始まった修業
時空術は宇宙術の基本だ。
時空術にはふたつの型がある。空間術と時間術だ。両方の術を自在に操れる宙人は非常に少ない。ほとんどの宙人はどちらか一方の才能だけが突出している。そのため空間派と時間派というふたつの流派が存在している。師匠がボクの指導官に選ばれたのは同じ流派であったことも大きな理由のひとつだ。
「わしもおまえも時間派、時間に介入することで術を使う。まずは基本を鍛えるとするか。やってみろ」
「はい」
時間術の基本は固有時変換だ。自分自身の時間の流れを速くしたり遅くしたり止めたりするこの術を会得したのは7才の時。それから今日に至るまで毎日自主的に鍛錬してきた。術による変換量と継続時間は最初のころに比べると格段に大きく長くなっている。
「ほほう、これほど使いこなせているのなら基本はすっ飛ばしてもいいな。では応用技の訓練に移るとしよう。おまえはどんな技ができるのだ」
「あの、できるのは基本技だけです」
「なんだ、そうなのか。では知っている応用技をいくつか挙げてみろ」
「えっと、全然知りません」
「なんだと。半年も講義を受けていたのにひとつも知らんのか」
「すみません」
つい謝ってしまったが考えてみればボクは少しも悪くない。教えてくれなかった座学のカリキュラムが悪いのだ。講義で学んだのは『宙人とは』とか『E鉱の重要性』とか『宇宙生物の謎』とか『銀河連邦の抱える諸問題』とか『正しい歯の磨き方』とか、要するに一般的な事柄ばかりだった。
「応用技は多種多様で宙人によって所持する技も異なるため、実技訓練に進んでから指導官に教わるように、と言われました」
「ちっ、今はそんなカリキュラムになっているのか。わしの頃とは全然違っているじゃないか」
へえ~、師匠も一応講義を受けたのか。きっとさぼってばかりいたんだろうな。
「仕方がない。ではひとつひとつ教えていくとするか」
「お願いします」
「大きくなーれ、小さくなーれ」
突然何を言い出すのかと思う間もなく師匠の体が伸びたり縮んだりし始めた。この現象に時間が関係しているとは思えない。
「これって、空間派の技じゃないんですか」
「そう見えるだろう。だが時間派でも工夫次第で空間派と同じような技を使えるのだ」
師匠の説明はこうだ。
モノの長さとはある距離からある距離まで光が移動する時間に置き換えられる。時間がかかればそのモノは長いし時間がかからなければ短い。そこで時間の流れを変えることによって光が移動する時間を変化させる。頭から足先まで光が移動する時間を長くすればそれは身長が伸びたことを意味し、逆に移動時間を短くすれば身長が縮んだことを意味する、というわけだ。
「さあ、やってみろ」
「はい」
さっそく取り掛かった。もちろん最初からうまくいくわけがない。初日は1割程度の変化、10日後にようやく2割。しかしこの辺りから要領が飲み込めてきたので20日目には10割の変化を達成できた。
「よし、そこまでできればとりあえず合格点だ。次の技に取り掛かろう。重くなーれ、軽くなーれ」
きっと師匠の体重が変わっているのだと思うのだが、見た目には何の変化もない。
「重くなーれ、軽くなーれ」
いや待てよ。そもそも時間に介入して重さを変えるなんてことが可能だろうか。最初の訓練の指示で66日間だまされ続けた前例もある。師匠の言葉を鵜飲みにするのは危険だ。ボクをからかっているだけなのかもしれない。
「重くなーれ、軽くなーれ」
師匠はバカみたいに同じ言葉を繰り返している。ボクは師匠の両脇に両手を差し入れた。実際に体重を
「失礼します」
「重くなーれ」
「ふん! ええっ!」
意外だった。まったく持ち上がらない。まるで足に根が生えてしまったかのように師匠の体はビクともしない。
「ほ、本当に重くなってる!」
これは驚くしかない。しかしさらなる驚きがボクを襲った。
「軽くなーれ」
「わ、わわ、シ、シショオー!」
大声で叫んでしまった。師匠の体が上空へ吹っ飛んでしまったからだ。持ち上げようと力を入れた状態で師匠の体重がほぼゼロになってしまったため、糸を切られた風船の如くあっという間に空へ舞い上がってしまったのだ。
「やれやれ酷い目にあった。おまえ、わしの言葉を疑っていたんじゃないだろうな」
ゆるゆると下降してきた師匠に問われて「え、いや、そんな……」と言葉を濁らせる。疑っていたことは一目瞭然なのだから正直に答える必要もないだろう。
「そ、そんなことよりも凄い技ですね。どんな仕組みなんですか。教えてください」
「見ただけでわからぬとは情けない。よく聞け」
師匠の説明はこうだ。
重さは動きにくさに関連付けられる。物体に力を加えた時、その物体が重ければ加速度は小さく軽ければ大きい。重さは加速度に置き換えられるのだ。そこで時間の流れを変えることによって加速度の大きさを変化させる。ノロノロと動き始めればそれは物体が重いことを意味し、逆にササッと動き始めればそれは物体が軽いことを意味する、というわけだ。
「移動の難易度を下げるために欠かせぬ技だ。気合いを入れて鍛錬に励め」
「はい」
さっそく取り掛かった。これはかなり難しかった。10日頑張ってもほとんど成果はなかった。20日たっても同様だ。
その間も師匠は池で釣りをしたり、森でキノコ狩りをしたりして遊びほうけてばかりいる。もちろん家事や料理はこれまでどおり全てボクが担当している。30日目、我慢できなくなって師匠に進言した。
「シショウ、全然うまくいきません。もっと訓練に時間を
しかし師匠の返事はつれないものだった。
「何を甘えたことを言っているのだ。料理も掃除も薪割りも全て訓練の一環なのだぞ。ひとつでも手を抜けば得られる技も得られなくなる。心して家事に励むがよい」
本当なのだろうか。またうまいこと言ってボクをだまそうとしているんじゃないだろうか、そんな疑念に囚われながら薪を割る。斧が重い。重いとはどういうことなんだろう。星が引っ張っているから重いんだ。いや違う。引っ張っているのは星と斧の両方だ。斧が星に向かって落ちているのなら星も斧に向かって落ちている。
「そうか。片方だけではダメなんだ」
身長を変化させるためには頭と足先を意識した。重さも同じだ。ボク自身だけでなく力が働いているこの星も意識しなくてはいけないんだ。そう思った途端、自分の体が少しだけ軽くなるのを感じた。
「これだ!」
コツを掴めばあとは簡単だった。それから10日後に1割程度の変化。20日後には2割。そして50日後には10割の変化を達成できた。
「ほほう、この技もそこそこ使えるようになったようだな。では次の訓練に移ろう。ふたつの技の応用だ。対象を自分以外の物にしてみろ。こんな風に」
いきなりボクの背が伸びた。師匠がボクに長さ変換の技を使ったのだ。同時に立っていられないほど体が重くなり、問答無用で地面に腹ばいにさせられた。師匠が重さ変換の技も使ったのだ。
「うぐぐぐ、苦しい。自分の体に押しつぶされそうです。シショウ、技を解いてください」
「そうだろう、苦しいだろう。この技は特別な理由がない限り自分以外の知的生命体に使ってはいけないことになっている」
いけないことになっていると言いながらボクに使っているのだから呆れてしまう。
「どうだ、そろそろ限界か」
「とっくに限界ですよ。いい加減にしてください!」
怒った顔で睨み付けるとようやく技を解いてくれた。ふらつきながら立ち上がる。
「危険な目に遭ったときはやむを得ずこの技を使うこともあるだろう。だが掛けられたほうは今のおまえと同じように苦しいのだ。それを忘れるなよ」
「はい、忘れません」
そんなこと口で言えばわかるのに。いつもの説教大好きな師匠はどこへ行ったんだ。
「よし。ではさっそく訓練だ。まずはあの棒を長くしてみろ」
「はい」
ボクの修業の日々はまだまだ続きそうだ。
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