第2話 少年は出会う
それは不思議な夢だった。
目の前には見たことの無い景色が広がっていて、自分の知っている世界とは別の世界にいるみたいだった。場所はどこかの街のようで、道の真ん中に立ち尽くす俺に、色んな人が話しかけてくる。彼等の言葉は上手く聞き取る事ができなかったが、皆一様に笑顔で俺の周りに集まっていた。
街の人々の姿は、現代の服装や容姿とはかけ離れている。まるで、中世を舞台にした映画の登場人物みたいだ。そんな姿に何故か懐かしさを感じる。
誰かの記憶を追体験しているような不思議な感覚だった。
夢は平和で穏やかな様子だったが、次第に不穏な空気へと変わっていく。
空には不安を具現化したような禍々しい灰色の雲が立ちこめ、人々は泣き叫ぶような表情で逃げ惑う。
そんな光景をぼんやり眺めていると、一人の少女が目の前に立っている事に気が付いた。彼女は何かを伝えようと必死に訴える素振りを見せる。
しかし、彼女の言葉は俺に届くことはなかった。
伝える事を諦めたのか、彼女はきびすを返し走り去ろうとする。
何か大切な物を失ってしまうような。そんな感覚に襲われた俺は、彼女の小さな背中を追いかける。
あと一歩。あと一歩で彼女に追いつける。手を伸ばし、彼女の肩をつかんだ瞬間――俺は夢から目を覚ました。
*
〝ジリリリリリリリ〟と、けたたましい音が部屋の中でこだましている。
毎朝、俺の部屋の目覚まし時計の音はもう少し優しくても良いんじゃないかなって思う。そんなに焦らせてくれなくてもちゃんと起きるって。朝は別に弱い方じゃない。
うつ伏せのまま、ベッドの置物スペースへ手を伸ばし、朝を告げる音を止める。
今日は平日なので学校に行かなければと思いベッドから起きようとするが、すぐに昨日から夏休みに入った事を思い出して、タオルケットを被り直した。
ゴロンと寝返りをうち、天井を見つめながらぼーっとする。
「…ヘンな夢見たな」
寝転んだまま部屋の床を見ると、昨晩遅くまでプレイしていたゲーム「マナモンクエストⅡ」のパッケージが目に入る。
ああ。これのせいか。「マナモンクエストⅡ」は今大人気のファンタジーゲーム。このゲームをやり過ぎたせいで、あんな変な夢を見たに違いない。
折角の夏休みなので二度寝を決め込もうとタオルケットに潜り込むが、何だか目が冴えてきてしまいとりあえず起きることにした。
自室から出てリビングへと向かう。家の中には誰もいないようだ。
リビングに入るとテーブルの上にメモ用紙が置いてあることに気がつく。手に取ると、そこには腹立たしいメッセージが書いてあった。内容は、
『おっはよ〜! 私は朝から戦場へと向かいます。夕飯の準備よろぴく〜』
との事だった。
「また朝からギャンブルかよ……」
ヘラヘラと笑うメッセージの主の顔を想像した俺は、手紙をくしゃっと握り潰しゴミ箱へと投げ入れた。
小腹が空いたので何か食べ物はないかと、鼻歌を口ずさみながら冷蔵庫を漁る。
すると、
〝ガタン!!〟
と、鈍い音が家の何処からか聞こえてきた。
「……??」
何か重いものでも落ちたのだろうか。いや、まさかとは思うけど泥棒はないだろう。
一応念の為、音の発生源を探す事にした。何かあった時に、アイツに文句言われるのは嫌だし。
手当たり次第に家の中を回るが特に物が倒れていたり、誰かが侵入した痕跡は無かった。
「う〜ん……。もしかして、道場のほうか?」
我が家は平家の一戸建て。二人で住むには十分すぎる大きさで、家の裏の敷地内には道場が隣接している。昔は武道教室とかを開いていたらしい。
家から道場へは渡り廊下で繋がっている。廊下を歩きながら、やはりうちの家は広すぎるという事をしみじみ実感する。最早、逆に不便じゃないかこれ。
そういえば、先ほど彼女の部屋に入ったときに机の上に財布を置き忘れているのを発見した。
今頃、出先で財布が無いとギャーギャー騒いでいる頃だろう。
わざわざ連絡するのも面倒くさいし、見なかったことにしよう。どうせ、そのうち取りに帰ってくるに違いない。
そんなことを考えているうちに道場の入り口へと辿り着き、俺はゆっくりと引き戸を開ける。
そして、中に入って真っ先に目に飛び込んできたのは――〝赤い髪色をした女の子が道場の真ん中で倒れている〟という光景だった。
「!!!??」
にわかには信じがたい光景に、思考はフリーズしかけている。
取りあえず一旦落ち着こうと、道場の外に出て引き戸をピシャリと閉めてうずくまる。
待て待て。もしかしてゲームのやり過ぎで幻覚まで見え始めているのだろうか。いや、そうだよな。昨今のゲームのクオリティって凄いもんな。現実と見間違うくらい映像綺麗だもんな。そりゃプレイし続けたら幻覚だって見ちゃうよ。
多分、只の見間違い。そう結論づけることにしてもう一度、恐る恐る引き戸を開けて中をのぞき込む。
しかし、何度扉を開け閉めしても少女は横たわり続けている。
「やっぱりいるぅ!!!!!!!」
受け入れがたい状況に思わず声を出して叫んでしまう。
確かに俺は非日常に片足を突っ込んでいる身ではあるが、流石に見知らぬ赤色の髪の少女が急に家に倒れていたらびっくりする。
しょうがない。こうなったら最終手段しかない。これだけは使いたくなかったんだけどな……。
「よし、おまわりさんを呼ぼう」
だけど正体も確認せずに警察に突き出すのは理不尽ではないかと思い、ゆっくりと少女に近づく。少女は魔法使いを連想させる黒いローブを纏っていて、うなされるように呼吸をしている。
俺は彼女の横へ座り込みじっと顔を見つめた。
「あれ? この子どっかで見たような……」
もう少しよく見ようと顔を近づけた瞬間――少女は目を覚まし、ばっと起き上がる。その後、こちらを一瞥すると何かに気付いた表情を浮かべ、座った状態から俺の顔面を蹴り飛ばした。
「ッッッ!? 痛ってぇぇ!」
少女の小柄な体格からは想像出来ない威力の蹴りに、軽く後方へ吹っ飛ばされてしまった。
全く理解できない展開に脳はパンク寸前で、これは夢なんだと思いたかったが、顔にじんわりと広がっていく鈍い痛みがそれを許さなかった。
「急に何すんだこのやろう……」
「高い
「……はぁ? 一体何言って――」
赤髪の少女は俺の言葉に聞く耳を持っていないようだった。
燃え上がるような真紅の瞳でこちらを睨み付け、軽快に飛び跳ねながら距離を取ると、両手を体の前へと突き出す。
そして、少女の両の手のひら魔法陣?のようなものが現れ、そこにバレーボールサイズの火球が作り出されていき
「えぇ!? ちょっ! な、なにそれ!?」
「――消し飛べ!!」
敵意の籠もった言葉と共に、火球を俺に向かって撃ち出した。
燃え盛る火球が迫る中、頭の中で様々な記憶が蘇ってくる。
小学校時代、放課後毎日竹刀でしばかれた挙句、一晩中走り込みをさせられる日々。
中学校時代、放課後毎日竹刀でしばかれた挙句、飯抜きにされる日々。
あれ? これもしかして走馬灯ってやつじゃないか。というよりも、
「ろくな思い出がねぇ!!」
すんでのところで、横っ飛びをして火球を避ける。
ちくしょう。こんなろくでもない思い出ばかりでくたばれるかってんだ。
火球は後ろの壁へと直撃すると、小規模の爆発を起こした。幸い、火は燃え移っていないようだ。
少女の方を見ると、次の攻撃の準備をしている素振りをみせる。その顔には焦りが浮かんでいた。
火を操るなんて、少女は魔法使いか超能力者の類なんだろうか。
「わけわかんねぇよ……」
どんなに考えても答えは出る様子はないので、致し方なく状況を受け入れることにする。
少女が俺に襲いかかる理由は不明だが、兎にも角にも、この場を切り抜けるにはあの子を取り押さえるしかない。
大丈夫。こういうことには慣れている方だ。
頭の中で一通りイメージトレーニングを行い、次の攻撃に備える。
そして、少女は再び火球を放ってきた。
よし、このタイミングだ。
「——
相手との距離を見極め、最速で最短のルートを導きだす。
そして、力強く踏み込み導き出したルート通りに目標へと突っ込んでいく。
「なっ!? 速い!?」
飛んでくる火球に対して正面から向かっていき、直撃する前に体を捻ってすれすれで回避する。火球の弾速はさほど速くなく、一度見れば見切るには十分だった。
少女は些か相手を侮っていたのか、猛スピードで向かってくる俺に動揺している。
読み通り、火球を撃つまでには少し時間が必要なようだ。
少女の目の前まで距離を詰め、次の攻撃はさせまいと取り押さえる為に少女の腕へと手を伸ばす。
——その時、ガラガラと勢いよく道場の引き戸が開けられ、
「
と、聞き覚えのある怒声が飛んできた。
「さ、紗希!? ——ッッ!!」
いきなり怒声を飛ばされ、びっくりして振り向いてしまう。目標から目を離した事によって、少女の腕を掴もうとしていた俺の右手は全く違う部分を掴んでいた。
手のひらには触れたことのない柔らかみが広がっていく。
「……」
無駄なことと下らないことには妙に回転の速い俺の脳は、瞬時に触れた場所の答えを導き出す。
ああ、これダメな奴だ。
手錠をかけられる自分の姿が脳裏をよぎる。
声をかけた張本人は少女のふくらみを鷲掴みにする俺を見て、蔑んだ視線を送ってきた。
「紡……お前……アタシはお前をそんな風に育てた覚えは……」
「いやいやいや待って! こっこれは事故で!」
必死に弁解しようとするがもう既に遅いようだった。
「……ねぇ、いつまで触ってるの?」
全身の毛が逆立つような少女の冷やかな声が聞こえてくる。
ゆっくりと、本当にゆっくりと。願わくばそっちを見たくないけれど。現実から目を背けたいけれど。紗希の方から少女へと視線を移す。
「いつまで触ってるのって聞いてるの。聞こえない?」
少女はまるで、道端に吐き捨てられたガムを見るような目でこちらを見ている。
俺はすぐさま掴んでいた胸から手を離す。こんな事を今思うのはあれかもしれないが、少しだけ勿体ない気がした。健全な男子高校生なら皆同じ事を思うはずだ。そうだろ? まだ見ぬ同志達よ。
不慮の事故とはいえ(よくよく考えれば俺は命の危機に晒されていたが)流石に謝らない訳にはいかないと思い、謝罪を試みることにする。
「あのー……そのー……。なんかごめん。ホント、あの、すんません」
「……くたばれ」
「え? なんて——」
「くたばれこのど変態がぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
「ぶへらぁぁぁ!!」
少女の正義の鉄槌が、俺の顎に綺麗にヒットして、意識が遥か彼方まで飛ばされていく。
——これが、彼女との出会いであり、全ての始まりだった。
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