聖典の解釈

 それから町に戻り、領主の屋敷に赴いた。

 最初こそ、門番に警戒されたがアルテシアの姿を見て事情を察してくれたらしく、すぐに警戒を解いて屋敷に入れてくれた。

 それからハーリとアルテシアは再会した。

 アルテシアは疲労が原因なのだろう。

 目を覚まさなかったが、ハーリは娘が無事な姿を見せて安堵した。

 アルテシアを近くのソファーに寝かせるとハーリは感謝の念を込めて口を開いた。




「本当にありがとう!君がいなければ、娘はどうなっていたか……」


「いえ、こちらも仕事でやった事ですから……」


「だとしても君には感謝しかない。わたしは神には感謝しないが、君には大いに感謝しても良い」




 軽く背信的な事を言っている気がしたが、気にしない事にした。

 この世界の神に感謝しない分にはアリシアにとっては寧ろ、好感が持てるからだ。




「それとこれが金貨100枚だ。受け取ってくれたまえ」




 ハーリは懐から革袋に入った金貨を差し出した。

 アリシアも中を確認して確かに100枚入っている事を確認した。




「確かに受領しました。では、わたしはこれで……」


「あぁ、ちょっと待ってくれ」




 アリシアが立ち上がろうとした時にハーリが引き留めた。




「まだ、何か?」


「いや、一応領主としてワイバーンがどうなったのか確認しておきたくてね。良ければ、話してくれないか?」




 言われてみればその通りだ。

 今回、ワイバーンの巣が拡大した事でこの事件が起きたのだ。

 領主としてワイバーンがどうなったのか確認する義務はある。




「そうですね。全滅には成功しました」




 アリシアは事のあらましを話した。

 洞窟にいたワイバーンは大方討伐し、最深部にいたドラゴンも討伐した。

 彼らの住処は戦いの衝撃で崩落しワイバーンの生き残りがいたとしても生き埋めになっているであろうという説明だ。




「そうか……全滅か。俄かには信じられないな」


「でしたら、討伐したドラゴンの鱗がありますが見ますか?」


「いや、良い。信じられない事ではあるが、君を疑っている訳ではない。だが、民を納得させる為にワイバーンとドラゴンの一部を後で出して貰えるとありがたいな」




 確実に討伐したという証が欲しいのだろう。

 ハーリはともかく、民は本当に討伐されたか確証が欲しいだろう。

 況して、アリシアは世間的には魔族だ。

 魔族が討伐したとなれば何かと疑われるのでやはり、証拠が必要なのだろう。




「ともあれ、これでしばらく、ワイバーンの脅威に晒される事がないだけ安泰か……」




 嬉しい話であるはずなのにハーリはどこか浮かない表情をしていた。




「その割に嬉しそうではないですね」


「まぁな……外側の敵は倒せても内側の敵の問題もあるからな」


「内側の敵?」


「そうだな。君とて無関係ではない話だから、愚痴を聞くつもりで聴いてくれ」




 そうして、ハーリは話した。

 ノーティス王国と言うより人間の国々では税金とは、別に“捧げもの”なる制度がある。

 これは偉大なる唯一神ベビダに捧げものを捧げる敬虔な儀式とされている。

 これを疎かにすると“異端”と認定され、処断される事がある。

 仮に事情があったとしてもそれは「神が見放されたから」と言う理由で一方的に殺戮を行うらしい。





「それ……かなり横暴だと思います」


「あぁ、横暴だとも。だからこそ、わたしは神を信じていないのだ。ただの俗悪人しか見えないからな。だが、彼らは聖典の教理を言い訳にその主張をぶつけるのだ」


「聖典にはそのように書かれているのですか?」


「いや、分からん」


「……分からないとは?」


「聖典の言語は神語と言う独自言語で書かれていてな。神官以外には何が書かれているか全く分からん。何が書かれているか問いただせばその場で“異端”として処刑される事もある」


「聖典に……神語ですか」


「あぁ、そして、間が悪い事に教会の徴収人がもうすぐ来る。だが、こちらはワイバーンの被害復興費の所為で予算が無くなりつつある。ここで教会の献金に応じれば、近い内に経営難になる。仮に応じなければ“異端”として町ごと滅ぼされるだろう」




 アリシアにはその言葉を聴いて心当たりがあった。

 地球で起きた歴史的な背景とよく似ている。

 16世紀ルター等の宗教革命が起きた時代、聖書はラテン語で記され、文字の読み書きができない者では読み取れないようになっていた。

 それを良い事に当時の教皇は好き勝手な教理を造り上げ、神の名を傘に着て自らの欲望を満たす事を日常的に行っていた。

 そして、聖書とは呼び名こそ違うが、あらゆる世界に存在するように罠を仕込んであるのだ。

 もし、その罠が起動しており、この世界のベビダ教に入り込んでいるなら……彼の問題を解決できるかも知れない。




「つかぬ事を聴きますがその聖典はこちらにありますか?」


「あぁ、一応、置いてあるが……」


「では、持って来て下さい」




 ハーリはそれを聴いて訝しんだが、ゆっくりと立ち上がり近くにあった本棚から本を取り出した。

 それが聖典らしい。

 ハーリはアリシアに手渡しアリシアは数ページほどめくった。

 そして、自分の予測が正しかった事を理解した。




「あぁ、ラテン語ですね」


「ラテン語?そこに書かれている神語の事かな?」


「えぇ、わたしの故郷で使われる古代言語です」




 アリシアの系図に属する神はかつて人類を救済する為に聖典を造った。

 それは同時に腐敗するであろう邪教を滅ぼす楔となるように仕込んだ言わば、トラップでもあった。

 故にトラップを造った本人であるアリシアにとって聖典を読み解くなど造作もない。


 そう言ってアリシアは分厚い本をめくり、あるページを開いた。

 それを机の上に出し、ハーリに見せた。

「もし、お悩みなら教会の人間には、ここの句節を引用して、わたしが求めているのは、あなたがた自身だからです。決して、財産は求めないと書かれています。これを言い訳に教会の献金は我々にとって負担です。ですが、あなた方は我々に負担をかけようとしている。これは聖典の教理に違反する異端であると反論できます」


「な、なるほど、しかし、神語は神官にしか分からない。徴収するその者達にそれを説明してもこちらが偽り者とされ、討伐されるのではないか?」


「その可能性はありますね。なら、この句節も使って下さい。相手が邪教徒であっても異端者であっても、我々が神の生徒であるなら、忍耐を以て、放置しなさい。人間から発した計画なら勝手に消え、神から出たものなら滅びるはずがない。間違っても神に逆らう者となってならないと書かれています。これを言い訳にわたしは神から聖典の解釈を直接聴いた。わたしの聖典の教理に基づきこれを主張している。嘘だと言うなら神語学者に確認しなさい。わたしに逆らう事であなた方が「異端」になるかもしれないぞ。あなた方は神に仕えているのか?それとも神官に仕えているのか?断言して証したらどうだ?神の御心を無視して神官に仕える事が立派な信仰かどうか、自分の心に聴きなさい」





 実際、問題として、教会も一枚岩ではないだろう。

 ルターのように宗派の腐敗を訴える者もいる。

 そう言った人間がラテン語を読み解き、主張が是である事を証すれば、少なくとも無暗に献金と称して人の足元を見て金を巻き上げる事を憚るだろうとアリシアは考えていた。

 後は適当な噂を流してタンムズが聖典とは違う神の律法に背いた偽りの主張をしているという噂を流すだけでも他の献金で苦しむ各領主達も正当な理由で献金を拒めるので教会の財源に歯止めをかける起因になるかも知れないとアリシアは考えた。




「なるほど、その作戦も悪くない。では、神語の解析役にはタンムズと仲が悪いルイター神官に証明して貰うとしようか」


「そうですね。対立している方に証明して貰った方が効率的です。サービスとしてこちらでもラテン語の翻訳文を作成しますけど、どうしますか?」


「ふん……それはいくらかかる?」


「ふぇ?無料で良いですよ?」


「はぁ?!」




 これにはハーリも驚き交じりに困惑した。





「いや、本当に無料にする気か?神語の翻訳書なんて売れば高値で売れる。それこそ一生遊んで暮らせる額になるだろう。それを溝に捨てると言うのか?」




 良くも悪くもハーリは領主である為、金銭的な損得に敏感でありアリシアの発言はまさに暴挙のように思えたのだ。

 だが、一方でアリシアの考えは別にあった。




「ですが、教会の理不尽な要求で苦しんでいる方が他にもいますよね?それは本来、あってはならない事です。わたしが多少損をして領民の生活が支えられるなら安い物でしょう?」




 アリシア自身、自分の考えは甘いように思えた。

 自分は人間と言うモノに裏切られた。

 ありとあらゆる世界の人間があの大戦で悪魔側に付きアリシアを迫害した。

 それはこの世界とて例外ではない。 

 なら、別に人間を見捨てても良いのだと思う。

 だが、どうしても……だとしても、彼女の本能的なモノがそれでも人間に慈しみと慈悲を向けてしまう事にアリシア自身が少し悩んでいた。

 もう少し冷徹になるべきではないかと少しばかり葛藤していた。

 だが、しかしそんな想いとは裏腹にハーリはその事に感嘆した。




(よもや、そんな高い志を持つ実際の行動に移そうとする者がいるとはな……彼女は魔族のように扱われて排斥されているというのに出会った事もない人間の為にそこまで動くと言うのか……わたしなら絶対に真似できないな。ベビダ教の名ばかりの聖職者とて真似はできまい。このような者こそ本当に聖女と呼ばれる人間なのかもしれないな)




 少なくとも常人的ではない。

 ハーリはガルスと言う冒険者がアリシアに対して悪害感情を抱いていた事を覚えている。

 あんな悪意を向けるような奴らを普通の人間なら「守る価値などない」とでも考えるだろう。

 組織とは個を全体として扱う。

 ガルスと言う領民の言葉が領全体の評価とされる事もある。

 況して、あの場にいた全員がアリシアに対して悪意を抱いていた。

 通常の人間ならこんな町の領民を捨てる選択をする。

 なのにアリシアはそれをしないのだ。

 彼女の実力なら報復行動を取っても可笑しくないのにだ。

 傍から見れば、これほど心の芯が強い人間は他にいないほど秀逸であり彼女と言う人間性が輝いてみる。


 ハーリにとってアリシア・アイと言う冒険者に対する評価が上方に補正された。

 そして、その補正も数日後にアリシアが約束通りにラテン語翻訳本をハーリに渡し、町の本屋でも出版した事でハーリの中では「有言実行性の高い極めて優秀な女」と言う評価に収まる事になった。

 本が出版された翌日、冒険者の受付嬢を経由してアリシアが町を離れる事がハーリの耳に留まり、即座に町を出ようとしたアリシアを引き留める事になったのはまた、別の話だ。

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