第25話 それぞれの夜 2
一方、王都の中心に位置する王城の一室で、第一王子ユーティスはため息をついていた。
ユーティスは、今年で10歳になるレダコート王国の王太子である。
今日は「王となる者は市井の生活を知っておくことも必要」と思い立ち、数人の護衛を付けて街に出てみた。初めての、お忍びである。
もっとも、街の人々には正体がバレバレで、皆「王子?」「王子だろ」「王子に違いない」「絶対王子」「一周回って王女」などと思い、誰も目を合わそうとしなかったので、市井の生活とやらが感じられたかどうかは不明である。
ついでに、ユーティスは、最近何かと噂になっている『S会』とやらも探っておきたかった。
『S会』のメンバーと噂されるパン屋に行くと、食べたことも見たことも無い様々なパンが並び、どれも衝撃的な美味しさで、危うく優雅さを忘れるところだった。
どこでレシピを手に入れたのかと問う王子に、それまで下を見ていた色白の店主は顔を上げ、真っ直ぐに目をみて「それはたとえ王様にも言えません」と答えた。
そういえば、とユーティスは唇に手を当て、くすり、と笑う。
(真っ直ぐに目を見て、と言えば、あの子は可愛かったな。サラと呼ばれていたか。彼女には運命のようなものを感じる……)
薄桃色の軽やかな髪に、夜空の様な瞳。透き通るような声は、小鳥のさえずりのようで心地よかった。また会いたいと、本気で思った。
「思い出し笑いをすると、鬼が現れて、鼻フックするそうですよ」
どこから現れたのか、本気なのか冗談なのか判断に困ることを言いながら、友である茶髪の少年が隣に座った。パルマだ。英雄レダスの生まれ変わりであり、宰相の息子でもあるパルマは、王太子の護衛兼相談役として育てられたのだった。
「……それは、地味に嫌だな。お前の一族に伝わる話か?」
「いえ、今思いつきました」
「……そうか。適当だな……」
ユーティスにとって、パルマは唯一心を許せる相手だ。だが同時に、パルマがユーティスのことを只の王子としか認識していないことも知っており、寂しさも感じている。
ゲーム内では語られることが無かったため、サラはパルマが『記憶持ち』であることを知らない。
当然、英雄レダスの生まれ変わりで、レダコート国が生まれる前からこの地を守り続けてきた『梟』と呼ばれる一族の一員でもあることなど知る由もない。
『梟』の祖は、神話の時代に魔王と戦ったエルフの子孫だ。
かつてこの地が『魔』に飲まれそうになった際、巨大な梟に乗ってこの地に降り立ち、強大な魔術で人々を救ったと伝説に残されている。その彼が、謝礼として王族が差し出した金銀財宝ではなく、王女を望み、愛し合った結果生まれたのが『梟』の一族だ。
現在、梟はレダコート国の象徴であり、エンブレムにも使用されている。
遠い先祖がエルフとはいえ、パルマの見た目は人間と変わらない。ただ『レダスの記憶持ち』に現れるエメラルド色の瞳だけが、先祖の面影を宿していた。
―――パルマにはもう一つ重大な秘密があるのだが、今はまだ誰にも言うべきではないと、パルマは口を閉ざしている。
「ところで、街で会ったお嬢様の身元、気になります?」
「知っているのか!?」
「友達なんで」
「は? なんだと?」
ユーティスは形の良い目を見開いて、身を乗り出した。
「ゴルド・シェード伯爵家の庶子で、我々と同い年です」
「ゴルド伯爵の娘? ただの平民には見えなかったが、まさか、伯爵令嬢とは……」
(伯爵令嬢が、何故、あんなところに……?)
ユーティスは眉をひそめた。
ユーティスが今回、視察に東の市場を選んだのは、この国で一番大きな市であることと、奴隷市が立つから、という理由であった。
市場の裏手に国でも有数の奴隷商の屋敷があり、ユーティスはそこを視察したかったのだ。将来この国を治める者として、我が国の奴隷たちがどのように売買されているのか、人権は守られているのか、等、知っておきたかった。
一貴族のふりをして奴隷商人の屋敷に行くと、あいにく主人は他の客の相手をしているとのことで、用意された控室でしばし待つことになった。
暇つぶしに屋台を見てみようと外に出た際、視界の端に、見知った少女が屋敷の裏に回るのが見えた。
止めるパルマを振り切り、ユーティスは少女を追いかけた。黒フードの男から『サラ』と呼ばれていた少女が、壊れた壁の隙間から屋敷に入るのが見えた。自分も続くべきか悩んでいると、見張りをしていたパルマから、前の客が帰ったと知らせを受けた。
ユーティスは急いで控室に戻った。
屋敷の主人に見つかったら、サラは只では済まない気がしたのだ。
ユーティスは『借金奴隷』を買いに来た客のふりをして、出来るだけ主人をこの場に引き留めようと心に決めた。
主人は笑ってはいたが、細い目には深い闇が落ち、油断のならない男だとユーティスは感じた。幸い、サラの侵入には気付いていないようだった。
その後、しばらく主人と話をし、一通り奴隷達を物色していた際、ユーティスの代わりにサラの後を追っていたパルマから「もう大丈夫」というサインをもらって王城に戻った。
そうして、現在に至る。
(それにしてもパルマが見たと言った奴隷の男とサラ嬢。そして、サラ嬢と転移魔法で消えた黒い男。一体、この国で何が起きている……?)
ユーティスは水色がかった銀髪を掻き上げた。
自分の与り知らぬところで、何か大きなものが蠢いている気がして、ユーティスは背筋が寒くなった。
横を向くと、パルマのエメラルドの瞳と視線が合った。ユーティスが頷くと、パルマもゆっくりと頷き返した。
今日は収穫の多い一日だった。
若い王子の人生を変えるほどに。
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