雷人間と雪兎
藤泉都理
雷人間と雪兎
「お願いします!あなたの髪を私にください!」
ふわふわさらさらの白い毛並み。
ひくひくと小刻みに動く薄桃色の鼻と天に伸びる細長い三角耳。
生きている証を凝縮しているかのような紅い瞳。
両の手から少しはみ出るくらいの、スレンダーな身体。
愛らしい兎が、二足歩行で距離を縮め、会話可能な言葉を発し、なおかつ、自身の髪の毛を強請ったとしたら。
あなたは、どのような反応を示しますか?
私はしれっと受け流す事にしました。
到来とともに器は返り咲き、去来とともに器は空に還る。
雪と共に在るこの雪兎は、本来ならば動けるような状態ではないのだが、本兎曰く、根性で乗り切っているらしい。
望みを叶える為。
春も夏も秋も、その身で生きたいが為に。
雪から脱却して、雷兎になる、と。
「つまり、あなたは私の頭髪をすべて頂戴して、私をつるつるてん坊主にしたいわけじゃなく。切って要らなくなった頭髪が欲しいと。雷人間である私の頭髪を食べれば、雷兎になれると思って」
「正直、根性で乗り切るにも限界があります。まだ冷気が漂っているので、この身を保ててはいますが」
うるうると瞳を濡らして仰ぎ見る兎の哀願はその実、早く寄こせ、との脅しだろう。
他称、雷人間は、眉根を寄せて後、口を開いた。
毛髪を食べて雷兎になれるかどうかは知らない上に、なれたとしても手渡す気は毛頭ないが。
「水兎になる事をお勧めします」
「負けた感じがするので嫌です。それに雷の方がカッコイイです」
「…あなたがどんな夢物語を聴かされたかは知りませんが、現実ではもはや四季など存在しませんよ。夏か冬の二季のみ。どちらも生きて行く事は困難を極める。今日みたいな日は、この星の気紛れだと言っておきましょう。それでも、一年中生きていたいと言いますか?」
「はい!」
「そうですか。なら私以外の雷人間を探すか、別の道を探すか、ご自由にどうぞ」
「私を見殺しにするのですか?」
「素直に立ち去るか、根性とともに消えるか、私の雷で消えるか。どれを選びますか?」
冷めた瞳。
眼前の人間の方が、よっぽど雪の形容が相応しい。
雪兎は融けそうになる身体も意思もこの地に踏ん張らせては、眼前の人間を見据えて、あなたの雷で消えますと言い放った。
微動だにしない。
予想通りの無表情。
感情を動かせるわけないか。
落胆がないと言えば、嘘になる。
きっとこれから無慈悲にも、この可愛らしい身体に落雷を直撃させるに違いない。
丸焦げ?それとも、跡形もなし?
うん、後者だろう。
覚悟はもう決まっているこの瞬間。
今生で一番凛々しい顔をしているに違いない。
呆気なく散ってしまったが、
「嫌です」
「え?」
「嫌だと言ったんです」
「えええ?」
情が生まれての発言ではないだろう。
心変わり?面倒臭くなった?
それともまさか、
(私に慄いたのか)
「ええ、まあ。吸収されそうなんで、先の発言は撤回します」
「いえいえいえ、ご自身の発言には責任を持ってください!」
雪兎は仰向けで大の字になった。
さあさあどうぞと言わんばかりの格好である。
雷人間は、口をへの字にした後、やおら口を開いた。
至極、渋々といった体で。
「恐らく。確実に。あなたが雷兎になった時点で、私に吸収されると思いますよ。これまでみたいに息を吹き返す事はできません。なので、私から早く離れる事をお勧めします」
「…私の身を案じてくれているのですか?」
「そう思いますか?」
雪兎は小さく頭を振った。
「あなたはどうして雷人間になったのですか?」
「別段、なりたくてなったわけじゃないですよ。普通に暮らしていただけ。普通に家電製品に囲まれて、使って。或る日急に……今でこそ不便なく暮らせていますが、最初の頃は大変でしたよ。すべてを壊してしまうんですから」
雷人間は、ふっと小さく息を漏らした。
笑声か、溜息か、判別はつかない。
「でも、天恵だったんでしょうね。おかげで、小さな願望が叶えられるかもしれないんですから」
「願望?」
どんな。
訊いても薄く刷いた笑みを浮かべるだけ。
この瞬間、雪兎は天啓が開いた気がした。
「私は雷ほど生殺与奪を平等に扱える力はないと思っていました。ですが、あなたはきっと違うのですね」
「さあ、どうでしょうね」
誤魔化されても、雪兎は笑えた。
とても晴れやかに。
「まだ、雪兎でいる事に決めました。このままの私で、やれる事を見つけられましたから」
「はい、さっさと出て行ってください」
「はい!また雪の到来時に来ますから、その刻にその願いを叶えてくださいねー」
「いえいえ、私の好き勝手にしますから」
「約束ですよー」
「しませんよー」
「あ、そうだ。あなたの願いが叶ったら、今度は私の願いを叶えてくださいねー」
「叶えませんよー」
了承してないですよ。
眼前で忽然と姿を消した雪兎に呆れ返りながらも、念を押した雷人間。
嫌な予感しかしないので、雪が訪れる前にさっさとここから出て行き、新たな家を探す決意をした。
きっと、あの雷人間の願いは罪を犯す事なのだ。
その直感が間違っていても間違っていなくても構わない。
間違っていなかったならば、私があの人間の罪を雪ごう。
雪兎でなくても構わないのかもしれないが、
雪兎として、私はあの人間の前に立ちたくなった。
噂の通りならば、他者どころか死さえ遠ざける人間の前に必ず、
誰もが、あなた自身さえも赦さなくても、私があなたの罪を雪いでみせますから。
「え?吸収しても放出できるんですか?」
「ええ、少しばかり時間はかかりますが」
「私はてっきり他の命を吸収しまくって、さぞかし罪の意識に苛まれているのだろうと思っていましたが、よかった。では、あなたの願いは何なのですか?」
「再生ですよ」
「そうですか。ならば思う存分、破壊してください。いくらあなたが罪を重ねようと、私が必ず雪いでみせますから」
「いえいえ、結構。そもそも他者に罪は晴らしてもらうものではないですから。そもそも再生だって言っているでしょうが」
「いえいえいえ、遠慮なさらないでください。追っ払おうとしないでください。再生の前に破壊はつきもの。破壊には罪がつきもの。雪兎の私が必ず雪いでみせますよ、雪兎の私が」
「いえいえいえいえ、雪は雪らしく、さっさと消え去ってください」
「ふふふ、よーやく、雪が誇らしくなりました。雪万歳!」
「あー、早く春になってほしい」
「あ。早く願いを叶えて私の願いを叶えてください。私も早く四季をこの身で感じたいですから」
「あー言葉が通じないー」
雷人間と雪兎 藤泉都理 @fujitori
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