第29話 とある少年の話①

 少年は孤独だった。


 物心ついた時から、彼の世界は凄惨な暴力に支配されていて、母親の折檻以外の時間はひたすらに部屋の隅っこでじっとしていた。


 一日に与えられる食事は最低限のもので、簡素なインスタント製品が部屋の前に無造作に置かれる。


 少年の母親は彼を産んだ事を後悔していた。


 相手は子どもができたと告げた途端、態度を翻し彼女の元を去っていった。


 若くして子どもを身籠った彼女は、親にも勘当され都会から離れた小さな町に行き着いた。


 最初の内は愛おしかった。


 産まれてきたその命をたった一人でも守り抜こうと思った。


 しかし、貯金も無い若い彼女が女手一つで少年を育てていく事は簡単ではなかった。


 次第に母親は少年の事を疎むようになっていった。


 ああ、こいつさえいなければ。こいつさえいなければ私は。


 そんな考えが脳内で反芻するようになり、ある日、母親は少年を殴りつけた。彼女にとってそれはある種の解放感と快楽を感じさせた。


 それから始まった暴力の日々を少年はじっと耐えていた。それが自分の役目なんだろうと、彼は本能的に感じてしまっていた。どんなに乱暴をされようと、少年は母親に文句一つ言わなかった。


 それはまだ母親を母親と思っていたから。


 自分の唯一の家族だと思っていたから。


 しかし、少年は笑う事は忘れてしまった。笑顔を見せれば、母親の癪に触り、怒らせてしまう。癇癪を起こしていない時の母親は、それなりに優しかった。


 できるだけ、母親に優しくいて欲しいと願った彼は感情を抑える術を身に付ける。


 植物のようにただ静かに、無機質に。そうすれば優しい母親でいてくれる。


 そうして、少年の心は徐々に色を失っていった。


 ある日、母親は見知らぬ男を家に連れてきた。


 母親は千円札を一枚彼に握らせると、暫く外に出て行ってくれと頼んだ。


 元より反抗する気のない少年は言いつけ通りに出掛ける事にした。


 その際に男が一言、


「きたねぇガキだな」


 と、呟いたが少年にとって母親以外の存在は無に等しかった為、別段気にする事は無かった。


 外に出るともう町は夜になっていて、胸の奥がスースーするような寂寥感が少年の中を通り抜ける。


 外の世界は久々だった。


 お金を受け取ったものの、その使い道を思い付かず困り果てた少年は取りあえず、町をぶらつく事にした。


 当てもなくひたすらに歩く。


 閑散とした道を進んでいると、ふと少年の中に不安が芽生えてくる。


 自分はいつまで家に帰ってはいけないのだろうか。もしかすると、自分はもう必要ないと捨てられてしまったのではないか。


 段々と歩調が早くなっていく。


 気が付くと、少年は見覚えのある公園に辿り着いていた。


 そこは母親がまだ暴力を振るうようになる前に何度か連れてきてくれた場所だった。


 歩き疲れた少年は公園のベンチで休む事にした。


 何となく夜空を見上げると、煌々と輝く星が数え切れない程に浮かんでいる。


 そんな光景を見ると、不安が少し紛れるような気がした。


 どれくらいの時間、空を見上げていただろうか。それは、一瞬だった気もするし、悠久の時のようにも感じられた。とにかく、時間の流れを忘れてしまうほどに、夜空の美しさに見入っていた。


 ああ、ずっとこのまま時が過ぎていけばいいのに。


 そんな事さえ思った。


 しかし、そんな孤独な少年の世界に踏み入る者がいた。


「コラ! 子どもがこんな時間に何やってんの?」


 突然、後ろから声を掛けられた事に驚いた少年の体はびくっと飛び跳ねる。その様はひどく間抜けで、少年が失いかけていた人間味を滲ませていた。


「アハハ! ごめんごめん。驚かせちゃった? 意地悪するつもりはなかったんだけどね」


 少年が声がする方に恐る恐る振り返ると、そこには一人のが立っていた。

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