第26話 とある青年の日記

 これは、誰にも見せるつもりのない私だけの日記だ。

 胸に秘めただけでは、耐えられそうにない。思ったことをありのままに綴ろう。


 …………


 〇月〇日


 フロイアが消えた。


 父上とはもう2年以上も音信不通だ。父に連れ去られた可能性は低い。

 妻との間に、また何かあったのだろうか。

 ああ。いっそのこと、君を連れて逃げてしまいたい。

 ああ。フロイア。どこへ行ったのだ。フロイア。フロイア。愛しい人。


 …………


 〇月〇日


 フロイアが見つかるかもしれない。


 今日は縋る思いで父上の元を訪ねた。悔しいが、父上とフロイアの間には奴隷契約が生きている。幸い、契約を行った奴隷商人がこの町に滞在しているらしい。

 こんな奴らの手を借りねばならないとは…………。


 すまない。フロイア。それでも私は、君に会いたいのだ。


 …………


 〇月〇日


 フロイアが死んだ!


 父上が魔物の子を産んだと言った。卑しい女だと罵った。

 馬鹿な! 彼女が望んで魔物と通じるはずはない。

 ああ。すまないフロイア。

 君は、私に迷惑がかかるのを嫌って、一人で産む気だったのだろう?

 気付いてやれなかった。すまない、すまない!

 君が産んだ子ならば、私は自分の子として育てるつもりだ。例えそれが魔物であっても。

 これは、君を一人にしてしまった、私の罰だ。


 …………


 〇月〇日


 フロイア。君の子を、私の奴隷にした。


 父上の奴隷にだけは、する訳にはいかなかったのだ。許してほしい。

 奴隷商人が、魔力は魔術で封じたと言っていた。

 良く分からないが、魔物のように人を襲う心配はないらしい。

 そんなことよりも、父上に奪われる前に、どこかに隠さなければ。


 …………


 〇月〇日


 フロイアから名をとって、ロイと名付けた。


 魔物にとって、名前は魂を縛る重要なものだと誰かが言っていた。

 だからこの名は、私とこの子だけのものだ。誰にも話すつもりはない。

 確か、教会に耳が聞こえず、口が利けない者がいたはずだ。世話はその者に任せよう。

 ちょうどいい。

 明るい場所を嫌うので、教会の地下室で育てればよい。

 父上もまさか、魔物を教会で育てているとは思うまい。


 …………


 〇月〇日


 ロイの成長が早い。


 まだ1月も経たぬというのに、髪が生えそろった。

 暗くてはっきりとは分からないが、カラスの様に真っ黒な髪と瞳だ。

 私を見ると這うように近づき、服を引っ張るようになった。

 夜しか会いに来られないというのに、懐いたというのだろうか。

 抱き上げると、嬉しそうに笑う。可愛い顔だ。フロイアに良く似ている。


 いつかこの子を外に出してやれる日がくるのだろうか。


 …………


 〇月〇日


 フロイア。大変だ。


 今日は帰ろうとすると、指を掴まれた。

 ほとんど泣かぬ子だというのに、わんわんと泣かれた。困った。

 寝るまで父が付いているから泣くでない、と何度も言いきかせた。


 …………


 〇月〇日


 フロイア! ロイが喋った!


 私を見て「ちち」と言った。きっと私が言った言葉を覚えていたのだ。賢い子だ。


 …………


 〇月〇日


 ロイが1歳になった。


 フロイア、君が亡くなったのが昨日のことのようだ。私はまだ、君を失ったことを後悔している。君に会いたい。君を愛したい。気が狂いそうだ。

 ああ。でもね、フロイア。今日は良いことがあったよ。

 君を思い出して泣いていたら、ロイが言ったんだ。

「ぼくがついてるから、なかないで。ちちうえ」って。君に似て、優しい子だ。


 …………


 〇月〇日


 ロイは左利きだ。私と同じだ。


 暗いから今まで気が付かなかったが、耳の後ろにほくろがある。私と同じだ!

 そういえば、耳の形や口元は私に似ている気がする。

 フロイア。この子は私の子だ。そうに違いない。


 …………


 〇月〇日


 ロイが2歳になった。


 見た目は5歳くらいだろうか。読み書きも出来るようになった。不思議なことに暗闇でも文字が良く見えるらしい。私がいない間にも、与えた本を片っ端から読んでいるようだ。

 とても賢い。最近は、外の世界に興味があるらしい。当たり前だ。何とかしてやれないものか。


 …………


 〇月〇日


 ロイを庶子として認知できないものだろうか。


 私は貴族だ。隠し子がいても不思議ではない。

 ロイはとても2歳には見えない。誰もあの時の子とは思わないのではないか? 

 いや、駄目だ。万が一、魔力が暴走したらどうするのだ。

 しかも成長が早すぎる。成長が止まるまでは、表に出すわけにはいかない。


 すまない。もうしばらく我慢してくれ。愛しい子よ。


 …………


 〇月〇日


 聞いてくれ、フロイア!


 ロイは魔物ではないかもしれない。

 今日、年老いた旅のエルフが、私から精霊の匂いがすると言ったのだ。


 精霊‼


 考えたこともなかった。

 私は思い切って、精霊と人から子が生まれることがあるか聞いてみた。

 エルフが言うには、精霊が木々に宿るように、人間の中に宿ることがあるらしい。

 ああ!

 きっと、君との子を望んだ私の願いを、精霊が叶えてくれたに違いない。


 フロイア。フロイア。フロイア。やはりロイは、私たちの子だ!


 …………


 〇月〇日


 奴隷商人に会った。


 あの子の魔力を封じる魔術は、年々効果が弱まるらしい。

 かけ直すと言われたが、私は必要ないと断った。

 精霊ならば、そもそも人に危害を加えない。もう、封じる必要はないのだ。

 私はロイを、陽の光の下で育てたいと思っている。


 奴隷商人には、理由は言ってない。縁を切る良い機会だ。


 …………


 〇月〇日


 再び、奴隷商人と会った。


 魔力が暴走すると、本当に危険なのだと訴えられた。

 断れば、私とあの子の奴隷契約を切ると言われた。

 それは駄目だ! 

 ロイはフロイアによく似た美しい子供だ。父上が放っておく訳がない。

 私は一か八か、あの子には精霊が宿っているかもしれないと説明した。

 これからは魔術師として育てていくつもりだと訴えた。

 奴はしばらく考えていたが、「ならば様子を見ましょう」と納得してくれたようだった。

 父上にも黙っていてくれるそうだ。


 助かった! ロイ、私たちはずっと一緒だ。


 …………


 〇月〇日






 騙された。




 ロイがいない。




 ロイの世話をしていた者も殺されていた。




 あの男がロイを攫ったに違いない。初めから、父上に売るつもりだったのだ。




 ふざけるな。ロイは私の子だ。私とフロイアの子だ。




 誰にも渡すものか。




 待っていろ。ロイ。




 父が必ず助けに行く。






(日記はここで終わっている)


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