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でも、そのおかげで通学路には僕以外に高校生はいなかった。
この事実が僕の気分をすこぶる良くしてくれたよ。
学校の最寄り駅は上石神井駅ってところで、駅から校門まではまっすぐ伸びた一本道なんだ。
バスが2台すれ違えるくらいの道路幅なんだけど、通学時間には1800人もの高校生がその道を歩く。
電車が到着するたびに、高校生がゲロのように改札口から吐き出され、それが道路に溢れる。
その酸っぱい匂いと言ったら。
通学路は地元バスのルートにもなっていたから、バスとゲロが並走したりすれ違ったりしながら進むのが上石神井駅の朝の日常風景だった。
「通学路にしては危ない気もするのですが」
なんていう親もいたよ。
でもさ、もし君がバスの運転手だったらと、想像してみたことがあるかい?
毎朝、お客を乗せたバスをゲロ踏まないように運転しなくてはならない。
ゲロに意志はない。
バスが通りやすいようにと避けてくれるなんて気の効いたことはできない。
ただ流れるだけ。
WAという便器に向かって流れるだけだ。
でも、君はそれをけっして踏んではならない。
なぜなら上司に
「おい、こんなにバスのタイヤを汚して!もう2度とバスの運転はさせんぞ!」とこっぴどく叱られてしまうからだ。
なんなら逮捕されるだろう。
幼いころ夢見た「バスの運転手さん」の仕事の本質が、実はゲロよけだとは知る由もない。
今日も、明日も、明後日も、平日限定で。
定年の時には涙を流すだろう、
「あぁ、やり切った!俺は避け切ったのだ!あのゲロを!」
とね。
僕はそんなバスの運転手を心配していたんだよ、本当の話。
でも僕にできることといえば、ゲロをちょっと減らすために別の便器に向かうことくらいだった。
電車には乗り遅れてしまうのだけれど。
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通学路の途中にほとんど店はなく、高校生が歩いていて「おい、ちょっとあそこ寄っていこうぜ」なんてセリフは絶対に聞こえてこないような通学路だった。
言い訳のようにマクドナルドはあったけど、マクドナルドのない駅なんて当時のTOKYOにはなかったんだ。
地元住民は、高校生たちが校舎内もしく駅構内になるべく早く到達することに本気だった。
僕と同じくらいバス運転手のことが心配だったんじゃないかな?
本屋や大手コンビニが新規出店しようものなら陰湿なイジメによりことごとく排除され、残されたのは駐車場と信用金庫と写真屋さんくらいだったよ。
高校生は、駐車場も信用金庫も使わない。
もちろん写真屋さんもね。
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僕はその駐車場だらけの通学路を下を向きながら歩いていた。
側溝に詰まった落ち葉をみていて、とても穏やかで落ち着いた気持ちになっていた。
でも、文化祭でやるときまったバルーンアートについて思い出して、急にUターンしたくなった。
文化祭の出し物がバルーンアートに決まってしまえば、どんなに上を向いて生きてきた日本男子だってたじろいでしまうよね。
WAの文化祭では、各クラス1つ出し物をすることになっていたんだけど、僕のクラスはバルーンアートと、先日決まったばかりだった。
文化祭に来た女の子を教室までエスコートしたら風船でなにか作りながらお話をしたりするんだってさ。
素晴らしい企画だよ、ホントに。
僕は自分が幼稚園児のころ、レストランで風船で作られたイヌをもらってさ、帰る途中に割れてしまったんだ、その時の不機嫌な顔を僕の親はかわいいとでも思ったのか、写真に残していた。
そんなことを思い出したよ。
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本気で引き返そうかとも思っていたんだけど、僕には登校しなくてはならない理由があった。
と言うのは、ハスミンに借りていた本を返さなくてはと思っていたんだ。
ハスミンはクラスメイトで、数少ないまともな高校生だった。
だって、自分はここに居てはいけないっていう顔をいつもしていたんだもの。
とても優しいやつで、君がとてもむしゃくしゃしていて「このくだらない世界をぶっ壊そうぜ!なぁ、おい!手始めに埼京線で痴漢狩りでもしよう!」って半分本気で言っても、きっと「あはは、いいね」なんて言ってくれて、すっかり毒気を抜かれた君は世界を破壊するのは明日でいいやなんて思っちゃうんじゃないかな。
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あまり軽くはない足取りでようやく校門についた。
校門を抜けると、校舎までは木で囲まれた道があって、いわば異空間へのポータルの役目を果たしている。
葉や枝が邪魔で周囲の建物も見えなくなり、前面にある薄汚れたWAの校舎しか目に入らない。
「ようこそ!学徒たちよ。さぁ、ここを抜ければ歴史と伝統あるキャンパスがお待ちぞよ!」
という演出がされている、見事なもんだよね。
僕はここを通るたびに何度ワクワクしただろう、ほんと。
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校舎に入ってすぐに右側に1学年分、ざっと12クラス分の教室が並んでいて、一番手前は2年A組の教室だった。
僕は2年A組だったからそこへ入ればいいんだろうけど、そこで僕が何をしたかというと、A組を通り過ぎて学食に行って「銀チョコロール」を買いに行ったんだ。
どういうわけか僕はそういうことをしてしまうんだよ。
遅刻をしているんだからすぐにでも教室に入ればいいのに、わざわざ寄り道をして、しょうもない菓子パンを買ってからじゃないとあの教室には入れないんだ。
学食のおばちゃんたちには
「あら、遅刻?もっと早起きしなさいよ」
なんて言われちゃったけどね、勘弁して欲
しいよ。
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1時間と12分ほど遅刻して、ようやく僕は教室のドアを開けた。
誰が選んだのか、男子高校生にピッタリなブルーのパステルカラーで塗られたドアを入ると、50人の生徒と一人の教師が小さな教室に閉じ込められていた。
「おはよう、紺野さん!」
席に着くなり、隣席のツルが小さな声で挨拶してくれた。
「おはよ、ツル」
「今、数Ⅱの37ページですよ。」
なんて教えてくれたんだけど、僕のカバンにはハスミンに借りた本しか入っていないんだ。どう答えていいかわからなかったから、正直に言ったよ。
「ありがとう、でも教科書は持ってきてないんだ。忘れてしまったよ。」
「えー、紺野さん、それはだめですょー。うふふふふ」
「悪いけど、必要になったら見せてくれないかな」
「いいですよ。うふふふふ」
僕はカバンを机の横にあるフックにかけた。
教科書とノート以外乗せることを許さない小さな机も、パステルブルーだ。
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数学の教師は、近藤 務(ツトム)先生という名前で、年齢はおそらく70近いんじゃないかな、遅刻した生徒を無視すると言う点においてはベテランの域に達していた。
残念なことに、務を”ム”と読むとコンドームになることが発見されて以来、生徒の間でコンドームだった。
風船といいコンドームといい、ほんとにゴムの好きな学校なんだよね。
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「おい、ツル、ハスミンはどこだい?」
僕はハスミンの席が空いていることに気づいていた。
「あら、どうしたんでしょう。まだ来てないみたいですね」
苦労して登校したのに、やれやれだよね。
僕はつけっぱなしだったマフラーを枕にして机の上で寝る体勢になり、ちょっと一息ついてからポケットの携帯電話を取り出した。
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ハスミンのヤロウに文句のメールを送るつもりだったんだ。
その時僕が持っていた携帯はパカパカという機種で、スマホとはちょっと違うんだ。
人類の叡智を集結させたような携帯で、「決定キーを押すこと以外やることがない」ゲームがメインコンテンツだった。
最近は「放置」するゲームが主流だから、大して違いはないんだけどね。
この携帯は折り畳み式で、使うときには開く必要があった、パカっと。
骨董品の説明は毎回必要かい?
まぁ僕としてはどちらでもいいんだけど、気になるじゃない。
もし君が六分儀を出して自分の位置を確認しようとしている時に誰も「おい。一体それはなんなんだい?」と聞いてこなかったら、自分がおかしいのか?と思ってしまうんじゃないかな。
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携帯を取り出すときに、メール通知が光っていることに気づいたんだ。
なにかとても嫌な感じがしたんだよ。
まぁ携帯の通知が光って、よかったなんて思った試しはないんだけどさ。
パカパカだろうがスマホだろうがね。
メールは優子からだった。
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優子は僕のガールフレンドってほどじゃないんだけど、同じ中学で仲がよかった。
中学1年生の頃から彼女は僕のことを気に入ってくれていて、僕も彼女がくれる手紙が好きだった。
とてもキレイな字で手紙を書いてくれるんだ。
僕の名前を何度も書いてくれる。
君だって優子のキレイな字で書かれた手紙をもらったら、自分の名前が登場するたびにまるで自分の名前が最高級の洗剤で洗われているような気持ちになると思うよ。
手紙の内容が、
「紺野くん、今日いっしょに帰ろうよ。恋人つなぎで手をつないでさ!」
とか
「紺野くん、ブカツ終わったら一緒に帰れる?ルミと時間つぶしてるから」
とか、
とにかく一緒に帰ることばかりだとしてもね。
中学生の男女なんて、手を繋いで一緒に帰るか、キスするかくらいしかすることないだろう?
彼女はキスをするのが好きだったから僕らは何度もキスをした。
誰にも見られないように、マンションの駐輪場だったり信用金庫の駐車場だったり、そんなところで。
本当はいけないんだろうけど、我慢はできないと思うんだ。
前にもいったけど中学生の欲は底無しだからさ。
一度、駐車場でキスをしていたら、コンクリートブロックからのぞいているオバさんと目があった。
興味津々の目でギョロギョロ見られたけど、それでもやめなかったからね。
ほんとに自分のそういうところが信じられないよ、まったくね。
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優子は、小4の頃からずっと髪の毛が長い子だったんだけど、中学3年生の時にバッサリと切った。
ボブって言うのかな。なんて言えばいいのか、僕ははっきりとはわからないんだけど、女の子たちが
「きゃー優子、別人みたいっ!ちょベリグ〜!ハロプロいけるんちゃうん?!」
なんて盛り上がってたな。
モー娘に入れるかはわからないけど、要は他の女の子たちがそんなことを言っちゃうくらい、似合っていたのは間違いないね。
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彼女が髪の毛を切った翌日に、僕は優子に
「一緒に水族館に行かないか。」
と誘った。
「いいわよ、でも門限があるの。知ってると思うけど。」
彼女には門限があるんだ。夜の8時までに帰らなければならなかった。でも中学生の門限が8時って遅いよね。
「じゃあ近場にしよう。池袋のサンシャイン水族館でどうかな。」
「うん、嬉しい。」
次の金曜日、僕らは人工的に涼しくて人工的に暗い水族館の中にいた。
ずっと手を繋いで。キスを何度もして。
優子は、スレンダーと言える体型ではなかったし背も高かったんだ、抱き合う直前ってくらい近くに立っていると、僕の顎が彼女のおでこに当たるくらい。
切りたてのボブだかなんだかの髪型は、上から見てもとても大人びてみえた。
180cmくらいの僕と並んで歩けば、大人のカップルに見えたんじゃないかな。でも僕らは実際には中学生だったから、手をつないで一緒に帰った。
優子を家まで送った時、8時15分だったけどね。
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高校に上がっても優子は・・・・・
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