第5話 夜式一刀流
「なんで紡がここにいるの!?」
ヒマリは幻覚でも見るかのように、俺の方を凝視する。
「いやーなんでって。助けにきたんすけど。つーかよぉ……」
とりあえず、ヒマリを見つけたら最初に絶対言ってやろうと思っていたことを口にする。
「お前、あのバケモンと俺を勘違いしてたの!? めちゃくちゃショックだよ! どう見ても似てないだろ! 俺、あんなに気持ち悪いの!?」
矢継ぎ早にヒマリに文句を垂れる。
あんな化け物と勘違いされるのは中々に悲しいことだ。
「あ、あの時は気が動転してたから……つい——紡! 後ろ!!」
「ん?」
振り返るとヒマリの忠告通り、後ろにはさっき殴り飛ばした化け物が迫っていた。
『グヴゥァァ!!!』
「うるせぇぇぇぇぇ! こっちは今お取り込み中じゃボケぇぇ!」
『グボァ!?』
半分八つ当たりの意味を込めて、拳を振るう。化け物は数回地面にバウンドしながら吹っ飛んでいった。
「ハァ……。——そういや、この辺の
「それは私が使った魔法の——ッッッ! そっか。紡は
「はぁ? 何を訳のわからんことを。とにかく、ほら。立てるか?」
座り込んでいるヒマリに手を差し伸べる。
しかし、何故かその手を取ろうとはしない。
「どうしたんだよ。別に俺の手は汚かねーよ? トイレの後は必ず石鹸で洗う派だ」
「別にそんなことは気にしてないし! そうじゃなくて……」
「……立てないのか?」
「ちょっと体に力入らなくて……ごめん……」
そう言って俯くヒマリの両手は、悔しそうに握りしめられている。
「そうか……。ほんじゃ、そこで座って待ってろ」
俺は手にしている包みから『相棒』を取り出した。
「紡、それって」
「ああ、これか。ただの木刀」
「……木刀って。そんなので戦うなんて無茶だよ」
「あんなバケモン、これで充分だろ」
取り出した木刀をゆっくりと構える。
そして、視線を化け物へと向ける。
『グギギギギギィィィィィ』
あの化け物に感情があるかどうかは、正直知ったことではないが、ぶっ飛ばされ些か憤慨しているようにも見えた。
「んじゃ、サクッと終わらすか——夜式一刀流『
相手との距離を目算し、足への意識を集中させ大きめの歩幅で踏み込んでいく。
夜式一刀流。俺が紗希に叩き込まれた化け物と戦うための力。
理由は分からないけど、小学生の高学年に上がる頃、紗希は俺に「お前は強くならなきゃいけない」と伝え、その日から稽古は始まった。
最初はもちろん、訳が分からず何度も稽古から逃げ続けていたが、何だかんだ言いくるめられ今に至る。
夜式一刀流の特徴は歩法術と剣術を合わせて戦う技術。
『麒麟』は相手に向かっていくルートを事前に決め最短で到達する夜式一刀流最速の歩法術だ。
「真っ直ぐ進むことだけが最短じゃないけどな」
住宅街の真ん中という狭い地形を活かし、化け物との距離残り二メートル付近で、横の塀へと飛ぶ。そのまま足が塀に触れると同時に塀を蹴り返し化け物の背後へと着地する。
『グギィ!?』
そして、やや下段に構えた状態から左上へと斜めに振り上げるように剣撃を繰り出す。
「おおぅぅらぁぁぁぁぁ!!」
腰の回転、体重、腕の振り。全てを乗せて、淀みなく振り抜いた。
『グギギギギギ!』
丁度脇腹の辺りに剣撃を喰らった化け物は、空中に回転しながら打ち上がる。
「空中じゃ何もできねーだろ——終わりだぁ!」
そして、木刀を上段へと構え、ありったけの力で振り下ろす。
『グブゥゥォァァ!!』
空中から叩きつけられた化け物は地面に軽くめり込んだ。
『グゥォァ……グギギ……グボァ』
化け物にも痛覚はあるらしく、ある程度ダメージを与えれば動けなくなるらしい。
俺は仰向けに転がる化け物を見下ろす様に立ち、木刀を逆手に持つ。
そして、切先を化け物の弱点である心臓の部分へと向け、突き刺した。
刺すというよりも、切れ味のない木刀では抉るといった方がしっくりくるかもしれない。
柔らかいけれど、ほんの少し強硬さを持つ感触が木刀を介して手に伝わる。
この感覚だけは未だに気持ち悪い。
心臓を破壊された化け物は、どういう仕組みかは分からないが、体を砂の様に崩れさせていき、やがて完全に消滅した。
「ふぅ……。一件落着ってやつだな」
「す、凄い……。一瞬で……」
「ほれ、帰るぞ?」
俺は再び、座り込むヒマリの方へと近づき手を貸そうとする。
しかし、やはり立ち上がる様子はない。
「ハァ……。分かったよ。ほら」
ヒマリに背を向けてしゃがみ込み「早くしろ」と声をかける。
正直に言うと、女の子をおんぶしたことはなく内心緊張する。顔はじんわりと熱くなっていくの感じた。
「あ、ありがと……」
ヒマリは両腕を後ろから俺の首へと回し、体重を預けてくる。
小柄な体躯から想像できる通り、ヒマリは簡単に持ち上がった。
そして、ヒマリをおぶって歩き出そうとした時――突然景色が歪み始めた。
「うわぁ! なんだこれ!?」
「時空魔法の効果が切れたんだよ。今まで別の空間にいたからね」
景色には徐々にヒビが入っていき、そしてガラスのように割れていく。
先程の場所から移動した訳ではないようで、ヒマリの言う時空魔法とやらが解除された後も、化け物と戦った場所にヒマリをおぶったまま立っていた。
「なぁ。ヒマリってさ、魔法使いなのか?」
「うーん、一応ね。魔法使いとは呼ばれてないけど」
「へぇー」
「あんまり驚かないね」
「今更だろ? もう」
ヒマリが背中越しにクスリと笑う。
「——そうだね。今更かもね。てゆーか、紡こそ何者なの? 人間界でこんなに強い人がいるなんて、聞いたことないよ」
「俺はちょっと普通じゃない高校生なんだよ。どっかのバカのせいでな」
「ふーん。そうなんだ」
「お前も似たような反応じゃねぇか」
「今更でしょ」
「そうだな」
魔法なんてものは、今まで見聞きした事はないし、そんな物が存在するとは思ってなかったけど、実際に目にしてしまった以上、今は信じるしかないのだろう。
そうして俺たちは家路につくことにした。
*
帰り道、何だか
そんな空気の中、ヒマリが
「紡はさ、怖くないの?」
「なにが?」
「私は……怖かった。今まで、
「シャドウ? あーあのバケモンのことか」
ヒマリは、消え入りそうそうな声で言葉を続ける。
「もちろん、彼らがもう人ではないことを分かっているけど……。それでも——」
「怖いよ」
遮るように俺は言葉を返した。
「え?」
「俺だって怖い。とどめを刺す時の気持ち悪さは慣れないし、あの感触は中々消えてくれない」
「……うん」
「でも、やらなきゃ他の誰かが傷つく。俺にとってはそっちの方が怖い」
初めてあの化け物にとどめを刺したのは十四歳の時だった。
それまでは紗希がとどめの役目を担っていたが、その日は「お前がやれ」と紗希は俺に役目を任した。
戦うことに慣れ始めていたこともあり、今更とどめを刺すことくらい平気だろうと、俺は高を括っていた。
しかし、いざその状況に直面した俺は、無意識に込み上がる恐怖感に襲われ、その場で嘔吐してしまった。
そんな隙を化け物は見逃さず、鋭利な爪で俺を切り裂こうと飛びかかってきた。
辺りに
それは俺のものでなく、俺を庇った紗希のものだった。
今でも紗希の背中には大きな傷痕が残っている。
「そっか……。紡は強いね」
少し昔を思い出していた俺に、ヒマリはそっと声をかける。
さっきよりも首に回している腕の力は強くなっている気がする。
心なしか、背中にかかる吐息も何だか近い。
「ちょ、くすぐったいんだけど——って寝てるし!」
すやすやと寝息を立てるヒマリを起こさないよう少し歩くペースを遅くする。
「明日は何も起こらないといいなぁ」
そんな事を考えながら夜道を歩く。
今日起こった災難とは裏腹に、空には満天の星が輝いていた。
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