第1話 人間界へ
――かつて、世界は一つでした。その世界は、『奇跡の王様』と呼ばれたある一人の王様によって治められていました。
人々は、心優しく奇跡の力を持つ王様のおかげで平和に過ごしていました。
しかしある時、世界に邪悪な厄災が襲ってきたのです。厄災はとても強大な力を持っていて、奇跡の力を持つ王様でも、止める事は出来ませんでした。瞬く間に、世界は闇に包まれていき、人々は終焉の時を待つばかりでした。
刻一刻と終わりが近づく中、王様はある決断をしました。世界を二つに分けて、厄災を片方の世界に閉じ込めようというのです。そして、王様は奇跡の力を全て使い、人々が住む世界と、厄災の存在する世界の二つに切り離したのです。
こうして厄災が消え去った世界には平和が戻っていき、人々はいつまでも――
「ヒマリちゃん!! いつまで寝てるの!」
「――!!??? うぁぁぁぁぁ!」
突然聞こえた大声にびっくりしてしまい、ベットから転げ落ちる。
「イタタ……。もう……。急に大声出さないでよ……アカリ姉」
「あなたがいつまでも起きないのが悪いんでしょ?」
声がした方を見ると、後ろからゴゴゴという擬音が聞こえてきそうな形相で、アカリ姉がドアの前に立っていた。しかも逆さまで。
「あれ? アカリ姉、何で逆さまなの?」
「それはヒマリちゃんが床に転げたままだからでしょ……」
「ハッ!! そういう事か!」
「全く……。早く準備してね。朝ご飯出来てるから」
そういってアカリ姉は部屋から出て行った。むくりと起き上がると、丁度カーテンの隙間から差し込んできた光が顔に当たる。燦然と降り注ぐ陽光に目を細めながらカーテンを開けると、空は雲一つない快晴だった。
「ん~~!! 気持ちいいなぁ」
外から流れ込んでくる新鮮な空気が寝ぼけた頭をリセットさせる。何度か深呼吸を繰り返すと体は完全に眠気から解放された。
「そういえばさっきの夢って――」
先ほどまで見ていた夢を思い出しながら、壁に掛けてある時計に目をやると針は九時を示していた。
「えっと……。今日の集合時間は確か九時半……っっやば!!」
遅刻寸前という事実にようやく気が付いた私は、昨晩用意してあった荷物を手に取り階段を駆け下りる。
一階に降りるとリビングの方から甘い香りが漂ってきた。
「おはよう、ヒマリちゃん。今日はヒマリちゃんの好きな蜂蜜トーストにしたわよ」
甘い香りの正体は大好きな蜂蜜トーストだった。
「わぁ~ありがとう! 急いで食べる!」
食卓につきトーストにかじりつく。夢中で好物を食べる私を見て、アカリ姉は少しだけ寂しそうな顔をする。
「……はぁ。ヒマリちゃんもついに人間界に行ってしまうのね……」
そう言いながら、アカリ姉は肩から胸へと流れる私と同じ朱色の髪をゆっくりと撫でる。目にはほんのちょっとだけ涙を浮かべているようだった。
「いやいや、一週間ぐらいで帰ってくるから。そんな永遠の別れみたいな雰囲気出さないでよ」
「そんな……一週間も会えないなんて……気が狂いそうだわ!!」
「妹に対してその感情は狂気的だよ……」
本人が言うのもあれなんだけど、アカリ姉こと私の姉。アカリ・フレアハートは、妹に対する愛情が暴走気味だ。
十年前、父と母を亡くした私達はお互いが唯一の家族となってしまった。それ以来、アカリ姉は何かと過保護になり、いつも私の身を案じている。
少しやり過ぎではないかと感じることもあるが(私の下着を盗もうとするのを目撃した時は本気で別居を考えた)それでも、たった一人で私のことを育ててくれたアカリ姉には感謝してもしきれない。
しかし、本人に言うと調子に乗りそうなのであえて伏せておく事にしている。
「うぅ~。ヒマリちゃ~ん。行かないでよ~」
懲りずに駄々をこねる情けない姉を、私は優しくなだめる。
「はいはい。何かお土産でも買ってきてあげるから――あっそういえばさ」
「ん?」
「アカリ姉が昔、よく寝る前に話してくれたおとぎ話。あれ。何て名前だっけ」
「あ~……。何て言ったかしら……」
アカリ姉は唇に人差し指を当て考え込む。数秒ほど沈黙が続いた後、彼女は〝閃いた!〟という表情で、両の手の平をポンと合わせた。
「確か『奇跡の王様』よ! ヒマリちゃん、この話をしてあげないと寝られなかったわよね」
「それだそれ! 懐かしいな~。今日ね、夢で見たんだ。アカリ姉がこの話をしてくれてた頃の夢」
「あら、珍しいわね。ヒマリちゃんが見た夢を覚えてるなんて」
記憶力が悪いのが原因なのか、眠りが深いのが原因なのか。どちらにせよ、私は普段夢の事を覚えていないタイプだった。
「寂しくなっちゃったんじゃないかしら。大好きなお姉ちゃんと離れるのが」
「そ、そんな事無いし! ていうか、あの話って最後どうなるんだっけ」
「う~ん。私もそこまでも覚えてないわね」
夢の記憶は話が終わる前に目が覚めてしまったので、中途半端な所で途切れていた。
特にこのおとぎ話に思い入れがある訳ではないけれど、途中でお預けになってしまうと何だかもやっとした気持ちになる。
だから答えを聞こうとアカリ姉に聞いたのに収穫は得られなかった。
「アカリ姉の役立たず」
「ぐふふぅぅ!」
私の辛辣な言葉にアカリ姉は心に傷を負ったみたいだった。少し言い過ぎたかもしれない。まあ、謝らないけど。
「――ふぅ。そんな事より、時間は大丈夫なの? もうすぐ九時半になるけど」
「ッッ!! 忘れてたぁ!!!」
残りのトーストを口の中に押し込み、椅子から立ち上がる。
「それじゃ行ってくるね!」
「――行ってらっしゃい。無事に帰ってきてね」
優しく手を振るアカリ姉に見送られ、玄関から勢いよく走り出す。
家から本部までは歩いて十五分。走れば五分くらいだから、ダッシュで行けばギリギリ間に合うだろう。
家から北の方へ道なりに進んでいくと、大きな通りにたどり着く
本部まで最短で向かうには、このサンリリア通りを通って行くことになる。この通りは、沢山の出店が立ち並んでいるいわゆる商店街だ。
出店のラインナップは豊富で、青果店やお肉屋さん。はたまた怪しげな数珠を売っている店まである。そんなサンリリア通りは、基本的に午前九時から正午にかけて大勢の買い物客で賑わっている。
今日も例に漏れず通りは大繁盛。そんな人混みの合間をなるべくスピードを落とさないように駆け抜けていく。
所々で人にぶつかりそうになったり、足がもつれて転びそうになったけど、やっとの思いで通りを抜ける事ができた。
通りを抜けた先には噴水広場があり、中央魔法機関本部は丁度その後ろに位置している。広場の時計台を見ると、今の時間は九時半ちょっと前。何とか間に合ったようだ。
「ハァ……。間に合った……」
息を切らしながら入り口の扉を開けエントランスに入ると、すぐ目の前に一人の女性が立っていた。
「ッッ! おはようございます! クレア様!」
扉を開けた先にいたのは中央魔法機関最高責任者。『時空の魔女』の二つ名を持つクレア様だった。
機関に所属を認められると、男性なら〝魔人〟女性なら〝魔女〟の称号が与えられる。
さらに、そこから初級、中級、上級、絶級と階級がつけられていき、その中で極めて優秀な機関員には二つ名が与えられる。
二つ名を持つ者は約千人ほどいる機関員の中でもわずか数名程しかいない。
クレア様は煌びやかな金色のロングヘアーをなびかせながらゆっくりと私の方へ近づいてくる。
そして、右手を私の左頬にあて、吸い込まれてしまいそうな程深い紫色の瞳で私をじっと見つめた。
「あ、あの、クレア様?」
私とクレア様の顔の距離は、ほとんどゼロ距離といったとこまで近づいていた。
王都一の美女と謳われるクレア様にここまで近づかれると女の私でさえ、さすがにドキドキしてしまう。
心臓の鼓動は先程家から走ってきたおかげで速くなっていたが、今は別の要因でさらに速さを増していた。
気恥ずかしさとか緊張とか。そんな諸々の感情が決壊寸前の私に、クレア様は優しく囁きかける。
「目を閉じて?」
脳に直接語りかけるような甘美な響きに、私の体は抗うことが出来なかった。
言われるがままに目を閉じ、体を硬直させる。そして、次の瞬間――柔らかな衝撃がおでこを弾いた。
「――ッッ! もう! またからかいましたね!」
どうやらクレア様は、目を閉じてプルプルと震える無様な私にデコピンをかましたようだった。
おでこをさすりながら睨み付ける私を見て、クレア様はさっきまでの妖艶な雰囲気から一転して、無邪気に笑いかける。
「アハハ! ごめんごめん。ヒマリは今日も可愛いね」
「いつもいつもそうやって……。心臓に悪いから止めてくださいよ……」
「まあまあ、ヒマリが初めての人間界での任務で緊張してるかと思って。少しリラックスさせてやろうと思ったんだよ」
「別に緊張してないです!!」
「でも今日は時間ギリギリだったでしょ? よく眠れなかったんじゃない?」
実の所、緊張していない訳ではなかった。確かに昨日の夜はお腹のあたりがソワソワして、中々眠りにつくことができなかった。
「それは……そうですけど……」
「フフ。――さっ! お遊びはこの辺にして『転移の間』に行こうか」
そう言ってクレア様はクルッと後ろを向いて、エントランスの奥へ歩き出した。
*
『転移の間』へと到着すると、クレア様は今回の任務について再確認を始めた。
「事前に説明した通り、今回は人間界の特異点において出現が予測される
「はい!」
「良い返事だね。それじゃ、円の真ん中に立ってくれるかな」
部屋の床には二重の円の模様が描かれていて、私はその中心に立つ。それと同時にクレア様が魔法を発動する。
「時空心象魔法 『空間転移』」
その言葉と共に辺りは青白い光に包まれていき――私の体は異空間へ放り込まれていった。
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