旅立ちの時
この星へ来てから連邦暦で2年が過ぎた。ボクは間もなく10才になる。
狩りの修練は半年前に終わった。最初は手間取ったが慣れてしまえば他の技同様、すぐ会得できた。
「狩りとは相手を叩くことでも殴ることでも蹴とばすことでもない。相手の生命エネルギーを低下させることである」
師匠の話を聞いた当初はよくわからなかったがすぐ納得できた。
宇宙には多種多様な生物が生息している。
例えば首を絞めて仕留めようとしても相手が酸素呼吸をしていなければまるで意味がない。
心臓を貫こうとしても相手が体液を持っていなければ心臓すら存在しない。
頭を吹っ飛ばしても脳を持っていなけば致命傷にはならない。
熱や寒さで弱らせようとしても岩石のような無機質系の生物ならほとんど変質しない。
このような古典的なやり方では相手に合わせて狩りの方法を変えなければならない。それは実に煩わしい。そこで全ての生物に応用できる狩りの手段として考え出されたのが生命エネルギー低下狩りだ。
「相手の生命エネルギーが生存可能なレベルを下回れば生命活動は停止する。エネルギーは速さの2乗と質量に比例する。おまえはすで速さにも質量にも介入できる技を習得している。従って相手のエネルギー量を変化させることも容易にできるはずだ。やれ!」
「はい」
最初は畑の野菜から。そして森の茂み、樹木、川の魚、鳥、小動物。高等生物になるほど難易度は上がっていった。しかし訓練を始めて100日が過ぎたころには周囲に生息するほとんどの生物を狩れるようになっていた。
「シショウ、相手の生命エネルギーを低下させるのではなく、奪い取ることで生存可能レベル以下にしてはいけませんか。散逸してしまうエネルギーがもったいなくて」
「別に構わんぞ。やってみろ」
やってみた。相手のエネルギーを自分のものにできれば疲れることなく技を使い続けられる、はずだったのがなぜか疲労度が増大した。相手のエネルギーを奪い取っているのに少しも楽にならない。
「おかしいな。どうしてだろう」
「当たり前だ。低下させる技より奪い取る技のほうが消費エネルギーが大きいのだからな。おまえの腕では1奪い取るのに2のエネルギーが必要だろう。エネルギー吸収を使うのはもっと腕を上げてからにしろ」
「わかりました」
なるほど。まだまだ未熟だったというわけか。
それからもボクは技を磨いた。訓練を開始して半年が過ぎるころには吸収技もそれなりに使えるようになっていた。そんなボクを見て師匠が言った。
「そろそろこの星と別れる時が来たようだな」
星の上で行える訓練は全て終了したのだ。これからの訓練は宇宙でしかできない。ボクの修業は新たな段階に突入したというわけだ。
「宇宙はわしらのような生命体が生存するには極めて不向きな空間だ。生身の状態で宇宙へ飛び出せば確実に死ぬ。よって宇宙空間で生き抜くための技を覚えてもらう」
まず覚えたのは肌の表面を生存可能な空間に保持する技だ。空中の大気を集めて体表を覆う薄い膜のようなものを作り、気圧、温度、酸素濃度を一定にする。これで宇宙の真空状態も怖くない。
さらにその膜の外側の時間の進み方を変え、物体の速度を急激に減少させる空間を作り出す。これで宇宙を漂うダストと衝突しても衝撃は少なくて済む。
その他にも様々な技を習得した。体内の水を酸素に変換する技。真空中でも意思疎通ができる遠隔話法。長距離移動に欠かせない空間縮小術。特に興味を引いたのはE鉱の食料としての利用だ。
「このE鉱はきれいですね」
E鉱を見るのは初めてではなかった。故郷の星や
「そうだろう。異進化生物の体内から取れた極上の特殊E鉱だ。これ1個で一生遊んで暮らせるほどの価値がある。他の生命体と違ってE鉱からはほんの少しのエネルギー消費で大量のエネルギーを吸収できる。非常に効率がいいのだ。そのため油断するとすぐ食べ過ぎてしまう。くれぐれも慎重にな」
「はい」
ボクはE鉱を両手で包んで技をかけた。たちまち頭の中が真っ白になった
「こ、これは」
素晴らしかった。これまで味わったどんな料理も及ばないほどの美味が口の中を舞った。頭がしびれるような陶酔感と無重力に似た浮遊感。一生この世界に浸っていたい、そんな気分になった。
「はっ!」
しかしその夢はすぐ終わった。気がつくと師匠が厳しい目をしてボクを睨みつけていた。両手で包んでいたはずのE鉱は師匠が持っている。
「おまえほどの者でもこうなるか。E鉱は便利だが使い方を間違うと恐ろしく危険なものになる。使った者を天へ誘う極上の料理にもなれば、回復不能な廃人にしてしまう麻薬にもなるのだ。くれぐれも気をつけるようにな」
「はい」
背中を冷汗が流れた。この世はまだまだボクの知らないことだらけだと痛感した。
宇宙へ旅立つ準備は着々と進められた。そして出発の日はボクの10才の誕生日に決まった。
「明日でこの星ともお別れか」
出発前夜、夕食を済ませたボクは沈む夕陽を眺めていた。橙色に染まる空。2年間この空を見て暮らしてきた。今では故郷と言ってもいいくらい愛着を感じている。
「ここはいい星だろう」
師匠がボクの隣に腰掛けた。いつになく優しい声だ。
「そうですね。ひょっとしてシショウが生まれた星と似ているんじゃないですか」
「よくわかるな。そのとおりだ。故郷の星に合わせてこの星の環境を作り変えたのだ。ここと同じで何もない
師匠が自分語りをするのは初めてだ。ちょっと興味が湧いてきた。
「辺鄙って言ってもボクの星ほどじゃないでしょう」
「いいや。連邦にすら所属していない銀河の辺境を漂うド田舎星だ。地表を巨大生物が
「E鉱が、ない?」
それはおかしな話だった。E鉱がない星で宙人が出現した事例はこれまで1件もないはずだ。理由を訊いてもいいだろうか、少し逡巡した。師匠が笑った。
「ふっ、そんな星で生まれたわしがよく宙人になれたと思っているのだろう。その話はまた別の機会にしてやろう。ところでおまえはどうなんだ。まだ宙人になりたいのか。もしかしてあの夕陽を眺めているうちに宇宙へ行くのが嫌になったのではないか」
「そんなはずないでしょう。ちょっと感傷に耽っていただけです」
「強がりを言うな。ここの暮らしは楽しかっただろう。宙人になればこんな生活は二度とできぬ。任務に追われ宇宙を飛び回り心休まる時がない。今ならまだ間に合う、宙人になるのを諦めてはどうだ。もしおまえがその気ならこの星を譲ってやってもいい」
「そんな!」
思ってもみなかった提案だ。あのケチくさい師匠の言葉とは思えなかった。
「ボクがこの星をもらったらシショウはどうするんですか」
「もちろん出ていく。わしももう年だ。寿命が尽きるのも近い。明日旅立てば二度とこの星には戻って来ないだろう」
やはり今日の師匠はおかしい。こんな弱気な言葉を吐くなんて。
「冗談はやめてくださいよ。それにボクはシショウと違って若いんです。この年でこんな田舎星に隠居だなんて冗談じゃないですよ」
「そうか、そうだな。おまえの覚悟はよくわかった。今日は早く寝ろ。明日は夜明けとともに出発する」
師匠が立ち去った後もボクはぼんやりと夕陽を眺めていた。
翌朝、まだ空が暗いうちにボクらは出発した。体重をほとんどゼロにして夜明けの空へ飛び出す。ボクも師匠も銀色のスーツに身を包んでいる。宙人のユニフォームだ。ただしボクは訓練生なので腕に緑の横線が入っている。
「ここからは進路を自転方向に取れ。周回軌道に乗るぞ」
「はい」
師匠の後に付いていくのがやっとだ。無我夢中で飛んでいると体が浮くような感覚に襲われた。無重力状態。周回軌道に乗ったのだ。
「宇宙って不思議だなあ」
「何が不思議だ」
まずい、聞かれた。遠隔話法は使っていなかったはずなのに。
「えっと、その、あんなに明るい恒星が近くにあるのにどうしてこんなに暗いのかと思って」
「別に不思議ではない。明るいのは光に照らされた物で、光それ自体が明るいのではないからな。それに宇宙の大部分はまだまだ謎だらけだ。闇の物質、闇のエネルギー。わしらが感知できない存在で宇宙は満たされている。デシ、宇宙を甘く見るな。そして常に自分の安全を第一に考えろ。わかったな」
「はい」
師匠が加速する。必死にその後を追う。
ボクの前には広大な宇宙があった。宙人、宇宙を駆ける者。夢にまで見た憧れへの第一歩をボクはようやく踏み出したのだ。
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