第37話 孤独な貴婦人

 王城に近い貴族の邸宅の離れで、女が一人、ため息をついていた。


 この屋敷の女主人カーミラ・エプスタインである。


 カーミラは王都から程遠い、地方の子爵家に生まれた。

 豊かな金髪とラピスラズリの瞳、白い肌に浮かぶバラ色の頬や小さな唇は30歳近いとは思えぬほど可憐であり、肉感的な肢体とのアンバランスさが彼女の魅力を一層引き立てていた。


 カーミラはその美貌からか、幼い頃から蝶よ花よと可愛がられ、実に無邪気で大らかな気質に育った。


 将来は1つ年上の伯爵家の長男に嫁ぐ予定だった。

 幼馴染であり、優しく、笑顔の素敵なこの青年に嫁ぐことを、カーミラは何よりも待ち望んでいた。


 愛する人と共に、バラよりも甘く美しい人生が待っていると信じていた15歳の春。

 カーミラは父に連れられて、王都で開かれた公爵家のパーティに出席した。


 王都も、大きなパーティも初めての経験であり、絵本の中でしか見たことのないような素敵な貴公子達に囲まれ、カーミラはすっかり舞い上がってしまった。


 次から次へと申し込まれるままに、疲れて倒れ込むまでカーミラは踊り続けた。カーミラが倒れると、周りの貴公子達は先を競って手を差し伸べた。


 まるで自分が本当に物語のお姫様になった気がして、カーミラは華の様な笑みを咲かせた。


―――それが、カーミラの人生が狂う始まりだった。


 カーミラは、公爵家の当主トラウスに見初められてしまったのだ。

 トラウス卿は40代半ばの、カーミラ曰く「小太りで冴えない」男だった。


 数年前に妻を亡くし、気落ちしていたところにカーミラが舞い降り、居ても立っても居られず求婚したのだという。


(冗談でしょう!?)


 カーミラの両親は大層喜んだが、愛しい婚約者のいるカーミラにとっては死刑宣告に等しいことだった。


 カーミラは泣いて嫌がったが、王家と連なる上位貴族に逆らえるはずもなく、あっけなく婚約は解消させられてしまう。それでも諦められなかったカーミラは、いっそ駆け落ちをと家を抜け出し、着の身着のまま元婚約者の元へと向かった。


 だが、待っていたのは相手の困惑しきった顔だった。


 あっさり駆け落ちを断られ、二度と会いたくないとまで言われ、失意のままカーミラは15歳で公爵家へ嫁いでいった。


 幸いなことに、夫となったトラウスは見た目はいまいちだが、優しく温厚な性格だった。無理やり娶った負い目からか、カーミラを腫れものに触る様に大事に扱った。


 3年後にはカーミラによく似た女の子を授かり、傍から見れば順風満帆に思えた。


 だが、カーミラの心が満たされることは無かった。

 幼い頃にカーミラが思い描いていた甘美な人生とは、かけ離れていたのだ。


 年の離れた冴えない夫。

 見知らぬ土地。

 他人行儀な使用人達。


 唯一の慰めだった娘も、夫の母と乳母に取り上げられてしまった。


 重い気持ちのまま、王都に嫁いできて5年程の月日が流れた。

 ある時、カーミラは貴族の奥方が集まるお茶会で、「流行の遊び」の噂を聞いた。

 美少年や美青年の奴隷を囲う、というカーミラの常識からは信じられない遊びだった。

 

(愛のない交わりなど、なんと汚らわしい)


 初めはそう思って眉を顰めていたカーミラだったが、奥様方が楽しそうに話す様子を見ている内に、ドキドキと胸が高鳴るのを感じるようになった。


 しかし、カーミラは王家に次ぐ公爵家の夫人である。


 はしたない、と、興味のない素振りをして、お茶会を乗り切るつもりだった。


 しかし、そんなカーミラの態度が気になったのか、一人の奥方が「悩みを聞いてもらうだけでも気持ちが軽くなるから、うちの子を試しに貸してあげる」と声をかけてきた。


 社交界でも有名な奥方の好意を断ることもできず……本当はカーミラの方が身分が上であり、断っても問題なかったのだが……カーミラは「そこまでおっしゃるなら」と、奴隷を呼ぶことにした。


 その結果。


 カーミラはその「遊び」にどっぷりと嵌ることになる。


 奥方が貸してくれた奴隷の男は、王子様のように優雅で、勇者様のようにたくましく、賢者様のように知的で、司祭様のように聞き上手だった。


 まさに夢に描いた物語の貴公子そのもので、カーミラは生まれて初めてトキメキというものを感じた。


 元婚約者の青年にも、今の夫にも感じたことのない感覚だった。カーミラは彼を喜ばせたくて、乞われるがままに服や宝石を与えた。彼が少年の様に笑う度、カーミラの心も少女の頃に戻った気分になった。


 だが、どれほど彼を欲しても、彼は奥方のモノ。


 約束の期限が来て、カーミラは泣く泣く彼を返した。


 あれほど愛し合ったはずの彼は、さよならも言わずに、あっさりと帰って行った。


―――カーミラの心は、以前にもまして空っぽになった。


 それからだ。

 カーミラは、あのトキメキをもう一度感じたくて、奴隷を買い始めた。


 アグロスとかいう奴隷商人はとても気の利く男で、様々なタイプの異なる奴隷を準備してきた。定番であるエルフは元より、少年のように可愛らしい男や、「たまにはどうでしょう」と、趣向を変えてドワーフのように逞しい男や、白髪交じりの渋い殿方を連れてくることもあった。


 アグロスの奴隷達は、どれも皆、魅力的だった。


 夫はカーミラの「お買い物」に気が付いているようだったが、何も言わなかった。むしろ、それで気が紛れるのならばと、出資するほどであった。


―――そうして、カーミラはどんどん深みに嵌っていった。


 時には「美しい男がいる」と聞くと、アグロスを呼びだし、その話をする。


 すると不思議なことに、美男達は数か月後には借金奴隷や犯罪奴隷としてカーミラの前に現れるのだ。


 飽きたら借金奴隷は解放、犯罪奴隷は他の奥方に譲った。


 悪いことをしている、とは分かっていた。


 だが、罪悪感はない。

 今の不幸せは、全て夫のせいなのだから。


(……寂しいですわ)


 もう、どれくらいの殿方と知り合ったか忘れてしまった。

 だが、あの時のトキメキを感じることは一度もなかった。


(今度の方はどうかしら)


 アグロスが、今までで一番妖しく美しい、と言っていた。もう二度と手に入らない貴重な奴隷だと。


(ああ、どんな殿方かしら。今度こそ……私を満たしてくださいませ)


 孤独な貴婦人は、まだ見ぬ幸せを夢見て、そっと目を閉じた。

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