30 砦の攻防戦(防、とは)
前屈みになってシャワーのお湯で頭を洗ったら、排水溝に茶色い水がガンガン流れていった! ひえええ……。髪の毛の血は固まりかけていて、それを洗い流すためには結構な時間が掛かった。
指で探ったみたところ傷は全く残ってなくて、桂太郎くんグッジョブ! って感じだ。
血さえ流してしまえば、後はいつものシャンプーと変わらない。
体を洗って湯船に入ろうとしたら、レティシアさんが髪の毛をぶわーっと水面に広げて寛いでいた。
子供たちは髪が長ければだいたい結んでいるし、特に遠足の格好だから邪魔にならないようにしてあった。お風呂に入るときも「髪の毛が浸からないようにね」と結んで入らせるようにしてたんだけど。
確かに、こっちの世界に銭湯マナーなかったらわからないよな。
「レティさん、髪の毛」
「どうしたの?」
「凄いことになってますよ。さっきの御礼に洗ってあげますから、こっち来て下さい」
「あら、ありがとう」
手招きするとレティシアさんは湯船から上がり、洗い場の椅子にちょこんと座った。
腰までの長さがある髪の毛は、シャンプーを5プッシュくらい使った。あと、凄い重さだ!
指に絡まりつく重さに四苦八苦しながらも、頭皮をマッサージして、髪の毛は擦りすぎないように。コンディショナーを付けて、流した後はぎゅっと握って絞って、三つ編みにして、ぐるっとまとめてタオルで包んで頭の上に乗せる。
「はい、これで湯船に髪の毛が広がりませんよ。人と一緒に入るお風呂だと、あまり髪の毛を漬けないようにというのが私たちの世界での礼儀作法なんです」
「凄ーい! 凄い、いろいろ凄いわ! これ、凄くいい香りがするし、髪を洗うのに絡まらないなんて凄いのね! ミカコさんの手際も凄いわ!」
レティシアさんはいたく感心していて、凄いのゲシュタルト崩壊だ!
「私も以前は髪が長かったんですよ。でも、学校って砂埃とか凄いって知ってたんで、先生になる直前に切ったんです。その時に、お風呂で髪の毛が邪魔だからこうしてまとめてました」
髪の毛は大学の卒業式で袴を穿くまでは、と伸ばしていたけど、その後速攻ショートカットにした。今はもう伸ばそうって気にならない。
ボディソープの使い方をレティシアさんに教えて一緒に体を洗い、改めて湯船に浸かる。
ぴったり並んではいるのもなんだか不自然だから、私たちの間にはちょうど一人分くらいの隙間が空いていた。
「レティさん、ものは相談なんですけど。表向き、私たちが多くの魔物を倒せば帰れるっていう事がわかったって話、あれは千里眼の力で知ったということにしてもらえませんか?」
「ええ、いいわよ。神様に会ったなんて突拍子もなさすぎるものね。私の力も曖昧にしか知られていないから、箔がついてちょうどいいわ」
「話が早い! その千里眼なんですけど、具体的にどのくらいのことがわかるんですか?」
「前にも言ったけど、基本的には『見えるはずがない遠くの現在』が視えるだけなの。時々、未来のことも視えたりする。それは私の頭の中にぼやんと浮かんでくる感じね。――8日ほど前のことよ、クリスが魔物に襲われて倒れるところが視えたのは。間に合わないと思っていても、慌てて馬に飛び乗って駆けだしていたわ。その少し後で、あなたたちがクリスを襲っていた魔物を椅子で倒すところが視えた。おそらく、クリスはあそこで倒れるのが本来の道筋だったんでしょう。でも、それをあなたたちが変えてくれた」
「それは」
私は少し言葉を言いあぐねた。
実は、クリスさんたちを助けるかどうかちょっと悩んだのが本当のところだから。
私たちが助けることを選ばなかった未来が、レティシアさんには視えていたんじゃないだろうか。
――いや、私が渋っても、子供たちはきっと彼らを助けることを選んだ。今日のフルーツ牛乳も当たり前に配っていた子たちだもん。まだ彼らには、日本がよしとしてきた道徳が備わっている。
「彼らを助けることを選んだのは私じゃなくて子供たちです」
「でもあなたは、それを止めなかったわね。偉いわ。本当に、いくら御礼を言っても足りないわよ。だって、弟の命を救ってくれたんですもの」
「……助けることができて良かったです」
助けることができて良かった。今は改めてそう思う。子供たちの心にとっても、「人を助けた」という経験は大きいから。
「あーーーーーーー、それにしても、このお風呂いいわね。エール飲みながら入ったら最高じゃない?」
私がしみじみとしていたら、隣の聖女がおっさんになっていた。
翌朝、寝場所が足りないのでいつものように椅子テントで寝ていた私たちのところへ、ミカル団長が物凄い顔で走ってきた。
「そ、外に魔物が」
「あー、やっぱりそうなりますよねー」
ボサボサの頭を撫で付けながら私が動揺せずに頷いてみせると、ミカル団長は目を剥いていた。
「暢気だな、大物か!?」
「慣れてるだけです。放っておいてもどうせ入ってこられないですけど、もし早めに商人さんとか来ちゃったらまずいですよね。みんなー、起きてー。モンスターが集まってるってー」
それから子供たちが揃うまでにはたっぷり10分ほど掛かり、ミカル団長は見ていて申し訳なくなるほど焦っていた……。
「おっ、いるいる。数だけは凄いね」
城壁に登って見渡せば、みちっと砦の外周ををモンスターが覆っていた。けれどそれほど強そうなモンスターはいない。ちょっと手数が必要だけど、向こうからの攻撃も届かないし、これなら楽勝。
「男子の先頭は
戦闘要員は既にこのくらいのモンスターは気にも留めない。私の指示に従って城壁の上に等間隔に展開した。ちょっと子供の数の方が足りないけど、後で移動すればいいや。
「それじゃあ、近くにいるモンスターがいなくなるまで、それぞれガンガン椅子を投げてね。よーい、どん!」
「椅子しょうかーん」
「椅子召喚」
どかんどかんと一方的に攻撃がモンスターに向かって降り注ぐ。大人だったらすれ違うのはギリギリだけど、子供たちは自分の担当していた場所が片付いたら適当に戻ってきて、まだ残っているモンスターに再び椅子を投げ始める。
5分ほどで、砦の周りは黄色いコンテナに埋め尽くされた。
それを、ミカル団長は昨日以上に呆然として見ている。
「辺境騎士団始まって以来の危機かと思ったが」
辺境騎士団の砦攻防戦、ここに完。
黄色いコンテナの中身は、たくさんのお弁当だった。多分子供たちの分どころじゃなくて、この砦にいる人たちが全員食べられるくらいの量がある。
奮発したな、神様。いや、それだけの数のモンスターは倒したけども。
どうせ辺境騎士団の人たちには椅子召喚のことがバレているんだし、私たちはそれを気前よく配り、砦の人たちと仲良く朝ご飯のお弁当に舌鼓を打ったのだった。
しかし、ちょっと困ったな。
私たち、砦の外にいた方がいいのかもしれない。
モンスターは「一定距離の中に私たちがいたら私たちに向かう」ようなコードが組み込まれている。だから、この砦に向かう人たちが近くにいても、モンスターはそちらは狙わずこちらを狙う。
でも、砦の中に私たちがいたら、さすがにそうは行かないだろう。
レティシアさんが呼んだという商人もまだ来ていないことだし……。
結局私たちは、砦のすぐ側で今まで通りのテント生活を送ることになった。
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