第8話 ヒマリと紗希

「え!? 紗希さんと紡って全く血が繋がってないの!?」


 紡が家を飛び出した後、身の危険を感じたウサギは何とか紗希の毒牙から逃れ、魔界へと帰っていた。


 その後、紗希と二人きりになったヒマリは昨日から疑問に思っていたことを紗希に尋ねることにした。


「ああ、そうだぜ。紡から聞いてねーのか?」

「昨日は聞きそびれちゃって。似てないとは思ってたけど、まさか血が繋がってないなんて――それじゃ、紗季さんはいつから紡の面倒を?」

「紡が五歳の時だな。あいつは覚えてねーだろーけどな。アタシんとこに来た時は、心ここにあらずって感じだったし」


 紗季は懐かしむように遠くを眺める。その表情は、普段紡に見せることはない柔らかさを漂わせている。


「じゃ、じゃあ紡の両親は今どこに……」

「ぶっちゃけ知らん」

「えぇ!? 知らないって……」

「アタシに預けたのは友人っつーか、腐れ縁みてーな奴でな。そいつも紡の親じゃないらしいし、詳しい事情を教えてくれなかったしな。だからわかんねぇ」


 紡と紗希の関係を知っているものは、晴風町でもほとんどいない。知っているのは一部の学校関係者や、夕の家族——小林家くらいである。


 戸籍上は、紡と紗季の関係は養子縁組といった形になっている。


「そうなんだ……。でも、紗希さんと紡は仲良いよね。私もお姉ちゃんがいるから、何だか思い出して寂しくなっちゃうよ」

「アハハ! アタシ達が仲良く見えるのか? そりゃあ、めでてーこった」


 紗季は手に持ったビールを一気に飲み干す。そして、挑発するような目つきでヒマリを見る。


「それで。本当はもっと聞きたいことがあるんじゃねーのか? 今は気分がいいからな。出血大サービスで答えてやるよ」

「うん……。じゃあ、遠慮なく」

「おう、どんと来い」


 ヒマリは一呼吸した後ゆっくりと口を開く。


「紗希さんは、?」

「ほう?」


 紗季はテーブルから身を乗りだす。


「紡程ではないけど、紗希さんも人間界では考えられないくらいの心力ヴァイトを持ってる。だから——もしかして紗季さんはなんじゃないかなって」


 その質問に紗季は表情を強張らせ、口に手を当てる。


 そして——突然、大きな声で笑い始めた。


「アハハハハ! 私が魔界出身? そんな訳ないって!」


 ヒマリは、自分の質問が的外れだったのが恥ずかしくなったのか、顔を赤らめながら俯く。


「だ、だって。紗希さん私が魔女だって言っても全然驚かないし。ウサギちゃんを見ても普通にしてるし……」

「残念だけど、私は人間界生まれの人間界育ちだよ。まっ、魔界やらあのバケモンのことやらはある程度知ってたけど」

「そ、そうだったんだ。人間界にも、機関みたいな組織があるの?」

「そんな大層なもんじゃないけどな。私の生まれた実家——夜式家はちょっと特殊な家系なんだ。昔から、人知れずあのバケモンと戦ってんだよ。魔界にも、夜式家のことを知ってる奴はいると思うぜ。まっ、少なからず連中もいるみたいだから。魔界でも、あんまり公にはなってないんじゃねーかな」


 実際、ヒマリは今まで誰からも人間界に魔獣シャドウと戦える人間がいることを教えられることは無かった。


 ヒマリの通っていた機関員養成所である、〝セントラル附属魔法学院〟でも、人間界では魔獣シャドウの存在を知る者はいないと教えられてきた。


「確かに、人間界に魔獣シャドウ討伐の人員を割くことを良く思ってない人はいるけど……。それだったら協力した方が——」

「やめときな」


 紗希は語気を強めながら続ける。


「アタシも協力できるんだったら、大いに賛成だ。でも実際問題、そんな単純じゃないんだよ。全員が全員、他人の為に無償の愛を注げる訳じゃない。規模が大きくなればなるほど、それはより顕著になる。クレアもよく分かってるはずだぜ?」

「クレアって——クレア様のこと? 二人って知り合いだったの!?」

「ああ。昔から気に食わなかったなー。あいつほど、〝魔女〟って言葉が似合う奴はいねーと思うわ」

「そ、そっか」

「そんなことよりもさぁ~」


 紗希は、冷蔵庫の方へ向かい中を漁りながらヒマリへ質問する。


「ヒマリって今何歳?」

「え? 十八歳だけど……」

「魔界ってさ~。何歳から酒飲めんの?」

「えっと……カルディア王国では一応十八歳から許可されてるけど……」

「じゃあさ!」


 紗希は冷蔵庫から取り出した酒とおつまみをどんっと机の上に置いた。


「一緒に飲もうぜ? いっつも一人だからよ。たまには誰かと飲みてーんだよ」

「い、いや~……私、お酒飲んだことないんだけど……」

「だいじょぶだいじょぶ~。お姉さんが、優しくお酒の楽しみ方を教えてやんよ~」

「え、遠慮しとこっかな~。何か、紗希さんの目怖いし……」

「そんなことないって~。ほれほれ」


 ビール缶を両手に持った紗希は壁際へと後ずさりをするヒマリを徐々に追い詰めていく。その姿はさながら獲物を刈るハンターのようだ。


「うひひひ。もう逃げられないぜ」

「い、いやぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 ヒマリの断末魔のような叫びが、家の中でこだました。



「おい。どうやったら、こんなことになるんだよ」


 夕と別れたあと、外をしばらく散歩して帰宅した俺は、さらに悪化している状況に困惑せざるを得なかった。


「あっ! お帰り~紡! でへへへ。遅いよ~もう。あれ? 何で紡が三人いるの?」

「何でヒマリまで酔っ払ってるんだ……」


 どうやら、紗希の飲みに付き合わされたらしいヒマリはかなり酔っ払っているようで、すでに目の焦点が合っていなかった。


「紡~? 帰ってきたのか~。うひひひひ。もっと酒買ってこ~い……ぐひぃ……」


 元凶である紗希はもう限界のようだ。よし、もうそのまま二度と目を覚まさないでくれ。


「紡も一緒に飲も~よ。でへへへへ」

「いや未成年だし、飲まねーよ。てか、お前は飲んで良いのかよ」

「だいじょぶよ~。こう見えて、十八歳だからね~わたし~」

「十八って……お前年上だったの!?」

「そうだよ? もしかして、ずっと年下だと思ってた?」

「いやだって……」


 ヒマリはどちらかというと幼い容姿であり、身長もそんなに高い方ではない。そんな見た目から、勝手に同い年か年下だろうと思っていた。


 驚きを隠せない俺をヒマリは何故か突き飛ばす。


「えい! 私の方がお姉さんなんだぞ~」

「ヒ、ヒマリさん!?」


 俺は突き飛ばされた衝撃で床に尻餅をついてしまった。そして、そんな俺をヒマリは押し倒し、馬乗りの態勢になる。


 え。なにこれ。いいのこんなんして。何か凄い顔近いし。犯罪にならないよね!?


「でへへ。紡って意外と可愛い顔してるよね」

「ちょ、ちょっと顔近い……」


 ヒマリはさらに顔を近づけ、俺の顔をのぞき込む。少し頭を上げれば唇に触れてしまいそうな距離だった。


 甘い花の香りが、鼻腔をくすぐる。


 駄目だ。理性が揺さぶられる。


「離れろって……ヒマリ!」

「でへへ……つむぐぅー……ふにぃ……」

「え?」


 ギリギリまで顔を近づけたヒマリはそこで睡魔に敗北を喫したようで、俺に覆い被さるように倒れた。もちろん、頭は床へとダイブしていったので間違いは起こらなかった。


 嬉しいような悲しいような、いや、これでいいんだ。俺の純潔は守られた。


「……ったく」


 俺はヒマリを抱きかかえソファーへと運び、そこへ寝かす。毛布をそっと掛け、頭にはクッションを敷いてやった。


 ちなみに、紗希は床に倒れているけど、放置することにしよう。風邪を引いても絶対に看病はしてやらない。そう心に固く誓う。


「ふにぃ……はちみつとーすと……」


 幸せそうな顔をして眠るヒマリを見て、思わず笑みがこぼれた。


「やっぱ年上には見えねーよ。さっ。風呂入って寝よ」


 明日は夕と図書館に行く予定がある。今日は早めに寝て、明日に備えることにしよう。


 手短にシャワーを済ませ、自分の部屋へと戻りベッドに横になる。

 

(楽しみだな~明日)


 そんなことを考えながら目を閉じ、睡魔に身を任せ、ゆっくりと眠りの世界へと落ちていった。


――翌日、夕が迎えに来ることはなかった。




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