第9話 幼馴染
次の日の朝、俺は迎えに来ると言っていた夕を玄関に座り込んで待っていた。
時刻は九時五十分頃。
予定通りであれば、そろそろ夕は家に来るはずだ。
少しそわそわしながら待つ俺に、後ろからヒマリが声を掛けてくる。
「おはよ〜紡。起きるの早いね」
「おはよ。いやもう十時前だから、起きるの遅すぎ」
「なんか頭痛い。ズキズキする」
「そりゃ酒の飲み過ぎだ」
「紗希さんのせいだよ〜」
ヒマリの顔は血が通ってないんじゃないかってくらい青ざめている。
「お前、昨日のこと何も覚えてないの?」
「昨日? え、私なんか変なことしてた? 全然記憶ない……」
覚えてねーのかよ……。まあ、忘れてくれている方がありがたいけど。
口に手を当て思案する彼女の肩に俺は優しく手を置いた。
「安心しろ。知らない方が幸せなこともたくさんある」
「え? なにその笑顔。怖いんだけど。え? 私やらかしたの!?」
慌てふためくヒマリをよそに、俺は靴を履く。今はヒマリに構っている暇なんてないのだ。
「どっか出掛けるの?」
「ああ。今から幼馴染と勉強会だ」
「へぇ〜。幼馴染ってこの前うちにきてた子? あの子可愛かったよね」
「そうだよ。夕は世界一可愛いんだ」
ヒマリも中々分かってるじゃないか。夕は世界で誰よりも可愛い。可愛いは正義。つまり、夕は正義の権化ってことになるな。
ついに俺も真理に辿り着いてしまったか。
「そっかそっかー。紡は夕ちゃんが好きなんだね」
「そんなんじゃねーよ。夕は俺なんかにはもったいない」
「クールぶっちゃって〜。顔赤くなってるよ?」
「え!? マジで!?」
「うっそ〜」
「よし、一発殴らせろ。お前に夜式一刀流の秘奥義を見せてやろう」
そんな下らない会話を続ける俺たちに、リビングから電話の音が鳴る。
着信音は三コール目くらいで止まった。どうやら紗希が電話に出たらしい。
部屋からは紗希と電話の相手との会話が少しばかり漏れてくる。
——はい。そうですか。私から伝えておきます。
そんな紗希の言葉が聞こえてくる。
理由は分からないけど心がざわつくような不安が、一瞬胸の中を通り過ぎていった。
数分後、〝ガチャ〟と受話器を置く音がする。
通話を終えた紗希がリビングから出てきて俺に声をかけた。その表情はいつになく曇っていた。
「紡、今夕の両親から電話があった」
「そっか。用件はなんだって?」
心臓の鼓動が速くなるのを感じる。
「——単刀直入に言うが、夕が行方不明になったらしい」
「……え?」
頭をごつんと鈍器で殴られたような。そんな感覚が襲ってくる。
紗希の言った言葉を理解するのに、数秒程要する。本能的には理解したくなかったのかもしれない。
体の至る所からは、嫌な汗が噴き出してきた。
「昨晩、夕は友達の家に用事があるって出掛けて以来、帰って来てないらしいんだ。携帯も繋がらないし、その友達も家に来てないって言ってるらしくて……。とりあえず、今から警察に行くって——おい! 紡!」
紗希が話し終える前に、体が無意識に動き出し、家から飛び出す。
「——くそ!」
あては無かった。
しかし、じっともしていられない。
高校生にもなれば、家出の一回くらいする可能性もあるけど、夕に限ってそれはないだろう。
未だに寝る子は育つって信じて、二十二時には就寝するくらいだ。夜通しどこかでふらふらしているなんて考えられない。
何か事件に巻き込まれたのかもしれない。そんな考えが頭をよぎる。
不幸中の幸いかは分からないが、昨晩から今にかけてはあの化け物の気配は感じなかったため、奴らに襲われたということはないだろう。
一般人が
何の考えもなしに町中を駆け回っていた俺は気付くといつもの場所へと辿り着いていた。
ふと昨日夕と座っていたベンチが目に入る。暫く走りっぱなしだったので、少し息を整えようとそこへ座る。
「どこ行ったんだよ……夕」
俺が夕と初めて会話したのは小学校六年の時だ。
昔の記憶は余り覚えていなくて曖昧だけれど、あいつとの出会いはハッキリと思い出すことができる。
劇的な出来事があった訳じゃない。別にどこにでも転がっているような出来事だったと思う。
幼い頃の俺は周囲と馴染めずに休み時間も一人でぼーっとしているような奴だった。
特にクラスのみんなが嫌いだった訳でも、話すのが苦手だった訳でもない。
ただ、家庭環境が特殊なせいか、普通の暮らしをしているクラスメイトとの間に勝手に溝を感じていた。
心のどこかで、自分は他のみんなと違う。
だから、仲良くすることはできない。と、そう思っていた。
そんな学校生活の中で夕と話すきっかけができたのは、ちょっとしたいざこざからだった。
とある日の放課後、クラスの男子の一人が夕にイタズラを仕掛けた。夕の読んでいた絵本を取り上げて、馬鹿にしていたのだ。
夕もどちらかというと、クラスには余り馴染んでいない方であり、休み時間は本を読んだりしている子だった。
いつの時代も大人しい子ってのはからかわれやすいのか、それまでも俺が気付かなかっただけで夕は良くからかわれていたらしい。
夕から絵本を取り上げた男子は教壇へと登り、
「見ろよ! こいつまだ絵本とか読んでるぜ! だっせー!」
彼に乗っかった数人のクラスメイトが、次々に「たしかにー」とか「いくつだよー」と、口にする。
嘲笑の的にされた夕は今にも泣き出しそうな顔で俯いていた。
その日は虫の居所が悪かったのか、連日の稽古のストレスなのか。そんな空気に憤りを覚えた俺は教壇へと向かい、絵本を取り上げた男子の前に立った。
「返してやれよ」
「へ?」
普段全く喋ることの無かったクラスメイトが突然参戦してきたのが意外だったのか、ポカンとした表情で俺を見る。
「返してやれって言ってんだ」
「は、はぁ? 何だよお前——っっごふぅ!」
説得するのも面倒だったので、一発拳骨を喰らわして絵本を取り返す。ちょっと横暴だったかもしれない。すまん。名前覚えてないけど。
取り返した絵本を手に、俺は夕の席へと向かい、そっと机の上にそれを置く。
「あ…あり…ありが……と」
「うっせー。もう取られんなよ」
「へえぇ!?」
お礼を言われるのは何だか気恥ずかしかったので、精一杯格好つけてその場を去った。
その日から夕は俺に話しかけてくるようになり、二人で過ごすようになった。
「そういや、そんなことあったな。あの絵本。なんてタイトルだったっけ。確か、奇跡の——」
「紡!! やっと見つけた!」
感傷に浸る俺に声をかけてきたのは、息を切らしたヒマリだった。相当走り回ったのか、肩で呼吸をしている。
「ヒマリ!?」
「もう!
「お、おう。悪かったな。んで、どうしたんだよ。つーか俺は夕のこと探さないと……」
「紗希さんから伝言だよ」
「紗希から?」
「うん。えっとね、町の廃墟に出入りする不審者がいるって噂が立ってるらしいの。関係あるかは分からないけど、行ってみる価値はあるんじゃないかって。紗希さんは常連さんに話聞いて回るから。私達がそこに行けって言ってた」
「町の廃墟……。数年前に廃校になった第一小か……。分かった! 行ってみるよ」
ベンチから立ち上がり、一刻も早く向かおうと焦る俺の腕をヒマリは掴む。
「待って! 私達って言ったじゃん」
「え?」
「だから! 二人で行くって言ってるの!」
ヒマリは荒れ気味の声色でそう伝える。
「今回は
ヒマリは人差し指を俺の唇に当て言葉を遮る。
「この前助けられたから。私はそうゆうのちゃんとしたい。それだけの理由じゃだめ?」
「……分かった。早く行こう」
そうして、俺たちは廃墟へと向かうことにした。
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