昔とは違う
家に帰ってシャワーで血を落とし、湯船に体をつけて血の臭いを取り去る。
風呂の中では血の臭いが充満していた。
髪にこびり付いた血が髪にかけたシャンプーと混ざり合い、赤く染まり、排水溝に流れていく。
それをシャワーで洗い流した時に不意に鏡に映る自分の姿を見た。
体中、傷だらけで腹部の辺りには銃創があり、最早、満身創痍な体と言えるだろう。
生傷が絶えない仕事をしているのだから、当然と言えば当然だ。
それに後悔はしていない。
そう言った傷を負って救えた命は確かにあったので寧ろ、勲章だと思っている。
ただ、鏡に映る自分の顔を見ると不意に昔の事を思い出す。
「本当に……酷い顔になったね」
昔を懐かしむようにそんな言葉が漏れた。
兵士になる前のアリシアは介護士をやっていたただの戦争難民だった。
ロシアのサランクスと言うところに住んでいた戦争難民2世だったのだ。
その時の自分は人間好きで人に対して好感を持っていた。
あの時の自分はまだ、無垢な顔つきをしていたと思う。
だが、今はその成りは潜め、戦士のような怜悧な顔つきに変わっている。
色々、あり過ぎたのだ。
兵士になってからのアリシアは人間の醜いところをこれでもかと言う程に多く見た。
そのせいで人間の事が嫌いになった。
昔の自分がいるなら「人間なんて全然面白くない」と一蹴してぶん殴っていると思う。
それほどに自分は変わってしまった。
友人は基本的なところはそんなに変わっていないと言うが実際、アリシア自身には分からない話だ。
少なくとも兵士になって昔のままの自分ではいられなかった。
色んな苦難や迫害を経験して、地獄の様な日々を送ってアリシア・アイと言う人間は一度は死んで、壊れてしまったのだ。
自分は女神であっても人間としてはどこか破綻しているのだ。
普通の常人なら今の人間を見れば、さっさと皆殺しにしようと考えるだろう。
なのに、自分はそれをしないのだ。
どうしてか忍耐してしまうのだ。
何故、なのか?
もし、問われるなら「不憫だから」とでも答えるだろう。
人間とは、元々どんな世界でも3次元の世界に生まれると言う事は監獄に入れられているのと同じなのだ。
人間が覚えていないだけで監獄に入るに値する事をしたのだ。
だからこそ、神が人間に対してやって欲しい唯一の願いがある。
それは“悔い改める”事だ。
結論を言えば、悔い改めをしない人間は地獄と言う名の低次元に落ちる。
3次元世界から2次元世界に降格すると思えば良いだろう。
そこには3次元ほどの自由はない。
この苦痛の言葉にするなら1cm四方の箱の中に肉体を押し込められる苦痛を味わう場所と言えば良いだろう。
人間は“悔い改め”をしなければ、そこに向かうのだ。
だから、アリシアと言う女神はそれを“不憫”に思うので人間が悔い改めるまで“忍耐”して待ってしまう。
自分の不幸や辛さ以上に“不憫”である気持ちの方が勝っているからだ。
地獄で長い間修行した自分だから、分かるのだ。
あそこにはどんな理由があっても行くべきではないと。
それでも限度があり、偶に人を積極的に殺す事があっても基本的にアリシアはそのように考えて“忍耐”するのだ。
だが、“忍耐”できるからと言って人間の嘲りが辛くない訳ではない。
だから、人間の事が嫌いでもあるのだ。
「あの頃は本当に……若かったな」
老けた人間のような事を言ってしまう。
実際、アリシアはまだ、若いがそう思えてしまうほどには濃密な人生を歩んだ。
アリシアの人生の半生は“苦難”か“迫害”が多く付きまとったのだから……女神とは、神とは決して、人間が想像するような安楽な立場ではないのだ。
きっと、女神を自称して“崇めなさい”だの“持て成しなさい”だの“甘やかしなさい”だの言っている女神がいるなら、そいつは偽物だ。
昔、水の女神を名乗る駄女神をテーマにしたライトノベルを読んだが、あんな女神がいた場合、神の品位を貶めた者として始末リストに名前が載るだろう。
少なくとも悪しき邪神に違いない。
そんな女神ともし、出会ったらすぐに殺そうとする自信がある。
そんな女神は屑神ベビダと同類だ。
神を舐めている奴に関してはアリシアは一切、慈悲を与えるつもりはない。
それほど、神として歩む人生は濃密で……そして、代え難い仕事なのだ。
だから、この仕事が辛くてもやめようと思った事はない。
「まぁ……色々、あったけど、良い人生だよね」
色々、辛いが自分は幸せな方だと思う。
何故なら、世の中には抵抗したくても抵抗できない人間もいる。
なのに、アリシア自身には抵抗する力がある。
それだけでも自分が十分恵まれていると考えるに値する。
思わず、そんな感慨に耽るひと時だった。
◇◇◇
アリシアは風呂を出てタオルで体を拭いた。
すると、そこから声が聴こえた。
何事かと思い、体を拭いてGパーンとTシャツ姿で窓の外を見た。
すると、そこには憎悪に満ちた顔でこちらに怒鳴り込み、家の鉄の柵を破壊しようとしている民衆がいた。
皆は口ぶちに言うのだ。
「この異端者が!」
「よくも教会の騎士を殺したな!」
「わたし達が神呪われたらどうする気だ!」
「異端者を排除しろ!」
「悪魔を殺せ!」
どうやら、教会の騎士を皆殺しにした事に反感を持たれているようだ。
それも当然と言えた。
この町にはベビダ教徒が殆どだ。
神の使徒とも言える教会の騎士を殺したとあってはタダ事ではない。
仮に領主の命令で町の防衛の為であったとしても……それが彼らを守る為であったとしても……死んですらいない彼らにとっては所詮は他人事なのだ。
命を守って貰った事への感謝よりも自分の不安や不平不満が先行してしまう。
それが人間と言う生き物だ。
「全く、本当に飽きないよね……」
アリシアは呆れていた。
一体、何度この光景を見れば良いのだろうか?
流石に少しばかり嫌悪感を抱いてしまう。
守ってやった。
そのように言うつもりはないが、それでもこんなに悪意を向けられると守った甲斐がない。
なんで、こんな人達を守ったのだろう。
そのように考えてしまう。
やはり、人間とは醜悪だと何度も思ってしまう。
彼らは屋敷の柵を破壊しようとしたが破壊できないと分かると少しずつ数を減らし、屋敷の前から姿を消した。
「ようやく、静かになったね」
アリシアはそのまま部屋に戻ろうとした。
まるで人がいなくなったのを見計らったように1人の少女が家の門の前に現れた。
その少女にも見覚えがあった。
「あの娘は……アルテシア?」
かつて、自分が助けたアルテシアが門の前にいた。
彼女は胸に花束を持っていた。
彼女は門の前で気恥ずかしそうにしていた。
アリシアは害気がない感じだったので外に出た。
アリシアが出るとアルテシアは笑って大きく手を振った。
「アリシアお姉様!」
何故か、いつの間にかお姉様になっていた。
理由は分からないが慕われているらしい事は分かった。
アリシアは門を開けるとアルテシアは走り寄って来た。
そして、花束を突き出し頭を下げた。
「町を守ってくれてありがとう!」
アルテシアの真っすぐな気持ちが心に沁みる。
そこには邪悪な感情は無く真っ直ぐ感情をぶつけて来た。
アリシアは腰を屈め、花束を受け取った。
「ありがとう。アルテシアさん」
「アリシアお姉様。わたしの事は気安くアルティで構いません!親しい者はそのように呼ぶのです。」
「そう?なら……改めてありがとう。アルティ」
アリシアも自然と微笑み返した。
自分の事を認めてくれない人は多い。
でも、僅かではあるが自分の事を認め、慕ってくれる者がいる。
それが何より嬉しい。
「あなたは強い子なのね。アルティ」
アリシアは素直に思ったままを口にした。
「そんな事、ありません!わたしはアリシアお姉様ほど強くありません。ワイバーンに弄ばれて半殺しに遭ってしまうような者です。アリシアお姉様のような強い聖女様に強いなんて言われるのも烏滸がましいです」
そう言った肉体的な意味で強いと言ったつもりはないのだが、彼女くらい幼いとどうしても、目に見える強さで判断してしまうのだろう。
それは仕方がないと思う。
アリシアが言っている本質を今は一部も理解出来ないだろう。
だが、それでもこう言った娘だからこそ、アリシアも伝えたい事がある。
「いえ、あなたは強いわ。今は分からないかも知れないけど、いつかそれがわかる日が来るはだから、あなたはその素直さを忘れては行けません」
「素直さ?」
「素直の気持ちを正直に伝える事です。」
「素直な気持ちを正直に……うん、わかった!」
アルテシアは笑顔で答えた。
そして、何か吹っ切れたようにアリシアに懇願した。
「アリシアお姉様!わたしを弟子にして!」
「ふぇ?弟子?」
「はい、弟子です!」
何故、ここで唐突に弟子になりたがるのかと言う疑問が浮かんだ。
「何故、弟子に?」
「わたしはあの時、お姉様に助けられました!今でも虚ろながら覚えています。あの凶暴なワイバーンやドラゴンを相手にたった1人で挑まれるなんて、まさしく、勇者に相応しい。わたしはそんな方に教えを乞いたいと素直に思いました。最初はそれすら烏滸がましいと思いましたが……お姉様が素直になれと言われるから、素直に打ち明ける事にしました!」
どうやら、アリシアの言葉で吹っ切れたようだ。
そのように言われるとアリシアも「NO」とは言い難い。
彼女なりに懸命に考えて、アリシアの言う事を懸命に守ろうとしている。
そのやる気を挫くような事をここで言うべきではない。
彼女の事を想うなら尊重すべきだと思った。
「その事はハーリ様……お父さんには相談した?」
「いえ、自分で決めました。自分で決めないといけないと思ったので……お父様には何も言っていません」
この様子をみるに彼女は初めて自分の意志で物事を決めたように見えた。
相談して決めるべきだとは思った。
何分、アリシアは迫害される立場だ。
アルテシアにもその害が向かう可能性もある。
だから、できればハーリと相談してから決めて欲しかったのはアリシアの気持ちとしてある。
だが、同時に彼女が自立しようと藻掻いて、その人生で初めて選んだ選択を自分に向けてくれたのだ。
これを無下にはできない。
自分の周りにいる事で迫害されて失敗するかも知れない。
だが、失敗も経験となる。
失敗しない人生なんてない。
やはり、彼女が自分で選んだ道をここで挫くのは阻まれる事だ。
だから、アリシアもその気持ちに応える事にした。
「分かった。良いよ」
「ほ、本当ですか!」
「うん。本当だよ。なら、早速始めようか?」
「い、今からですか?」
「そうだよ。良いですか?わたしがあなたに最初に教える事があるとするなら「いつか、いつか」と問題を先送りにしてはいけません。やると決めたら「今」しなさい。人間とは明日の事すら分からない生き物なのです。明日を誇る事は人を堕落させます。そのような者ではとてもではありませんが強い敵とは戦えません」
ここだけは仮に子供であっても譲れないのでハッキリと伝えた。
そう、人間とは「明日を誇る生き物」なのだ。
明日、どうなるかも分からないのに問題を先送りにするのだ。
そうやって、“悔い改めない言い訳”を並べて死んだ者達が前世では多くいた。
彼女にはそんな後悔は抱いて欲しくない。
だから、一番に言うべき言葉と模範的な行動は“今すぐ実行する”だった。
「分かりました。今、すぐにしましょう」
「うん、素直でよろしい」
アリシアはそう言いながら”空間収納”から木剣を取り出し、アルテシアに渡した。
「さぁ、どこからでも来なさい」
こうして、アルテシアとの稽古が日課となった。
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