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この日文化祭だった僕らは、学ランではなく私服をきていた。
学ランでタバコを買いに行こうなんていわれたらさすがに躊躇してしまうからね。
ハスミンはシンプルなグレーのセーターとデニムのパンツを合わせていて、僕は、パープルのアイスホッケー用ジャージとダボダボの太いパンツをはいていた。
上野のアメ横で買ったもので、とにかくデカくて太ければなんでもよかったんだ。
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僕はファッションというのがこの上なく苦手なんだよ。
勘弁してくれよな。
一度、新宿駅で優子と待ち合わせをしていた時、このアイスホッケーのジャージを学ランの下に着ていたんだ。
そしたら通りかかった欧米系の外国人たぶんカナダ人だと思うんだけど、ドドドドってジョジョも驚くくらいの形相で寄ってきた。
あまりにマジな顔で近寄ってきたから、僕は圧倒されて改札の近くだっていうのに冷凍マグロみたいに硬直してしまった。
彼はジャージを指差してから
「ぐっ!」って両手でこれでもかってくらいサムズアップした。
「Oh God!Awsome!」
みたいなそんな感じのことを言っていたよ、このジャージは彼の地元チームのもので彼は熱心なファンなのかな。それとも実は彼の従兄弟がこのホッケーチームの正キーパーで、そのユニフォームをこんな極東の国のダンジョンのような駅中で発見して驚いているのかな。
僕にはわからないけど、彼がものすごく興奮しているのは理解できた。
興奮したことがすこし恥ずかったようで、彼はすぐ立ち去った。
僕はというと、何か自分が良いことでもしたかのようにちょっと嬉しくなったんだけど、正直な話、僕はホッケーのことなんて1mmも知らないんだ、情けないくらいに。
僕に嬉しくなる資格がないことが寂しくて、ルールとチーム名くらい知っておけばよかったって本気で思ったね。
僕がこのジャージを”ただデカくて太い”だけで着ているってことを彼に説明せずに済んでよかったよ、冗談抜きで。
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ハスミンと好きなバンドの名前を言い合いっこしながら、裏ルートを歩いていた。
ハスミンが「スピッツ」って言った時、道路の反対側に古い酒屋を見つけたんだ。
スピッツって良いよね。
少し汚れていたけど「リカーショップ上原」って看板が出ていて、店の前に瓶ビールがケースで山積みにされていた。ほとんどが麒麟ビールだった。
「たぶんここにあるよ。」
ってハスミンが言うんだけど、僕はタバコを買ったことがなかったから
「ふーん。」
と答えるしかなかった。
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酒屋に入ると、ジャンパーをきた50くらいの店主がレジに立っていた。
いらっしゃいも言わないし店のごちゃごちゃ具合からしてあまりお客さんを気持ちよく迎える気はないらしいけど、それを隠す気がないってところがかえって僕を気持ちよくさせてくれた。
だってさ、渋谷のパルコなんかに行ってごらんよ、店はキレイだし洋服屋のお姉さんたちは「いらっしゃいませ」なんて一日に500万回くらい言ってるけどさ、僕は気持ちよく迎えられたなんて思ったことはないよ、一度もね。
レジの近くにタバコが透明ケースに並べられていて、ぜんぶで100種類くらいあったと思う。
初心者にとっては選択肢が多すぎるような気がしたけど、僕はケースに近づきハスミンにどれにしようかなんて聞いた。
いかにもタバコを普段から嗜んでいますよみたいに、自然な感じでね。
自然に振る舞おうとしていたんだ。普段からタバコを嗜んでいる人は、
「タバコ、どれにする?」
って買う直前に言わないんだけどさ、それは後から知ったんだよね。
「これにしよう。」
ってハスミンが指差したのはマイルドセブンの1ミリで、
「一番軽くて初心者向き」なんだって。後で教えてくれたんだ。
もっとも軽いマイルドセブンを指差し
「これ、一つください。」
と言いながらレジ横にあった百円ライターもカウンターに置く役目は僕が担った。
僕は背が高かったし、店主に質問をさせない程度に大人びて見えていたと思うんだ。
実際には店主は僕らになんの興味もなかったから、例えハスミンでもすんなりタバコは買えたと思う。
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僕は財布から千円札を取り出して、レジカウンターにおいた。
お釣りを受け取ると、さっさと店を出た。
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「さーて、ハスミンよ。教えておくれ、どうやってやるんだい?」
再び歩きながら僕はやがてくる初体験にいささか浮き足立っていた。
「吸いながら火をつけるんだよ。ゆっくりと吸いながら。」
タバコの箱に巻いてあるビニールを取り除きながらハスミンは答えた。
こんな感じだよと、ハスミンがタバコを一本、箱から取り出して軽く咥えた。
立ち止まり、買ったばかりのライターをカチカチと着火すると、小さな青い炎をタバコの先端に近づけた。
ハスミンのほっぺがしぼみ、タバコがポカポカとしたオレンジ色の光を放射しはじめた。
ハスミンは吸うのをやめてイの形で呼吸の折り返し地点に着くと、フーっと細くて白い煙をウの形をした唇から吐き出した。
自由で奔放な煙は一定の方向にコントロールされ、ご主人様に従順なペット犬のようにハスミンの周りをまとわりつき、それはとてもクールに見えた。
「おぉー。君は悪い子だ!」
僕はちょっと歓声をあげた。
「あはは、はじめてならあんまり吸い込みすぎないほうがいいよ。慣れるまで肺にいれないでもいいし。」
ハスミンはニヤニヤしながら、火のついたタバコを僕によこした。
僕は、煙を緩やかに立ちのぼらせて暖気運転中の蒸気機関車のような短いストロー状の白い棒をちらっと見た後、フィルター部分を軽く唇に当ててみた…
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「タバコもだいぶ慣れたな」と思いながら携帯の通知画面を確かめてみた。
キムからの返信もハスミンからの返事もなかったから、なにか漫画でも読もうかと思って席から立ち上がった。
壁一面の漫画棚をなぞり海のトリトンを探している途中で、「G戦場ヘヴンズドア」という題名の漫画が目に入った。
英語も漢字もカタカナも含む贅沢な題名がなんとなく気になったんだよね、全巻と言っても3巻までしかなかったけど、右手に取った。
3巻じゃ物足りない感じがして、近くにあった「Get Backers 奪還屋」という昭和臭のする漫画を一掴み左手で取って席に戻った。
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「G戦場ヘヴンズドア」はいい漫画だった。
もし僕が男友人の部屋に初めて訪れた時、その本棚に「G戦場ヘヴンズドア」の全巻、3巻だけだけど、を見つけたのなら僕はここにきてよかったと思うだろうし、君が「なんだがいい漫画が読みたい気分なんだ。」と聞くなら間違いなく「G戦場ヘヴンズドア」をおすすめするだろう。
この漫画は女の人が書いているんだ。
女性が描く少年漫画なんて、偽物と思うかい?
彼女らの人生には、少年時代はなかったかもしれない、
でも僕は偽物とは思わないな。
少女はいくらでも少年になるし、少年は限りなく少女のようになるからね。
だいたい、女性の書く少年漫画に当たりが多いことに君はとっくに気づいているはずだ。ヒロインがラリっていない漫画は読みやすいからね。
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6、7冊の漫画を読んだあと少し目を休めようと思ったら、いつの間にか眠ってしまっていた。
のそっと起きて時間をみたら、3時間くらい経っていた。
コーラとタバコのせいで口の中がヘドロを噛んだように気持ち悪かったから、ドリンクバーで水をとりトイレでうがいをした。
席に戻り、タバコに火をつけて、リクライニングチェアに深く体を沈めてみた。
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僕はゆっくりと煙を吐きながら、フローレンス・ナイチンゲールのことを真面目に考え始めた。
一人でタバコを吸ってると、突然大事なことを思いつき、ずっとそのことについて考えずにはいられないことってあるだろう?
日本で売られているタバコには、一本一本に”インスピレーションの素”みたいなものが混ぜてあって、脳を刺激するんだ。
マジな話さ。
日本の高度経済成長はタバコによるドーピングの成果と言ってもあながち間違っていない。
インスピレーションの素は200億種類くらいあって、自由ってなんだろうとか、星をテーマにした曲のベースラインはどんな風なんだろうとかさまざまなんだけど、この時の僕のマルボロメンソールに入っていたのは、元祖本物の看護師ナイチンゲールの顔だった。
写真の顔ではなく、児童向けに美化され学習マンガに書かれた彼女のそれだった。
フローレンス・ナイチンゲールについて考えるのが僕は好きなんだ。
いやいや、ちん毛がないことはどうでも良いんだよ。
イギリス男性の半数以上がちん毛を剃っていることを君はなんで知っているんだい、僕は知らなかったよ。
ナイチンゲール家はさ、全員陰毛も生えないくらいお金持ちでだったんだ、トム・ブキャナン並にね。
親から「働きたい?人の役に立ちたい?お前は気が狂ってるのか!」って怒られるチート級の豪邸に生まれて、それが我慢ならず体を壊してまで「看護の勉強がしたい」と反発して、最終的には世界で初めて本物の看護師になるわけだ。
なる、と言う表現はおかしいかも。
看護師を看護師たらしめたのは彼女だ。
フローレンス・ナイチンゲールがブレーキのぶっ壊れた天使じゃなければ、この世にマトモな看護師なんて存在しないからね。
なぜ働く?とかなぜ勉強する?とかなぜ生きる?みたいなこどもの問いに、彼女は正直に答えることができた。
たとえば君が空や大海原を眺めていると心が癒されるように、僕は彼女の宇宙に圧倒される。
僕の小さな心の器を広げてくれる気がするんだ。だからね、フローレンス・ナイチンゲールについて考えるのは好きだ。
タバコを吸い終わった・・・・・
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