第35話 シェード家にて

「お前には、まだ早いと思う」

「……はい?」


 父の前触れの無い言葉に、サラは目を丸くした。



 ユーティスが優雅に去った後、サラは自室で転移の練習をすることにした。


 近距離から始めて、部屋の端から端まで移動できるようになるまでに、さほど時間はかからなかった。幼い頃からイメージトレーニングだけは毎日欠かさずやっておいた成果である。


 思い切って壁を越え、隣の部屋まで転移してみると、アマネとシユウが『サラ様と王子ゴッコ』をしている最中だった。


「ブヒブヒブヒ……!」

「ふふ、可憐だ」

「ブヒー!」

「こういうことって、こういうことかい?」

「ブーヒヒー!」

「まるで、天使」

「ちょおっと待ったあ!」


 サラが来たことに動じもせず、ごっこ遊びを続ける二人にサラはキレた。


「何やってるの!? 特にアマネ!? なんで私、豚なの!?」

「オークです」

「どっちでもええわ!」


 思わず関西弁で突っ込んだ。この二人は、いい意味でも、悪い意味でも、サラを特別扱いする気がないらしい。


「それよりお嬢様、先ほど旦那様がお呼びでしたよ? 書斎に来るようにと」


 しれっと大事なことをシユウが告げる。


「早く言ってくれる!? 急いで着替えなきゃ。手伝って!」

「「はーい」」

「アマネだけ! シユウは出てけーっ!」


 サラは吠えた。


 そんなやり取りがあって、サラは部屋着から目上の者との面会用に作っておいた衣装に着替え、足早に父の待つ書斎に赴いた。息が切れている。


(アマネとシユウの相手、疲れるっ!)


 サラはしばらくドア前で呼吸を整えると、額の汗を拭った。


 父に会うのは、馬車で別れた時以来だ。

 先ほどまでの息切れとは違う、動悸が激しく胸を打った。


(大丈夫、大丈夫)


 以前、落ち込んだサラにシズが「ゴルド様がサラ様と話せて喜んでいらっしゃった」と教えてくれた。本当かどうかは分からない。シズの作り話かもしれない。


 でも嫌われてはいない、と今は信じる。


(大丈夫。今日は、ちゃんと話をしなくちゃ)


 ロイをあの地下牢から助けるには、奴隷として買い取る方法が一番安全で確実だった。


 しかし、サラには資金がない。奴隷がいくらで売買されているのか見当もつかないが、サラの手持ちで買えないことは確実だろう。相手は、異国の王族なのだから。


 正直なところ、伯爵家の財力でも難しいとサラは思っている。そもそも、庶子の我がままに大金を使う貴族がいるだろうか。


 希望は薄い。でも、ロイのために出来ることは何でもしよう、とサラは覚悟を決めていた。


 サラは下っ腹に力を入れると、良く通る声で中に呼びかけた。


「お父様。サラでございます。お呼びでしょうか」

「入れ」


 間髪入れず、父から返答があった。心拍数が上昇する。


 カチャッと音がして、ドアが開いた。執事のハインツが内側から開けてくれた。


「ありがとう」


 気持ちを落ち着けるために、わざと笑顔を作って、サラは部屋へ踏み込んだ。


 父は机に片肘をつき、顎を乗せて待っていた。


 そして2カ月ぶりに顔を合せた娘へ向けて放った第一声が、冒頭の「まだ早い」である。


「まだ早い、とは?」


 サラは首を傾げた。

 ゴルドの後ろに立つハインツに目を向けると、ハインツは軽く目を伏せて首を横に振った。ハインツにも何のことか分からないのだろう。


(何のことだろう)


 頭を思い切り捻ってみて、ふと、考えが過った。


(ロイのことついて、お父様はシズから報告を受けているのかも……!)


 この国で、奴隷を買うことが出来るのは成人のみだ。15歳が成人なので、10歳のサラには確かに早いといえる。

 合点がいった。ならば話が早い。


「『彼』のことでしょうか?」

「そうだ」


(やっぱり!)


 サラは姿勢を正し、父の整った顔を凝視した。


「確かに、私にはまだ早いと思います。ですが、どうしても彼が欲しいのです」


 がたんっ、と、ゴルドの肘が机から落ちた。平静を装っているが、明らかに父が動揺しているのが分かる。当然だ、とサラは思う。幼い娘が、奴隷の、しかも男を欲しがるのだから。


「何故だ。会うのは昨日が初めてなのだろう? なぜそこまで」

「運命です!」


 父の声を遮るように、サラは吠えた。無礼だとは思ったが、ここは勝負所だ。


「彼の目を見た瞬間、運命を感じました。私は、どうしても彼を助けたいのです!」


 父の手は震えている。壊れるのではないかというほど、ガタガタと机が揺れている。ブルブルとハインツも震えている。


「それほどまで……!」


 血反吐を吐きそうな声で呻きながら、ゴルドはサラを睨んだ。サラもゴルドを睨み返す。


(負けるわけにはいかない……!)


「お前には覚悟があるのか?」

「あります! ですから、こうしてお父様の前に立っているのです!」

「どれほど危険なことか、分かっているのか!?」

「分かりません!」


 サラは正直に答えた。握りしめた拳に爪が食い込む。


「どれほど危険なことなのか、どれほど、お父様やシェード家に迷惑をかけるのか、まだ分かりません! ですが、ですが私は……!」

「それほどまでに、お前は……!」


 感極まって涙をこぼす娘の絶叫に、父の咆哮が重なる。


「あの奴隷が欲しいのです!」

「王妃になりたいのか!?」


「…………え?」

「…………ん?」


 二人は仲良く首を傾げた。


「あの、お父様。……何の話をしていらっしゃいました?」


 恐る恐る、サラは尋ねた。


「……ユーティス第一王子の話だが」


(そっちかあああ!)


 誤解だった。


 サラは思わず頭を抱えた。穴があったら入りたい。もう、いっそ転移したい。


「今日、ユーティス第一王子がお前を訪ねて来たと聞いた。バラの花束を抱えて『運命の女性に会えた喜びに……乾杯!』と言っていたとハインツが……奴隷?」

「はわわわわわわ」


 色んな意味で動揺しすぎて、サラは思考がまとまらない。涙はとっくに引っ込んだ。


「奴隷とは何だ? お前こそ、何の話をしていたのだ? 運命? 助ける? 王妃になって王を助けたいという意味ではなかったのか? ……ん? 奴隷が欲しい? 何だ? 俺がおかしいのか? ハインツ、水をくれ」


 ゴルドも相当動揺している。ガタガタと、ハインツが手渡したグラスの水を頭からかぶっている。


「お、おお父様……!」


 サラは何とか気持ちを奮い立たせた。


「ユーティス様はどうでもいいのですが」

「どうでもいいのか!?」

「奴隷が欲しいのは本当です」

「…………」


 ピタリ、とゴルドは固まった。いや、平常心に戻ったのだ。


 水の滴る髪を気にも留めず、ゴルドは一点を見つめて思考している。


 サラは、ゴルドの言葉を待った。


「『彼』、と言ったな」

「はい」

「何者だ?」


 ゴルドの薄紫色の瞳がサラの紺色の瞳を捉える。サラはゴクリと唾を飲み込んだ。父の威圧感に、サラの足は震えている。


(でも……!)


 父を説得出来ねば、どちらにせよ、ロイを助けることは出来ない。


「彼は、『半魔』です」


 父の身が強張るのが分かった。


「彼は奴隷商人に捕らえられ、地下牢に繋がれています。このままでは、異国に売られ、暗殺者にされてしまいます。彼を待つのは、死、です」

「…………」

「私は、彼を助けたいのです」

「…………それは」


 父はしばらく考えていたが、ゆっくりと口を開いた。


「お前の『記憶』と関係があるのか?」


 サラが『記憶持ち』であることは周知の事実だ。


「はい」


 とサラは答えた。ゴルドが何を思って言った言葉かは分からないが、間違いではない。


「そうか」


 ゴルドはサラから目を逸らした。


「分かった。詳細はシズから聞く。……もう、寝なさい」

「…………はい」


 それ以上、父が口を開くつもりがないことを悟り、失礼いたします、と告げてカーテシーをすると、サラは書斎を出た。


 心臓が静かに高鳴っている。


 上手くいったかは分からない。でも、言いたいことは言った。分かった、と言ってもらえた。


「ロイ。待ってて」


 サラは月に向かって呟いた。



 サラが去った後、ゴルドはテスを呼んだ。横からハインツがタオルを差し出してくる。


 どうやらいつの間にか髪が濡れていたらしい。記憶にない。


 音もなく、テスが目前に現れた。テスは遠くから、父娘のやり取りを聞いていた。


「いかがなさいますか? 旦那様」

「サラが、半魔を助けたいと言っていた。『記憶』に関係していると」


 ゴルドはサラの『記憶』の主が異世界の老婆だとは知らない。ゴルドもテスも、サラの『記憶』は聖女の物だと疑っていなかった。


 『聖女の記憶に関係する者』


 それはつまり、魔王討伐に関係する者だ。


 それほどの者が、奴隷として捉えられ、異国に売られようとしている。


「まずいな」

「はい。聖女が従者に望むほどの者ならば、名だたる賢者や魔術師の生まれ変わりかもしれません。それを失うことは世界の損失です」

「ああ」


 ゴルドはテスを見据えた。


「情報が欲しい。その男と奴隷商人のことを調べろ。売りに出されたら話をつける」

「御意」


 武器屋とシェード家。


 ゲームでは全く関わりのなかった二つの勢力が、ロイ救出に向けて動き出した。


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