Versus神崎ひかげ

るつぺる

選ばれた側

 こんなつまらない世界なら、終わってしまえとそう思った。わたしにできることはそれだけだ。社会の強度は著しく高く、わたし一個人の願いなど叶えはしない。つまらなさの向こうでニコニコと幸せそうに笑っている人たちをわたしは侮蔑する。彼らは等しく何も分かっていない。不条理に飲まれ、システムに捕食されてしまったことにも気が付かず呑気に夢を見ている。ただわたしは干渉しない。ほっといても彼彼女は滅ぶだけだ。なら摩擦は避けるべきだろう。興味のないことで精神をすり減らしたくない。願わくばその汚いノイズを近づけないではくれないか。わたしはイヤホンの音量を上げた。


「いつも一人なのね」

 自宅は嫌いだった。帰ればヒステリックなババア、これもまた愚かの一端が泣き喚いているのを嫌でも聞く羽目になる。だから放課後はファミレスで時間を潰した。ここも煩いには変わりないが、自宅に比べて意識を遠ざけやすいといった幾らかのメリットがある。彼女はわたしの一人の時間に踏み入ってきた。はじめは煩わしさを覚えて眉間に皺を寄せた。

 曰く、彼女にはわたしがわかるそうだ。自分はわたしと同じカテゴリの存在だと云う。知ったふうな言い回しも気に食わなかったが、率直に言ってアタマがおかしい人なんだと思った。けれど彼女は、わたしが何一つ言葉を発しないのも気にせずに語り続ける中でこう言った。

「現代社会は選ばれた人間だけが存続を許される。これは先天的に決められたことで、多くの人はそういったことにも気づかないで生活している。選ばれた側はいつからか自覚が芽生え、そうでない者達が哀れに思えてくるわ。でも気にしないでいい。あなたは、選ばれた側なんだから」

 わたしはわたし自身が単純で仕方ないとさえ思えたけれど、十八年の半生で出会えた初めての理解者を前に涙が頬を伝った。


 それからわたしは家に帰らなくなった。理解者の彼女は恵南えなみと名乗った。わたしは恵南さんの部屋に入り浸るようになり、今では半同棲状態だった。恵南さんは今、この国で起きていることや真理のような概念をわたしに説いた。彼女の言葉はそれまで周囲を取り巻いていた他者のそれとは違い、何もかもが答え合わせのようにわたしの中で解きほぐれていった。わたしはこの生活こそずっと求めていたものと知り、恵南さんとの対話を強く求めるようになった。


 母から連絡が入る。これは意外だった。彼女の精神は遠の昔に枯れ果て、わたしのことなど視野外だと考えていたからだ。確かに随分と帰っていない。普通の親子関係とはなんなのかという問いはあるものの、想像で言えばこのスマホが鳴り響くのはごく自然な話なのだろう。わたしは出ることなくそれを切った。

「いいの? でなくて」

「いいんです。意味ないから」

「だめよ。選ばれた人間は優しくなくちゃいけないわ。ただ消滅するだけの存在でも、命ある限りは可愛げを見出してあげなきゃ」

「でも」

「一度帰ってあげなさい。そしてあなたは理想の娘として振る舞うの。それはお母さんへの、とっておきの手向けになるから」


 わたしは恵南さんのアドバイスを受けて母と会った。はじめは長らく留守にしたことを罵られ、頬を張られたりもした。けれどわたしは選ばれた側だ。母を許し、そしてかりそめではあるけれど頭を下げた。母は拍子が抜けたような顔をした。次の瞬間にはまた不機嫌さを撒き散らしたけれど、わたしは恵南さんの言葉を信じてその場を堪えた。するとどうだろう。母は泣き崩れてわたしを抱きしめ、わたしの知る限りで初めて、わたしに「ごめんなさい、愛してる」と言った。わたしはひどく空虚な気持ちになった。


 次に恵南さんと会った時、わたしは母とのことを報告した。恵南さんはとても喜んでくれた。「その調子」「あなたは正しいわ」驚くほどに全肯定だ。それからも、わたしは恵南さんの言う通りのに振る舞ってみた。母はすっかり「良い人」になり、学校でのわたしは「人気者」になった。それはそれで悪くはなかったが、何より心地いいのはわたしが彼らをコントロールしているという愉悦だった。多くの人はこの全能感を得ることもなく、システムの一端として死んでいく。わたしはそんな彼らにいっときの希望を与えてやる。慈愛の精神というやつだ。ただその本質は遊戯的なもの。わたしや恵南さんにとっては、このつまらない世界での暇潰しでしかない。なんにせよわたしは感謝しなくては。わたしに遊び方を教えてくれた恵南さんに。生きていてよかった。今、心からそう思う。


「じゃあ次のステップに移りましょうか。今からクラスメート達を全員殺しちゃいましょう」

「はい」

「大丈夫よ。私も近くにいてあげるから。あなたは彼らの死によって神格化するの。そうすれば私や他の仲間たちと同じ楽園で暮らせるようになるわ

。これを」

「はい」

 それを手に握ると重みがあった。わたしはその重みに導かれ、部屋の扉を開けた。今は国語の時間だろう。あれは退屈だ。わたしはクラスメートを楽しくしてあげなきゃ。


「×××ッ!」

 なんだろう。懐かしい響き。名前? わたしの?

「どこいってたのよ! 学校にも行ってないって!」

 煩い、煩い煩い煩い煩い煩い煩い煩い煩い煩い。まとわりつくな。

「お願い……もうどこにも行かないで。私を一人にしないで」


 離れろ。じゃなきゃわたしは。


「ダメじゃない。あなたは選ばれた側なんだから。ちゃんと、ソレを使わなきゃ」


 恵南さんがわたしの手に手を添えた。

「お母さん、彼女は仕上げに入りました。この際あなたでいーですよー。かっこわらい。アハハハハ」


 やめて、やめてください。やりたくない。


「アハハハハハハ!もーねー! 遅いのよッてボアッ!!」

 握られた手が軽くなった。眼鏡をかけた女の人が拳を突き立てている。恵南さんは後ろの方に飛んでいった。

「はぁはぁ……間に合ったあ」

 ショートヘアの女の人が息を切らしながら走ってきた。


「何ボサッとしてんのよ! お前は選ばれた側だ! そいつらを刺し殺せ!」

 恵南さんの声だ。わたしはどうしていいか分からない。どうすればいいの? この眼鏡の人を刺す? 嫌だ、絶対殺される。

「藤原ァァア!」

 恵南さんが叫んだ次の瞬間には眼鏡の人が恵南さんの頭をコンクリート壁に埋め込んでいた。

「ヤベて、ごろさ、な……で」

「殺したりしないよ。えっと、今はエナミだっけ? 殺したりしないけど、今回はおいたが過ぎたよね。ひかげちゃんも怒ってる」

「藤原ァァ、き、機構は、かハァ! 神崎……ひかげを」

 恵南さんはそこで言葉を失った。藤原と呼ばれた人が気絶してるだけだから大丈夫だと言った。何が大丈夫なのか。今ならよくわかる。わたしは選ばれた人間なんかじゃない。起きている事態に目もくれず、ただわたしを抱きしめてくれているお母さんと同じ、平凡な人間だ。



***



「昼間から開いてる居酒屋なんてあるんですね」

「タマちゃーーーん! これ水だよ!? おいコラ! アルコール入ってんのか! ドヒュ、度数測られろコラァ!」

「まあ、びっくりするよね。これもひかげちゃんなんだよ。あの日はバトルサイボーグみたいだったでしょ。あれもひかげちゃん。でもよかった。元気そうで」

「できたらもう関わりたくなかったんですけど……お礼と、あと恵南さんって、あなたたちっていったい」

「ここお刺身美味しいんだよ。よかったら食べる?」

「質問に答えて!」

「……。そうだねえ。ひな……ううん、ひかげちゃんもね、昔はフッツウの女子高生だったんだよ。信じてもらえないかもだけどね。意外とね特別って大変なんだよ。こうやって昼間からお酒あおってないとやってらんないくらい」

「あの……いや、いいです。わかりました。あと、藤原さん、ありがとうございました。おかげで助かりました」

「いいのいいの。やったのはひかげちゃんだしね。あなたが敵対者にならなくてよかったです。まあ、いろいろあるけどさ、頑張ってよイサキちゃん」

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