第14話 聖女とエルフとドラゴンと

「君、それテイムされたんじゃない?」

「……は?」


 再会の翌日。


 リュークとリーンは武器屋のカウンターを挟んで、椅子に座った状態で向かい合っていた。昨日は久しぶりの再会ということもあり、お互いの近況や世界の動きについて情報交換を行うだけに留まったため、サラについては翌日に持ち越したのだ。


 サラを雇った経緯についてあらましを聞いた後、一息ついてリーンが放った一言にリュークは顔をしかめた。


「テイム? 新商品か?」

「何の!?」

「パンの」

「なんでパンなの!? 君、認めたくないからって、現実逃避すごいね。テイムだよ、『魔物を手懐ける』って意味のテイムだよ」

「うわああああ! やめろおおおお!」


 リュークはカウンターに頭を打ち付けた。


 この世界の住人にとって「テイム」やそれを行う術者を示す「テイマー」という言葉は、ごく一般的なものだ。もちろん、リュークが知らないはずはない。むしろ、リューク自体数多くの魔獣や魔物を従えるテイマーである。


「君、半分ドラゴンじゃない?」

「ドラゴンをテイムするとか、聞いたことないぞ」

「何言ってるんだい? 君のお母様はお父様をテイムなさったじゃないか」

「あれはテイムだったのか!?」


 衝撃の事実を突き付けられ、リュークは呆然とする。


「俺は、『テイムの子』だったのか」

「何それ!」


 リーンは朗らかに笑った。


「……まあ、落ち着きなよ」


 くすくすと笑いながら、リーンはリュークの空いたカップに紅茶を注いだ。ぶつぶつと思い詰めた様子で何かを呟いていたリュークだったが、紅茶の香りで、はたと我に返った。


「そう言えば、食べさせたいものがある」

「え? 何だい? 僕、グルメだよ?」


 分かっている、と呟きながら、リュークは空間魔法で『白い生地にミルクジャムを重ね、表面に薄桃色の塩をトッピングした』パンを取り出した。通称『星降るミルクパン』と呼ばれるベーカリー『ジムの家』の主力商品だ。ちなみに、サラは決してパン職人のことを「ジムおじさん」とは呼ばない。サラ曰く「パンが喋りだす」とのことだが、リュークにはさっぱり意味が分からなかった。愛と勇気が足りないのだろうか。


 焼きたての、甘い香りが武器屋に漂う。


「パン? 悪いけど、僕パンは苦手なんだよね」

「知っている。だからこそ、食べて欲しい」


 リュークはパンを手渡すと、じっとリーンを見つめた。今は他に客がいないので、リュークはフードを上げている。その瞳孔が縦長に伸びているのを認めて、リーンは諦めたようにため息をついた。瞳孔が縦になる時は、リュークが真剣な証拠だ。


「えー。じゃあ、一口だけだよ?」


 不服そうにしながらも、面倒見の良いエルフは白いパンを様々な方向から眺めた後、くんくんと匂いを嗅いだ。


「ん、匂いはいいね。見た目も美しい。これは僕の故郷の塩だね? 中々いいチョイスだ」


 まずは匂いや外観を褒めながら、リーンはパンを小さく千切り、口に運んだ。


「! 何これ!」


 かっ、と目を見開き驚くリーンに、リュークがニヤリと笑う。


「くっくっく、それを食べし者は皆、同じ反応をする」

「え? 嘘。これ、美味しいよ!? しばらく食べない内に、パンって進化したの!? いや、これはもう、革命だよ!」

「はっはっは! 『美味しいパンに妥協はない。起こせ、食の革命を!』それが我らの合言葉! お前にも、この偉業が分かったようだな!」


 『我が意を得たり』と、リュークが立ち上がって勝ち誇る。


「怖っ! 君のテンション、怖っ! でも、これは本当に凄いよ。パン生地がしっかりと膨らんでいて、柔らかい。なのに口に含んでも適度な弾力があって、噛めば噛むほど小麦の甘さが感じられる。これは一体、どんな酵母を使っているんだい!?」

「……コウ……ボ……???」


 リュークの瞳孔が丸くなる。


「あ、そこは知らないんだ……」


 すとん、と無言で腰を下ろしたリュークに、「なんか、ごめん」とリーンは謝った。


 しばらく、モグモグとパンを食べる咀嚼音と、いじけたリュークが金貨を数える音だけが狭い店内に響いた。


「それにしても」


 最後の一口を食べ終え、紅茶をすすったリーンが沈黙を破る様に口を開く。


「サラちゃんは特別みたいだね」

「特別?」


 金貨に飽きたのか、爪を切り始めていたリュークが顔を上げた。


「うん。今まで何人もの聖女に会ってきたけれど、あの子ほど自分の役目を意識して生きていた娘はいなかった」

「単に『記憶持ち』だからではないのか? 以前、魔王討伐に関わった者の記憶があるなら、早いうちから力をつけようとするのは当然ではないのか?」

「僕も最初はそう思ったけど……君、当然『鑑定』はしたよね?」

「ああ。職業柄、会う人間は全て『鑑定』するようにしている。子供とは思えない魔力量に、すでに初級の精霊魔法と空間魔法を習得していたことに驚いた。まあ、『記憶持ち』なら有り得ない話ではないと判断したが……」

「そこだよ」


 リーンはティーカップをカウンターに置くと、姿勢を正し、エメラルドの瞳でリュークの紅い瞳を見つめた。


「いいかい? 僕は、歴代の全ての聖女を知っている。今まで何人か『記憶持ち』の聖女もいたけれど、彼女たちは皆、治癒魔法と聖魔法を優先して習得していた。当然だよね? 治癒魔法は聖女が最も得意とする分野だし、魔族に一番効果的な魔法は聖魔法なんだから」


 リュークの瞳が、再び縦に伸びた。


「サラは回復系と聖魔法は習得していない。……自分が聖女であることを知らないのか?」

「いや。僕が『自分の役目を意識して』と言ったのはそこだ。彼女は自分が聖女であることを知っていて、あえて低威力の魔法しか覚えていないのだと思うよ。彼女は最初から、大魔法狙いで魔力を貯めているんじゃないかい? そう……それこそ、一人で魔王を倒せるくらいの」

「一人で、魔王を……!?」


 そんな馬鹿な、と否定しようとしたリュークだったが、あることに思い当たり、眉を寄せた。


「……確かに、サラがうちに通っているのも『伝説の装備が欲しいから』だと言っていたが……」


 リュークの言葉に、「へえ?」とリーンが眉を上げる。


「どうしてサラちゃんが『伝説の装備』を君が持っていることを知っているんだい? あれは、女神セレナが最初の聖女マリエールに授けて、彼女が亡くなった後は僕が預かり、君に託したものだ。その後、この世に出たことはなかったはず。サラちゃんはマリエールの生まれ変わりなのかな?」

「それは……ないと思う」


 リュークは爪を切っていたナイフをカウンターに置くと、両手を組んだ。その瞳は、少しだけ寂しげだった。


「『記憶持ち』の聖女だと気付いて傍に置いて見守ってきたが、あの子の持っている『記憶』は、どの聖女のものでも無いと思う。あの子は本当に俺がドラゴンであることを知らなかった。共に魔王を封じてきた聖女達なら、知っているはずだ。ましてや、母なら、知らぬはずはない」


 最初の聖女マリエールは、リーンのかつての仲間であり、リュークの母である。

 リーンは少し、残念そうな顔をした。


「そうか、君が言うなら間違いないだろうね。マリエールなら、今度こそ僕の花嫁にと思ったんだけど」

「やめてくれ! 俺の母だぞ!?」

「冗談だよ! 半分ね……しかし、聖女以外の記憶を持つ聖女、か。……彼女が僕の、探し人ならいいな」

「リーン?」


 少し遠い目をして独り言を呟いたリーンを、リュークが心配そうに見つめている。その視線に気付き、リーンは「そんな顔しないでよ」と微笑んだ。


「とにかく、聖女の誕生は、同時に魔王の復活の兆しでもある。魔王が完全に目覚めるのがいつになるかは分からないけど、僕たちも準備しないとね?」

「ああ。それに、まだ確定ではないが、今回は勇者も目覚めているらしい」

「げ。あの胡散臭いやつ? あの子達、僕がせっかく封じた魔王をわざわざ起こして倒したりするから、嫌いなんだよね。しかも、中途半端に倒すから結局その何年後かに封じなおさなきゃいけなくて、大迷惑なんだよね? 魔王を完全に消滅させることなんて出来ないから、僕が頑張って封じてるのにさ。君、勇者に会ったら消しといて?」

「できるか! いや、物理的には可能だが、倫理的に大問題だ」

「だーよねー。安心して。冗談だから」

「半分本気だろ? だが、上手くいけば、今回は魔王を長く封じ込めておくことが出来るかもしれない」

「そうだねえ……」


 はあ、とリーンは頭を押さえた。


「100年ぶりの魔王討伐、にぎやかになりそうだねぇ」


 昼下がりの王都に、エルフのため息がこぼれた。

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