第41話 この世界の裏側で
魔族、というものがいる。
この世界の『魔族』とは種族を指すものではない。
嫉妬や恨み、妬み、悲しみ、怒り、悪意と云った負の感情と魔素が混ざり合って生まれた『何か』、あるいは魔界とこの世界の間に『穴』や『扉』が開き、そこから這い出してきた『何か』が、人や獣、時に魔物に憑依し、肉体や精神を支配したものが魔族と呼ばれる。
一方で、『魔物』とは単に魔力の許容量が種族的に大きいものを指し、本来、そこに善悪は関係しない。
ある意味で、エルフや妖精族、リュークの様なドラゴン族も魔物の一種と言える。現在は『冒険者法』によりエルフや妖精族は討伐対象から外されているものの、今でもドラゴン族を討伐の対象としている地域は多い。
とはいえ、魔物と魔族は、似て非なるものである。
しかし、膨大な魔力を持つ者が核になった場合、吸収できる『何か』の量も膨大となる。時にそれは周りの魔物や魔族をも取り込み、この世界を闇に染める程の強大な力を得ることがある。
それが、魔王だ。
魔族とは、『魔王の出来損ない』とも言える。
先の魔王が誕生したその頃、現在のレダコート国よりも遥か西のカチャフという小国に一人の男が生まれた。
彼はカチャフの西の端、アグという砂漠に暮らすアグ族の族長の息子として育った。
褐色の肌と尖った耳が特徴のアグ族は、生まれつき恵まれた魔力を持ち、長寿であることから『砂漠のエルフ』とも言われていた。
アグ族は、一族に特有の魔術で自然や動物たちを操ることができた。しかし、心優しい彼らは人間同士の争いから逃れるために、人が生きるには過酷な環境で生きることを選んだ。
そんな先祖の生き様を男は誇りに思い、男も50人ほどの少数民族であるアグ族を守るため、魔術や剣術を鍛える毎日を送っていた。
『ソレ』は、初めは小さなシミだった。
男は、空に小さなシミが浮かんでいるのを見つけた。鳥の影でも雲の影でもない。そのシミは、空にポツンとついていた。
そのシミが穴だと分かったのは、そこから幾万もの小さな蟲が這い出してきたからだ。
蟲達は、闇の様に砂漠を覆い、あっという間にアグ族の里を飲み込んだ。
男には、成す術がなかった。生まれたばかりの娘を抱え、妻の手を取り、助けを求める一族を見捨て、必死で逃げた。
逃げ場など、なかった。
気が付くと、手が軽くなっていた。
手首から先だけを残し、妻は消えていた。
尻の穴から脳天まで震えが走った。蟲が男と娘を襲う。
(蟲、じゃない)
それは、人の顔を持つ『何か』だった。
腕の中の娘が、泡の様に消えていく。
男は、吼えた。
『何か』は容赦なく男を襲う。
男は、『何か』で体中が満ちるのが分かった。
男は、『何か』が魔素で出来ていることに気が付いた。
(魔素ならば、取り込める……!)
男は、再び吼えた。
(妻を返せ 娘を返せ 仲間を返せ 私を返せ……!)
男は、内側から朽ち果てようとしている体を、魔力で満たした。『何か』が男を喰い尽くそうと暴れまわるが、アグ族の戦士としての矜持がそれを許さない。
突然全てを奪われた怒りが、男を支配する。
(魔素ならば、私に従え……!)
一族だけが使える、人を、動物を、魔をも従える、魔術の名を叫ぶ。
「……アグ・ロス……!!」
それは、『闇の檻』と呼ばれる禁呪だった。
―――男は、生き残った。
たった一人。砂だけになった、カチャフの国で。
男は失意のまま、他国を彷徨った。
そして、知る。
魔王が、力を得るため魔力の高い者を襲ったこと。
襲われた者は一瞬にして魔王の糧になったこと。
いくつかの国が、魔王により滅ぼされたこと。
そして、その魔王が討伐されたこと。
男は、仇を知ると同時に、仇がいないことを知った。
男は笑った。腹の底から笑った。
男に魔王の情報を教えた商人が「大丈夫か?」と声を掛けてきた。
(全部、奪ってやる)
男は、とっくに気が狂っていた。『何か』を取り込み過ぎた彼の心は、もう、まともな人間の物ではなかった。
笑ながら、男は商人に触れた。男が「アグ・ロス」と小さく呟くと、商人は体を引きつらせ、あっけなく死んだ。
男が魔法で商人の姿を借り、奴隷商人として地位を築くのに時間はかからなかった。
一言、呪文を囁くだけでいいのだから。
―――時は流れ、いつしか男自身が「アグロス」と呼ばれるようになった。
アグロスは、今日も歪に笑う。
体を満たす『何か』が、負の感情を求めている。
(あの半魔はすばらしい)
薄暗い屋敷の中で、ぶるっと、アグロスは身震いした。
(父が死んだと聞いた時の、彼の感情は美味しかった。『何か』と対極にあるはずの『精霊』が抱く憎しみや怒りなんて、何という贅沢であろうか……!)
だが、とアグロスは思う。
(最近、半魔の周りが騒がしい)
アグロスの中の『何か』が怯えている。何か自分の知らないことが、あの半魔の周りで起きている。
アグロスは、ゆっくりと立ち上がった。
(全部、奪わなくては)
『何か』を支配できるほどの魔力を持ちながら、『魔王』になれなかった魔族は、今日も、歪に笑う。
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