ばけもの②

 虎丸は、自重にすら耐えかねている体を引きずって、要大工町から遠ざかった。

 無理をしている自覚はあった。歩を進めるたびに少しずつ、薄暗い場所へ近づいていている感覚が、光の届く場所から遠ざかっている感覚が確かにあった。自分は直に死ぬだろうと言う確信があった。

 そして、死ぬのであればなおさら、その死に場所は要大工町であっては、決してならないという信念があった。

 疫病神、なのだろう。きっと自分は、確かに自分は。あの人の言う通りに。そうでなければ、自分の愛した人たちが悉く死んで行く理由が分からない。

 ならば、何処で死ぬにしても、ここで死ぬ訳にはいかない。要大工町。苗子、花、鉄丸。虎丸の愛した彼女らの生きた町。そんな場所を疫病神の墓所にして良い訳がない。

 少しでも、少しでも遠くへ。そうして虎丸は、人里離れた荒れた山に踏み入り、そのまま薄暗い藪の中で力尽きて意識を失った。

母ちゃん。黒豆。はなちゃん。棟梁さん。

翳りゆく意識の中で、一つ一つを思い出して、虎丸は心から思う。

ああ、死の間際に思い出す大切なことが、こんなに沢山ある人生で良かったと。


 しかし、次に虎丸が目を覚ました所は、残念ながら極楽でも地獄でもなかった。小さく質素で静かな部屋だった。虎丸は薄い布団の上に寝かされていた。虎丸がぼんやりと目を瞬いていると、からりと襖が開く。

「おう、起きたか。坊主」

 部屋に入って来たのは、尼装束に身を包む老婆だった。虎丸は起き上がろうとしたが、ままならなかった。せめて首だけを彼女に向けようとすると、額から手濡れた拭いが滑り落ちた。

「……あ、の」

「無理に動くな。傷口が熱を持っている。大人しく寝ておくことだな、坊主」

 老婆は落ちた手拭いを拾い上げ、虎丸の枕元に座った。片手に抱えていた水桶に浸して絞る。小柄で痩せた老婆だった。老ゆえに目は落ちくぼみ、頬はこけ、骸骨のような見た目をしている。けれど、動きは矍鑠としていて、しゃがれた声は毅然としていた。坊主、の発音が少し訛っていて『ぼんず』と聞こえた。

 老尼は、静かに虎丸の額に手拭いを乗せる。ひんやりと心地良かった。虎丸は、ぼんやりとした意識の中で、独り言のように尋ねた。

「……あなた、は?」

「儂は、桔梗尼という。この寺の尼僧だ」

「寺……」

「ああ、小さい寺だ。儂以外に人は居らん。気兼ねなく居れ」

 老尼の言葉に、虎丸は思い出したように、ゆるゆると首を振る。

「俺……疫病神、なんです。天狗の子、だから」

「天狗?」

「俺、ここに居たら……貴方を不幸に……」

「ほう」

 老尼は面白そうに虎丸を見た。骸骨じみた見た目に加え、笑みはやたらと凄味があって、恐ろしくも見えた。けれど、その瞳は優しかった。老尼は筋張った手で、虎丸の瞼を降ろす様に撫でる。

「天狗や疫病神にどうにか出来るほど、儂はか弱くねえ。下らんことを気にするな」

 そうして、虎丸は一時その小さな寺に身を寄せた。


 その寺は山奥に位置し、周囲に人家は見当たらなかった。一応ふもとの小さな村が檀家らしい。細かいことは分からなかったが、少なくともその寺の周囲に、虎丸の髪を恐れ、追い出そうとする人が居ないことは確かだった。

 熱が下がり、傷が癒えるにつれ、虎丸は少しずつ桔梗老尼の家事手伝いを始めた。静かで穏やかな時間だった。家族を喪失した痛みが、ほんの僅かに、けれど命に至るところからは遠ざかる程度に和らいだ。

 寺は小さな仏間と厨と寝所があるだけの、こじんまりとした造りだった。並んで門前の掃き掃除をしながら、桔梗老尼はぽつりと言った。

「この寺は、桔梗の花が見事でな。初夏になれば、一面紫だ。壮観だぞ」

「桔梗の花?」

「もともとこの山は桔梗の山よ。それもあって、この寺は村のもんから、『桔梗寺』なんて呼ばれている。その名前が気に入って、儂もここに腰を落ち着けた」

「……じゃあ、桔梗尼はもともとここの人じゃないんですか?」

「ああ。儂は流れもんだ。丁度この寺の住職の臨終に居合わせて、次が決まるまで代わりを引き受けてる」

 ならば、次が決まれば、彼女はまた流れ出すのだろうか。虎丸は老尼をこっそりと見上げる。定かでないが、虎丸に祖母が居れば、彼女くらいかもしれない。旅の暮らしは、老骨に堪えるのではなかろうか。

「桔梗尼は、いつか、どこかに行ってしまうんですか」

 虎丸がそう問いかけると、桔梗尼はちらりと彼を見返した。相変わらず、凄味のある顔だったが、虎丸は彼女を怖いと思ったことは一度も無かった。桔梗尼は、視線を戻すと淡々と答える。

「さあ、どうだろうな。幾ら旅をしても、どうやら儂の願いは叶わんようだし、そろそろ諦めて、ここに落ち着いても良いかもしらん」

「願い?」

「ああ。まあ、もとより叶うとも思っとらん」

「どんな願いなんですか?」

 虎丸がそう尋ねると、桔梗尼は少し黙った。それから彼女は目を細めて虎丸を見た。

「……儂の孫は、天狗風に攫われてしまった」

「天狗風?」

 小さなころから幾度も聞いた名前が含まれる、けれど聞き覚えの無い言葉に虎丸は首を傾げる。

「要するに神隠しよ。首が座るか座らないかの赤ん坊だったが、ある日目の前で風に噴き上げられたかと思うと、それっきりだ。……生きておれば、お前と同じ年頃か」

 虎丸は目を瞬く。

「もう十年以上探し続けて来た。諦める理由を探して居ったような気もする」

 老尼の言葉に、虎丸は思わず眉間に力を込めた。けれど、堪えようという努力も空しく、涙は溢れてしまう。堰を切ると後は止まらない。虎丸はそのまましゃくりあげた。家族を亡くしてから、久しぶりに虎丸は泣いた。

 桔梗尼の痛みが、虎丸には我が身のことの様に感じられた。大切な人を理不尽に失う痛み。奇しくもそれは虎丸にとって、まさに知ったばかりの感覚だったから。結局、変わらないのだろう。事故であろうが事件であろうが、虎丸も桔梗尼も愛した人には二度と会えない。

 泣きじゃくる虎丸の頭を、桔梗尼はそっと撫でてくれた。

 お互いに家族を亡くした者同士、そして、天狗の名前に苛まれた者同士、虎丸と桔梗尼は不思議に深く繋がった。

「坊主。お前いっそこのまま、ここで本物の坊さんにでもなっちまったらどうだ」

 桔梗尼は冗談めかしてそう言った。虎丸も冗談めかして笑いながら、けれど本気でそんな人生も良いと思った。

 この寺で桔梗尼に倣って僧となり、家族を偲んで生きていく。そんな将来が、なんだか実感を持って見えた。きっと癒えないであろう痛みなら、いっそ一生をかけて向き合って行けばいいのかもしれない。桔梗尼の下でなら、そんな生き方ができると思った。

 けれど、虎丸の道はそんな将来には繋がらない。

 虎丸の行き着く果てはどうしても、人斬りの業だった。


 もう随分傷口が塞がった頃、ある日虎丸は桔梗尼に連れられて山を下りた。買い物のため人里を目指して。

 痕になり始めたとはいえ、傷を覆う新しい皮膚はまだ薄く頼りない膜で、少しの刺激で破れかねない。全身をぐるぐるに巻いた包帯は解けなかった。桔梗尼は全く気に留めず俎上にも上げなかった金髪だが、町に降りればそうはいかない。手拭いを巻き付けて念入りに隠した。

 そこまで慎重に身支度を整えて、桔梗尼が一緒だと思っても、それでもやはり虎丸にとって見知らぬ他人の居る場所に赴くのは不安だった。だから虎丸は、お守り代わりに鉄丸の形見の手斧を握って行った。

 桔梗尼に手を引かれて山を下り暫く行くと、賑やかな街に出た。大きな街道が近く、活気のある街だった。いくつか店を回り買い物を終えると、桔梗尼はある店の前で虎丸を待たせた。馴染みの店で話好きの店主がおり、時間がかかるかもしれないから、ここで好きに待っていろと言われた。

 とは言えすることもなく、虎丸は店の横の路地に入って、ぼんやりと街並みや人混みを眺めていた。行き交う人の波に、母や妹や義父の面影を探すともなく探しながら、暇を潰した。

 そんな時ふと、ちりりと耳の中が焼けつくような感覚がした。聞き覚えのある声に聴覚が引寄せられていく感覚だ。虎丸は顔を上げる。

 そこに、あの夜の男の一人が居た。普通の町人の様に、人波に混じって女性の肩に手を回して笑っていた。

 怒りや憎しみ、恐怖や悲しみ。そう言う、形のきちんとした気持ちは、とっさには出てこない。真っ先に出てきたのは、驚きだ。純粋で素朴な、正も負も無い、直観に近い感覚だった。

 虎丸は手を握りこんだ。瞼や肩が跳ね上がるのと同じ、体が勝手に生む動きだった。意思も自覚もあったものでは無い。その慄き縮こまった手の中に、あった。

 虎丸に残された、たった一つの家族の形見。要大工棟梁、今は亡き要鉄丸の手斧が。

 虎丸はふらふらと路地を出た。そのまま、人波に流される様に、男の後を追って行った。もう、逆らえない流れに押されて。


 日が暮れかかった頃、男は連れていた女性に袖にされ、飲んだくれた先で町の無頼漢と揉め事を起こして、恨み言を掃き捨てながら追われるように街道へ出た。隣の町へ向かっているらしい。虎丸はその全てを、影のようにひっそりと着いて回り、見て回った。

 男は、自分の後に淡々と付き従う子供に気づくこともなく、着々と町から遠ざかっていく。

 男の歩調に合わせる様に、日が傾いて行く。夜の帳がするすると落ち、たちまち道は暗闇に閉ざされていく。街の明かりが完全に見えなくなった頃には、細い月が頼りない暗い夜が来ていた。宿場と宿場を繋ぐ街道は、人気が無かった。

 暗く広い夜道は、酔って足取りの覚束ない男と、虎丸の二人きりだった。

 誰の目もない。誰の耳も無い。ここで何があっても、誰も気づかない。ここでどれだけ大きな音がしても、どれだけ凄まじい悲鳴があがっても、誰も気づかない。誰も、止めるものは居ない。何も、憚るものはない。

 お膳立てされたかのような、あつらえた様な一幕。そうしろ、と何か大きなものが言っている様な気がした。

 そして虎丸の手の中には、手斧があった。

 

 気が付いた時には虎丸は、地に伏す血塗れの男に跨って手斧を振り上げていた。

 しびれる腕が、冷えて固まった返り血が、その上にまた塗り重ねられた血しぶきの生暖かさが、虎丸が無意識に斧を振るった回数を物語っていた。

 いやに火照った体に反して、心は自分でも驚くほどに凪いでいた。

 男が、血反吐を吐いた。あの日の鉄丸の様に。

 虎丸を見上げるかっぴらいた瞳に、水の幕が張っている。頬を伝う滂沱の涙が、同じく顔を塗り染める血化粧を溶かして流して、酷く醜い有様だった。隙間風のような呼吸をしながら、血痰を泡立てながら、男は乞うた。

「ゆるして」

 虎丸は、少し考えてから、応じた。

「願い事は、どうか、神様か仏様に。俺は叶えてあげられませんから」

 そして虎丸は、男の脳天目掛けて斧を振り下ろした。

 痙攣し、硬直し、やがて弛緩して動かなくなったかと思うと、男はたちまち冷たくなっていく。みるみる失われていく体温を感じながら、虎丸は思った。

 なるほど、そうか、やっぱりか、と。

 碌な物語にも触れず、世相の事件にも通じることなく、山中の狭い村の小さな家に引き篭もって生きて来た、虫も殺したことも無い様な大人しい少年。

 村の大人に、寄って集って虐げられてきた天狗の子。あらゆる暴力に晒されて、それでも今日まで命を落とすことなく生きて来た彼は、殴打や火傷や石打で、人が死ぬとは知り得なかった。

 だから虎丸の知る人殺しの方法は、黒豆や、母や、妹や、義父がそうであったように、滅多斬り以外にありえなかった。その知識と経験は、こうして確信となり果てる。

 そして虎丸は、真面目で堅実な子供だった。いっそ愚直と呼ぶべき程に。

 遅まきながら痛み始めた、男の抵抗によって負った痣を摩りながら。こんな下手じゃ駄目だな、と思うくらいには。酔っ払い一人に、こうもてこずっていたら後が大変だ。練習しなきゃ、と思う程度には。真っすぐで、愚かだった。

 料理には根気が必要だから。鱗を剥いで、腸を洗って、骨を抜いて、泥を削いで、石づきを切り落として、芯を抉って。仕込み、煮込み、炙り、灰汁を取り、とろ火でじっくり。一つ一つを毎日毎日、丁寧に積み重ねることが、美味しさの秘訣だから。

 だから、人殺しだって、同じようにしなくちゃならない。


 そこから十余年。

 その街道には、とある人斬りの名が轟き渡ることになる。誰が呼んだか、宝福通りの人食い虎。数十人の旅人を、執拗に切り刻む残忍な手口。死体の有様たるや、虎の模様もかくやの夥しい傷の数。

 農夫に大工に浪人崩れ、獲物を選ばぬ凶行に、辺り一帯恐怖のどん底へと陥れたその人斬りは、十年足らずの間振るえる限りの猛威を振るったかと思うと、ある日ぱったりと音沙汰途絶え、結局今に至るまで行方知れずのままである。

 そして、そこからそれから遥かに遠く、今傾きかけた藤野屋で、虎丸は語る。

「我に返ると、心許なかった。喧嘩もろくにしたことは無かったから。俺よりでかくて、刃物を持ってて、平気で人を殺せる奴らとやり合うには、俺はあんまり非力だった」

 淡々と淡々と、淀みなく吐かれる言葉は、けれど滑らかに回っているというよりは、斜面を転がり堕ちていく小石のような、徐々に増していく勢いの中で、自分で止まる術を失った止め処なさを帯びている。

「まぐれじゃ駄目なんだ。きちんと残り四人、片付けなくちゃならないんだから」

 一言発するたびに、彼の瞳に暗いものが溜まっていく。

「だからまずは、女性や老人から。小柄で力が弱い人を狙った。何処をどうすれば人がきちんと死ぬのか、知るために」

 静かに彼の箍が外れていく。

「慣れてきたら、奴らと体格の似た若い男を選んだ。この体格差と力量差で、コツをつかんでおきたかったから」

 愛想は無いが甲斐性はある藤野屋の料理人の顔が、控えめで慎ましいけれど時折我儘になる藤野屋の三男坊の顔が、はらはらと崩れ落ちていく。

「次に、刀や農具を持っている奴を襲った。刃物を相手に戦うことに慣れておきたかったから」

 その下から滲み出る様に、人斬りの虎丸が微かに覗く。

「そんなくだらない理由で、結局三人仕留めるまでに、関係のない人を沢山、沢山……巻き込んだ。みんな誰かにとっての、母ちゃんや棟梁さんや花ちゃんや桔梗尼だったかもしれないのに」

 虎丸は顔を上げた。焦点の合わない虚ろな瞳孔が、宙を彷徨う。

「自分がよくよく狂っているのには、うすうす気づいてた」

 車軸の折れた大八車の様に、彼の正気は危うく凄まじく振れていく。

「本当なら、桔梗尼に出会えた時点で、救いの手なら十分だったはずなんだ。復讐なんかに意味はない。そんなことより、一心に冥福を祈って暮らした方がよっぽど、母ちゃん達の為だって言えたはずだ」

 それでも、振り切れていないから、痛々しい。

「でも俺は、結局踏み外した。踏み止まれなかった。桔梗尼に出会えていたのに」

 その真っ当さは鋭利だ。心を中から切り刻む。

「あれは、復讐なんて上等なものじゃない。ただ俺は、何とかしたかったんだ。あいつの顔を見て斧を握った時に、母ちゃん達を思い出した時に、酷く軋んだこの辺りを、何とかしたかっただけなんだ」

 虎丸は、自分の胸倉に爪を立てる。そこに、杭でも突き刺さっているかのように、苦しそうな顔をして。

「殺意って言うのは、綺麗な墨だ。大事なことが良く見えなくなる。簡単に楽になれる。でも甘い毒だ。切れるとたちまち気が振れそうになる。逆に人殺しをしていないと、墨が薄れ始めると、堪らない気持ちになるんだ。一瞬置き去りにした酷い気持ちが、後からいっぺんに来る。いつの間にか、それを忘れる為に、もうなんか、なんでも良いから、殺したくなる」

 その正気じみた言い分が、一番狂気じみている。

「駄目だって思えた。四人目の仇を殺した時に。このまま行ったら俺は、きっと最後の一人を殺しても止まれない。居場所は分かってた。十分にやれた。でも、俺はそいつを殺さなかった。殺してしまったらお終いだと思った」

 それはなんだか、崖っぷちで踏みとどまったというより、完全に落っこちたものの岩肌半ばで引っ掛かった様なものだろう。間に合ったというには手遅れで、けれど、お終いというには中途半端な宙ぶらりん。

「それから数年は、ぼんやり待った。最後の一人を残したままだから、そいつ伝いに追手が来るかもしれないと思った。でも誰も来なかった。今でも少し、見つけてもらえなかったと思う。見つかる勇気もないくせに」

 そこは一番不安定で、一番安らぎから遠い場所ではなかろうか。

「馬鹿なことをしたって、毎日思う。どうかしてたんだって思う。でも、じゃあ今はまともなのかって言われたら分からねえ。自分のしていたことが信じられねえが、そう思っている今の自分も信じられねえ」

 正気ではないが、狂気でもない。善良なまま悪人になり果てて、崖の半ばで、これから自分が落ちていくのかもしれない暗い淵を、見つめ続ける。

「人を殺さなくなってから、ずっと眠るのが怖い。人を殺してしまったあの日から、いや、母ちゃん達が居なくなったあの日から、安心して眠れた夜なんて一度も無い。こんなことなら」

 往くことも引くこともできなくなってしまえば、考えることは皆一つだ。

「いっそあの時、母ちゃん達と一緒に死んじまえばよかった」

 虎丸は、自嘲する様に皮肉る様に祈る様に願う様に、そう絞り出した。

 しんと落ちた静寂が、人斬りの語りが終わったのだと示している。

「……きっと」

 久しく訪れた沈黙に、真っ先に口を開いたのは龍之進だった。

「きっと、死に損なったことも、俺らの罪のうちなのだろう」

「……違ぇねえな」

 その言葉に、虎丸は痛みを堪えるような顔で笑った。

 そんな二人を見て、蛇介は眉を顰めて吐き捨てる。

「辛気臭ぇこと言ってんなよ。死んで花実が咲くもんか。生きてりゃ、それだけで儲けものだろ」

「死んで花実は咲かずとも、生きた挙句に散らすよりはましだろう」

 龍之進の思いがけない無感情な声色に、蛇介はすこし呆気にとられる。

「……んだよ、それ。らしくねえな」

「らしく?」

 龍之進は、底知れない目を少し眇めて呟いた。

「俺らしいとは、なんだろうな」

 蛇介は口を尖らせ、じろりと目の前のくすんだ金を眺める。

 むかついたからぶっ壊す、むしゃくしゃしたから手あたり次第。そんなことを、うじうじと気に病んで馬鹿らしい。まあ、この男はまともだったのだろう。動作のおかしい絡繰りのように成り果ててはいるけれど、少なくとも生まれついては。そんなこと、なんて思う蛇介よりは幾分と。

 一狼は、気まずい空気など知らない様子で、悠然と尾を振って立ち尽くす三人の足元をすり抜けると、彼らを見上げた。きらきらと無邪気な仔犬の顔で、全てを貫く様な瞳で。

 蛇介は、暫く考える。

 まともで優しい人間であったことで、虎丸が幸せだったとは到底思えないけれど。いっそ人の臓物を浴びて、愉快愉快と笑えるくらいに乱心してしまえば、その方がよっぽど楽だったろうと思うけれど。

 まあいいだろう。多少壊れて、相当不具合を来たして、それども止まりきれずに死に損なって。

 蛇介は笑う。頬が避ける程に口の端を引き上げて、形が崩れる程に目を弧の字にして、細面の整った顔を、これでもかと歪めて笑う。

 人斬りの狂気と山賊の底知れなさに、詐欺師は自己本位でもって応じた。

「湿っぽい過去なんて、お前の話じゃなかったら、『興味が無い』で終わりの話だ。だが、それがあったからお前らがここに居るって言うなら、俺はそれを『めでたい』と思うおう。例え、何人死んでいようが、殺していようがな」

 虎丸が人殺しで自分勝手で狂ってて、過去を悔いては辛そうだ? いいじゃないか。死人なんて死なせておけばいいし、虎丸は永遠に苦しませておけばいい。それで、藤野屋のこの楽しい日々が成り立っているというのなら。

 正しさよりも大切なものがあって良いと、蛇介は知ったばかりだ。眠るのが嫌いと言うなら、一晩中金でも数えて、食材を仕込んで夜を明かせばいい。

 虎丸と龍之進は、ぽかんとして蛇介を見た。そして、龍之進は思い出したかのように笑って言った。

「そうだな。どう言い繕ったところで、結局こうある俺らが変わる訳でもあるまい」

 対して虎丸は、暫く圧倒されたように呆けていた。けれど、足元でこちらを見上げる一狼に気づいて身を屈め、その頭をくすぐる様に撫でてから、虎丸は深く息を吸う。そうして、顔を上げた男は、やっぱり気の振れた人斬りで、悲しみに暮れた天狗の子で。

「お前ら本当に碌でもねえな」

 言葉とは裏腹に嬉しそうに笑った彼は、けれど藤野屋の虎丸だった。

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