絶体絶命

 ボクは深呼吸した。

 落ち着け。冷静になれ。この星にE鉱はない。つまりどんなに巨大であっても相手は異進化生物ではない。ただの野生生物にすぎないんだ。だったらこれまでの狩りと同じく生命エネルギーを低下させることで簡単に倒せるはずだ。よし、いくぞ。


「そりゃ!」


 相手の固有時を読み取って技を発動させる。野獣が目を開けた。異変に気づいたのだろう。


「ぐわおお!」


 吠えた。思わず耳を塞ぐ。まるで爆音だ。空気の振動でボクの頬っぺたが震えている。


「ぐわっ、ぐわっ」


 技が効いているみたいだ。大口を開けたまま呻いているぞ。どうやらこのまま退治できそうだな。


「気をつけてください。ヤツは口から火を吹きますぞ」

「えっ? 今なんて言ったの?」


 と村長に訊き返す前に凄まじい熱気を感じた。直ちに生体保持の技を発動。ボクの体表を覆う空間が適度な温度、気圧に保たれる。


「宇宙空間でも生き抜ける技だ。この程度の火炎ならビクともしないはずだ」


 エネルギー低下の技をかけ続ける。野獣は火を吐き続ける。


「がお、がお!」

「まだか、まだか」


 なおも技をかけ続ける。相手も火を吐き続ける。その勢いはまったく弱まらない。


「おかしいぞ。いくら何でもしぶとすぎるんじゃないか。もしや……」


 嫌な予感がしてきた。野獣の体内を探ると高エネルギー物体の気配を感じた。E鉱だ。


「そんなバカな! この星にE鉱はないはずなのに」


 予想外の展開に気が動転する。だが今その理由を考えても仕方がない。とにかく相手はE鉱を持っている。つまり宙人そらびとでさえも倒すのが困難と言われている異進化生物だ。


(このままでは確実に負ける)


 E鉱の持つエネルギーに比べればこちらのエネルギーは微々たるもの。この状態が続けば先に力尽きるのはこっちだ。


(E鉱を体内から排出する。それしか手はない)


 移動技をかけるには対象物の固有時を把握する必要がある。E鉱に意識を集中する。ダメだ。野獣の固有時空に包まれていて正確に把握できない。E鉱に時空術をかけて排出させるのは不可能だ。


(どうしよう、どうすればいいんだ)


 野獣に瀕死の重傷を負わせてもE鉱のエネルギーによってすぐ回復してしまうだろう。一撃での即死、それができなければ体内からE鉱を排出するしか手がない。こんなことならエネルギー低下以外の狩り技を習得しておけばよかった。くそっ、こうなればあの手でいくか。


「小さくなれー、小さくなれー」


 野獣の体が縮んでいく。もっと縮ませてE鉱よりも小さくなれば、体を突き破ってE鉱が外に転がり出るはずだ。とっさに思い付いたわりには確実性の高い作戦じゃないかな。


「縮まれー、もっと小型になれー」

「ぎゃうぎゃう」


 さすがにこれだけ大きいと時間がかかる。手乗り野獣になるまでエネルギーが持つだろうか。しかも相手の火力はまったく衰えない。やはりE鉱の力は絶大だな。


「チビになれー。ヒナになれー」

「みゃうみゃう」


 鳴き声はかわいくなったが吐く炎は相変わらずだ。それにこちらも疲れてきた。野獣はボクの身長の半分くらいになったし、剣を借りて腹を裂いてE鉱を取り出してしまうか。


「村長、すみませんがボクにその剣を貸して……」

「待たれよ! あの程度の野獣なれば宙人さまの手を煩わすまでもありませぬ。このわしが仕留めてみせましょう」


 いきなり走り出したのは白髪の老人だ。なんてバカなことを。火炎の威力は変わっていないのに。


「待って、危ない!」


 野獣の吐く炎がふたつに分かれた。そのひとつが老人を襲う。直ちに生体保持の技を発動。一度にふたり分はかなりきつい。大きさ変換の技が満足にかけられない。野獣の縮小が停止して徐々に大きくなり始めた。


「宙人様が苦しんでおられる。皆の衆、宙人様を救うのだ!」


 村長の掛け声を聞いた村人たちが一斉に走り出した。慌てて叫ぶ。


「ダメだ。みんなやられる。引き返して!」


 しかしボクの声を聞く者は誰もいない。鎌や鍬を振りかざして突進する村人たちに情け容赦のない野獣の火炎が襲い掛かる。


「くっ!」


 全員に生体保持の技をかける。きつい。苦しくて息が止まりそうだ。もはや大きさ変換の技をかける余裕はない。完全に技を解かれた野獣は一瞬で元の大きさに戻ってしまった。


「なんとかしてくだされ、宙人様、宙人様あー!」


 村人たちの叫び声。だが今のボクには指一本動かす力も残っていない。


「みんな、ごめん」


 何もできなかった。こうして全員に生体保持の技をかけ続けるのが精一杯だ。しかしそれも間もなく限界を迎える。肌に熱を感じ始めているのだ。やがてこの技も解けるだろう。せめて村人たちの命だけでも救いたいがそれすらできそうにない。師匠、出来の悪い弟子を許してください。やはりボクには宙人になるほどの力はなかったようです。ああ、意識が薄れていく。


「爆裂!」


 懐かしい声が頭に響いた。遠隔話法の声だ。同時に耳には爆音が轟いた。薄っすらと目を開けると野獣の姿はなかった。バラバラになった体の破片があちこちに転がっているだけだ。


「立て。いつまで地面に這いつくばっているつもりだ」


 顔を上げる。師匠だ。その手にはまばゆい光を放つE鉱が握られている。


「シ、シショウ。来てくれたんですね。ありがとう、ございます」


 ふらつきながら立ち上がったボクの両肩を師匠の両手がつかんだ。その表情はこれまで見たことがないほど怒りに満ちている。


「この愚か者。わしが来なければどうするつもりだったのだ。あのままではおまえは確実に死んでいたのだぞ」

「……」


 返す言葉もなかった。師匠が怒るのは当然だ。


「訓練に入る前に約束したはずだ。どんな事態に陥ろうと必ず自分の命を最優先にして行動すると。それが何だ、この有様は。これで自分の命を守ったと言えるのか」

「でも、それはあの老人を救うために仕方なく」

「それが間違っていると言っているのだ。なぜ老人を救った。放っておけばいいではないか。あの老人を見殺しにすればおまえはE鉱を取り出せていた。自分の命を守れていたのだぞ。最優先すべきは自分の命、わしはそう命じたはずだ」

「老人を、見殺しに……」


 得体の知れぬ怒りが込み上げてきた。間違っているのは師匠のほうだ。そんな考え方が許されるはずがない。


「ボクは間違ったことをしたとは思っていません。野獣を倒すために老人を見殺しになんかしたら一生自分を許せなくなるでしょう。そうまでして手に入れた命や名誉にどんな価値があると言うんです。助けられる命は助けるべきです」

「理想論に過ぎん。この銀河全体で助けねばならない命がどれだけあると思っているのだ。万人の命を助けるためにひとりの命を犠牲にするのは仕方のないことだ。おまえは老人ひとりを救うためにここにいる村人全員の命を危険にさらしたのぞ。それが正しい行いだったと本気で思っているのか」


 正論だった。確かにボクの取った行動は愚かで浅はかだったかもしれない。けれどもどうしても間違っているとは思えなかった。


「師匠が何と言おうとボクは見殺しにはできません。もし同じ場面に遭遇したら同じことをすると思います」

「そうか。わしの言い付けには従えないと言うのだな」


 師匠はつかんでいた両肩を放すと厳しい声で言った。


「ならばおまえはもうわしの弟子ではない。落第だ。そのような考えの持ち主に宙人は務まらぬ。実技訓練はこれを以って終了する。さっさと故郷の星へ帰るがいい」


 いきなり闇の中に放り込まれたかのように目の前が真っ暗になった。師匠に口答えしたときから覚悟はできていた。しかしこうして現実に「落第」の言葉を聞かされるとその衝撃の大きさに体が震えた。


「わかりました。宙人は諦めます。でも助けられる命を見殺しにしなければなれないような宙人なら、落第してよかったと心から思います」


 少しの後悔もなかった。ボクは師匠に背を向けた。ここへ来た村人全員が悲しそうにこちらを見つめていた。


「皆さんを危険な目に遭わせてしまいましたね。お詫びします。ボクには宙人になれるほどの力はなかったようです。お役に立てなくてすみません」

「いえいえ、わしらこそ無理なお願いをしてしまいました。許してください」


 頭を下げる村長。ボクは空を見上げた。沈み始めた恒星が空を橙色に染めている。師匠の星で最後に見た夕焼け空によく似ていた。熱いものが一筋、頬を伝って流れ落ちた。

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