。


「一番危険なのはあれね…尋常じゃないほど魔力が高い」


ルヴィアが視線を送るのは、巨躯の幽鬼。

ではなく、その後方で、森を背後に柵の外から様子を伺っている、黒いローブ姿の幽鬼だった。背はルヴィア2歩半ほどあるのだろうか。その姿には他にも様々な装飾が見えるが、ふわふわと足元から浮いている上、距離も離れているため、詳細は分からなかった。


「明らかに騎士級どころじゃねぇな。ま、ノービスの報告なら仕方がない」

「他のを片ずけるまで、あれが出てこなければいいのだけど」

「…ま、一旦は作戦通りにしてみるか?今度はそう簡単にやられねぇ自信がある」

「なら、予定通り。盾は任せたわ」

「おう!行くぜぇ!!!こいつを膝に叩きつけてやるよっ!!!」


ルヴィアとヨハンは殆ど同時に駆け出した。が、ルヴィアは速度を抑え、2歩遅れて後を走る。巨大な戦斧を構えたヨハンは、勢い良く巨人の幽鬼の足元に突進していった。

その道すがら、高度を低くし、攻撃を狙っていたヘルカイトの片方に拳大の石を投げつける。


「テメーらの相手は俺だァァァっ!!《不壊》っ!!」


敵の攻撃に耐えるための魔導を唱えながら、ヨハンは無造作に放った戦斧の大振りで、幽鬼の膝を打ち据えた。巨躯に比べれば細いが、それでも木の幹程の太さである脚は、その一撃で半分ほどが吹き飛んだ。

しかし、幽鬼からは血が出ない。そのうえ、切断しなければ無理やりにでも立つことが出来る。

だがそうであっても、戦斧と桁違いの筋力によって生まれる衝撃に耐えかねて、全身をよろめかせる。

彼はそのまま、頭上から襲いかかる幽鬼の腕とヘルカイトの爪を、その身でうけとめつつ絶え間なく攻撃を続ける。


それを後目に、脚にたっぷりと力を貯めたルヴィアが、空に跳び上がる。


「あんたはこっちよ!!ふっ!!」


1度の跳躍でヘルカイトの足元の高さに到達し、そこに剣を振るった。

虚空を切ったルヴィアに、無傷のヘルカイトが襲いかかる。

しかし、ルヴィアはそれを《停止跳躍ストップステップ》で難なく躱す。


「《朧》!!」


それは魔導と剣技の合わせ技だった。

先程剣が振られた虚空に飛び込んだヘルカイトに、突如刀傷が付けられ、幾ばくかの血が飛び出す。

思わずヘルカイトは悲鳴をあげるが、傷は浅い。


ルヴィアは地面に降り立ち、怯むヘルカイトを睨む。

あの技も本来はもっと威力が出るはずだが、大したダメージにはなっていなかった。

それは、足場のない宙で腰や脚に力を入れることが出来ないからだ。


「全く…飛ぶっていうのは本当に厄介ね」


ルヴィアは愚痴りつつ、剣を正中線に構えた。



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一方で、ヨハンは両足を地面につけて踏ん張ることができ、そのうえ空を飛ぶ厄介なヘルカイトも、その戦闘スタイル上、降りてきて攻撃してくる所に反撃を行うだけなので、安定して立ち回っていた。


今の役割は自身の耐久にものを言わせて、ルヴィアが敵を減らすのを待ち、数的不利を少しでも覆すことだ。


そのうえ彼の魔導は、非生物を破壊出来なくし、生命を持っていればその頑強さを補強するものだ。

持久戦や攻撃力をぶつけ合う戦いは、彼の得意とするところだ。


ただし、この巨大な幽鬼の全力の拳を、防御もせずまともに正面から喰らうと流石の彼も危うい。

鎧の破壊は防げても、生身に与えられる衝撃は和らげることまでしか出来ない。


それ故に、得意とする戦いであっても油断せずに武器を振る。避ける。


合間を縫って、ちらりとルヴィアを確認すると、危なげなく戦っているが決め手にかけるようだった。


「あんまりもたついてると、片方倒しちまうぜ!《大門割り》っ!」


思い切り力を込めた一撃を振り下ろし、巨大幽鬼の片腕を切り落とす。

生命なき魔獣といえどさすがにこれはこたえたか、ぼおおおおと激しく呻き立てた。


「思ったよりやれそうだぜ!うおおおおお!」


ヨハンはそうして、何度も斧を振りかぶり、時には柄で攻撃をいなす。


そして、幽鬼の悲痛の声を、ルヴィアも聞いていた。


「さすが、やるわねヨハン。私もほんの少しだけ、無茶してみようかしらっ!」


今度は剣を振るう前にルヴィアへ飛び出したヘルカイト。

ルヴィアは再び宙へ跳び、それを待ち構えた。


両足を広げ、腰を深く落とす。

それも、空中で制止した状態で。

体を支えるのは、足の裏の僅かな面積のみだ。

それでも、彼女の鍛え上げられた体幹が、その動きを支えている。


「はぁぁぁぁぁぁ………」


ゆっくりと呼吸を吐き出す彼女に対し、ヘルカイトは目と鼻の先。刹那の間に、その嘴がルヴィアを貫かんと襲い掛かるだろう。


そして、その刹那は当然のように訪れる。

だが、その瞬間だけを切り抜いたかのように、ルヴィアは既に剣を振り終わっていた。


「《幾望》っ!!」


ルヴィアに激突する寸でのところを、首と翼の片方が、それぞれ胴体から泣き別れたヘルカイトが通り過ぎる。そのままルヴィアの真下の地面を、芝を抉って飛んでいった。



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ようやく、景観の崩れた地面に両足を下ろす。地面に激突し、ばらばらになった上に骨まで砕けたであろうヘルカイトは、いくらか残酷な見た目だが、間違いなく息は止まっただろう。


肩越しに振り返れば、ヨハンが巨躯の幽鬼を倒そうとしていた。

ヘルカイトは傷があるものの、まだまだ元気に飛び回っていた。


そして、森を背に立つ幽鬼は、未だ遠方で動きがない。

何かを狙っているのだろうか。

十分に注意を払って、残りに挑まなければ。


それを確認し終えたルヴィアは、ヨハンの元へ向かって走る。

いつぞや、森の中をかけていた時よりも速い。その速度たるや、蹴った足元の土が反対向きに飛んでいくのだ。


「ヨハーン!!幽鬼を倒せるっ!!?」

「まかせろぉぉっ!」


ルヴィアの大声に、更なる大声で反応するヨハン。戦斧を両手に持ち直し、腰を捻って、体の右側に戦斧を構えると、力を貯め始めた。


「いくぜ!!うおおお!!!」


腰をぐりんと回転させ、置いていかれた上半身を、腰が回転した速度の倍の速度で振り回した。

戦斧を持った腕をのばし、更に戦斧の先が加速する。


「《雷鳴斧》うぅ!!!」


雷を思わせる爆音を放って、斧が振り抜かれる。

ヨハンに相対していた幽鬼の身体に向かって唸ったその先端が、胴を全て消し飛ばした。

バリバリという音は、戦斧と吹き飛んだ身体が空気を裂く音だ。


生命を持たぬとあっても、肉体を半分以上失った幽鬼は地面に落ち、ピタリと動かなくなった。それこそ、まるでルヴィアの〈停止〉を食らったかのように、一切の活動が出来なくなったようだった。


「ヨハンっ!!肩を!」

「おうよ!」


その間に、ヨハンのすぐ側まで走りよっていたルヴィアが、ヨハンに合図する。

それに応えたヨハンは、彼の肩に飛び込んでくるルヴィアを待ち構えた。


「はっ!」


そしてルヴィアがヨハンの肩に飛び乗った。

ルヴィアはぐぐっと力を入れる。

同時に、ヨハンが肩を沈めた。


次の瞬間、ルヴィアは力を解放し、跳ぶ。

ヨハンは肩をかちあげ、ルヴィアを発射する。

二人の力が相乗し、ルヴィアは地面を走っていた速度を遥かに越える速度で、真上に羽ばたいていたヘルカイトに向かっていった。

そして腰に剣を構え、混乱するヘルカイトに一閃。


「《望月》っ!」


ヘルカイトの首を切り離してなお、ルヴィアは空に飛んでいた。

その姿は夕日に照らされ、凛々しく輝いていた。





魔導を駆使し、地面に降り立つ。



「すげー剣技じゃねぇかっ!さすがだな!」


そこへ声を掛けてきたヨハンは、先程まで戦いを繰り広げていたとは思えないほど、快活な笑い声をルヴィアに届けた。


彼越しに森の方を見やれば、既にあの幽鬼は消えていた。そこから強者の威圧感は失われ、不気味なほど静まり返っていたが、敵がいなくなり、ようやくこの戦いに勝利したのだと息をつくことが出来た。



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