第4話 魔獣【シャドウ】

 つむぐの制止を振り切って家を飛び出したヒマリは、先程感じた『魔獣シャドウ』の気配を追って駆け回っていた。


 右も左も分からない知らない町ではあったが、大気中の心力ヴァイト濃度が薄い人間界ではより正確に、より鮮明に気配を感じ取る事ができていた。


(あともう少し……近い!)


 近づけば近づく程、ねっとりと纏わりつくような感覚が肌にひしひしと伝わる。


 そんな感覚にヒマリは生唾をゴクリと飲み込む。


 そして、家から飛び出して数分。ヒマリは住宅街の中、目標を発見した。


『グゥア……ヴグォ……ウヴグォォァァァァァァァァァ!!!』


 耳をつんざくような叫び声。


 人の形をしていながら最早、人と呼ぶことはできない程、おぞましい姿をしているは街灯に照らされ、より一層不気味な雰囲気を醸し出していた。


 肌は黒く染まり、血管の筋は破裂しそうな程浮き出ている。白目を剥いた瞳はかすかに青白く発光し、手足の先は変形していて、爪は獣のように鋭く伸びていた。


 魔獣シャドウ。それは、人間界と魔界に出現する正体不明の化け物。


 彼等の目的や発生源は判明していない。


 ただ一つ、明確な事は魔獣シャドウが見境なく人を襲うという事だけである。


 ヒマリは魔獣シャドウを視認すると同時に、ローブの内ポケットから特殊な模様が刻まれたナイフを取り出し、地面に突き刺した。


魔装具まそうぐ発動 『異空展開いくてんかい』」


 ナイフに心力ヴァイトを注ぎ込むと同時に、ヒマリを中心に半円状の紫色の光が広がっていく。円はある程度広がった後膨張を止め、光は霧散した。


 ヒマリが使用したのは『時空の魔女』クレアの心象魔法。


 心象魔法とは心力ヴァイトと呼ばれる心が生み出すエネルギーに心の形を表す『心象文字しんしょうもじ』を合わせることによって発動する。魔法発動時に現れる、文字の羅列は『心象文字しんしょうもじ』である。


 本来、人が持つ心の形。つまり心象文字は決まっている。その為、使用できる魔法はほとんどの人間が一系統のみだが、他者の『心象文字しんしょうもじ』が刻まれた魔装具まそうぐを媒介すれば、その魔法を使用することができる。


 『異空展開いくうてんかい』は、発動地点から半径三百メートル程の空間を模した別の空間を作り出し、一定の心力ヴァイトを持つ者のみ、その空間に移動させる魔法。


 これによって、人間界の人々や建造物に被害を出さずに戦う事を可能にしている。


「寄生型の魔獣シャドウ……〝パラサイト〟か。初めて生で見るけど気持ち悪いなぁ……」


 心力ヴァイト濃度が薄い人間界では、魔獣シャドウは存在を維持するのが難しい為、人間に寄生して肉体を得る。


 別空間へと移動し、改めてパラサイトと対峙したヒマリは、その禍々しい風貌に気圧されていた。


『グボゥァァァァァ!!』


 目の前に立つヒマリを敵と認識したパラサイトは彼女に向かって突撃する。


「ッッ! やるしかない!」


 パラサイトを目にした時、がヒマリの脳裏によぎっていたが、そんな感情を心の奥底に封じ込めて、迎撃のため魔法を発動した。


「火炎心象魔法 『火撃バースト』!!」

『グヴォァァ!?』


 狙いを定め、突き出した右手から火球を放つ。


 しかし、火球は目標に被弾することなく、すぐ横を通り過ぎていった。


(外した! ……いや、当てられなかった……)


 放たれた火球にたじろぎ、パラサイトは一瞬動きを止めたが、再びヒマリへと突進していく。


『ヴボォァァァァァァ!!』

「——近づかれたらまずい!」


 ヒマリの目前へと迫っていたパラサイトは腕を大きく振りかぶり、彼女へ拳を叩きつけようと振り下ろす。


 その攻撃をスッと後ろへ跳びながら躱して距離を取る。


「ハァ……ハァ……」


 先程の魔法が当たらなかった事に動揺し、呼吸が乱れる。


(やっぱり……でも、やらなきゃ……)


 最初に不安を感じたのは紡と対峙した時だった。


 これまでヒマリが戦ってきた相手は、人の姿をしていない魔獣シャドウであり、人の形をしているパラサイトの相手をするのは初めてだった。


 紡と戦っている時は状況が飲み込めず、パニックになっていたこともあり、はっきりとは感じなかったが、改めてパラサイトを見て嫌悪感にも似た感情が湧き上がる。


 〝人の姿をしている相手を攻撃することが怖い〟。あまつさえ、ということがさらに抵抗感に拍車をかける。


 とはいえ、魔獣シャドウを見逃すわけにはいかないので、ヒマリは再び、魔法を発動しようと心力ヴァイトを手のひらに集中させる。


 しかし、作り出されていく火球は途中で消失してしまった。


「——どうして!?」


 魔法は心の力に依存する。そのため、精神状態によって良し悪しが左右されてしまう。


 相手を攻撃することを本能的に躊躇っているヒマリは、正常に魔法を発動することができなかった。


『グヴォァァァァァァァァ!』


 パラサイトはその隙を見逃さず、ヒマリへと飛びかかる。


「クッッ!」


 ヒマリは咄嗟に相手の頭部へと右足で蹴りを繰り出す。


 しかし、いとも簡単にパラサイトは蹴りを止めて、そのままヒマリの足を掴んだ。


「ッッッ!!?」

『ヴヴォァァァァァ!』


 パラサイトは掴んだヒマリごと腕を振り上げ、力の限り地面へと叩きつけた。


「ガハァッッ!!!」


 強烈な痛みがヒマリの全身を襲う。


「ガッ……カハッ!」


 肺は酸素を取り込む事を拒否し、視界はぼんやりと滲む。


 獲物が虫の息になっているのを確認したパラサイトは、とどめを刺そうと仰向けに倒れるヒマリから手を離す。


 ブチ、グチャ、ベキャ。そんな気味の悪い音を立てながら、パラサイトは右腕を変形させていく。


『グギギギギィィ』


 そうして、三倍程に膨れ上がった右腕をヒマリの頭部へ向けて振り下ろす。


 ヒマリは、せめてもの防御として両腕を頭の上に構え、ぎゅっと目を閉じた。


『グヴァァァァァ!』


〝ドゴォ〟


 鈍い打撃音が辺りに響き渡る。


「……え?」


 それはパラサイトがとどめを刺した音ではなく、何者かがパラサイトを殴り飛ばした音だった。


 ヒマリが目をそっと開けると、見覚えのある少年が振り返りながら呆れた顔で笑う。


「俺より強そうなくせに、こんな相手に遅れを取ってんじゃねーよ。まっ、危ないところだったな」


 そう言って少年——紡はヒマリへと手を差し伸べた。

 

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