第10話 ノルンの聖女
ゴルド・シェード伯爵は1年の半分を領地の本邸で過ごし、残り半分を王都の別邸で過ごす生活をかれこれ30年近く続けている。
いつものように、別邸の書斎で領地から送られてきた書類に目を通していると、不意に、パチパチと小さな音がして、ゴルドの目の前の空間にビー玉ほどの小さな穴があいた。
転移魔法だ。
「テスか」
「はい、旦那様」
小さな穴から吐き出されるように、一人の黒装束の初老の男がゴルドの前に降り立った。ゴルドの配下、テスである。白髪の交じる黒髪に深い茶色の瞳を持つテスは、日本人であったマシロが想像した忍者の姿に良く似ていた。
「ノルン地方の様子は?」
「はい。旦那様の予想通り、魔物の被害がこの2年で急激に増えているようです。それまでが、他の地域より格段に少なかった、というだけで、増えたといっても他所に比べれば大した数ではないのですが」
「そうか。やはりな」
ゴルドは形のよい眉を寄せた。
ゴルド・シェード伯爵領の端に、ノルン地方はある。その中心にあるのがサラが生まれ育ったノルンの町だ。
レダコート王国の端ということもあり、ノルン地方は昔から他国との紛争や魔物からの被害が多い地域だった。
国もノルン地方の重要性は認識しており、文武に秀でるばかりでなく、魔術師を多く輩出してきたシェード家にこの地を与え、国防の要の一つとしてきた。問題の多い地域ではあったが、気候は良く、豊かな土壌で栽培される香りのよい甘い小麦や果物は、シェード家にとっては大事な財源であった。そのため、ゴルドも先代達に倣い、ノルン地方の守りに力を注いできた。大きな被害が出た約40年前に起きた隣国サリワリルとの戦争の際、不可侵条約が交わされてからは互いの干渉を受けずに治安を維持できてはいるが、魔物の被害は依然として多く、たびたび小さな村が半壊する事件が起こっていた。
そんな魔物の被害が、ある年を境に激減した。
それにゴルドが気が付いたのは2年前だ。
当時のゴルドは、建国100年の歴史をまとめる仕事の一環で、各地の税収の増減や犯罪や事故、魔物などの被害状況をまとめる仕事をしていた。
王宮に保管されている国中の資料を報告書の書かれた年と大まかな地域別に分け、魔物の被害数を書き出していた際、ふと、自分の所領であるノルン地方の数字の変化に違和感を感じた。
この世界では「グラフを描く」という概念が確立されていなかったが、この違和感を明確にしたいと考えたゴルドは、数値を絵にすることを試みた。
まず、横辺が長い長方形の紙の下から数センチ上の部分に、一本の長い横線を描いた。そこに均等に100個点を打ち、点の下に左から右に報告書の年を書き込んだ。次に、横線の左端から真っ直ぐ上に向かって縦線を引き、均等に10個の点を打った。その左横に、下から10、20、30……100の数字を書き込む。更に、それぞれの点から初めの横線と水平になるように10本の横線を引いた。
ゴルドはこの下絵に、赤いインクで点を打っていった。
(レダコート国歴1年、被害数36。2年、68。20年、91。21年、93……88年、76。89年、79。90年、77。91年、76。92年、54。93年、36。94年、26。95年、18。96年、15。97年、17。98年、15。99年、14。100年、16)
ふう、とゴルドは一つ息をつくと、左から順にこの赤点を線で繋いでいった。
横軸は年、縦軸は被害数を表すグラフの完成である。
(これは……すごいな)
ゴルドは眉をひそめた。
赤い線は被害数の増減を顕著に表していた。
(最初の2年が少ないのは、報告体制が整っておらず、報告数自体が少ないためだろう。3年目から20年ほどは90から100件で推移。その後徐々に減っているのは魔物に対する対策が整ってきたからか。そこからは多少の増減はあるが、91年までは年間80近い被害が出ている。刮目すべきは92年。54……急激に減った。更に減り続け、ここ数年は15件程度か)
とん、とん、とん。と、ゴルドは92年の点を指で叩いた。
92年、ノルン。
(まさかな)
ゴルドは、はやる気持ちを抑えテスを呼んだ。
テスにやり方を教え、二人きりでノルンから離れた2つの地域と王都、そしてノルンを含む自分の治める領土全体について同じようにグラフを作成した。
ノルンから離れた地域と王都のグラフは、91年まではノルンと同じような傾向を示し、その後も横ばい状態であった。
しかし、ノルンを含むシェード家の領土については、92年から明らかに右肩下がりの折れ線を示していた。
これは、ある事実を示している。
「魔物の発生が、減っていますね」
「ああ」
シェード家の領土全体の被害数が92年以降も横ばいであったなら、ノルン地方の魔物が何らかの理由で別の地域に移動したとも考えられた。しかし、ノルンでの減少をそのまま反映するように、その数は減っている。これは、魔物の発生自体が減ったことを意味していた。
そして、この現象はほかの地域では見られていない。
ゴルドもテスも、レダコート王国が建つはるか古よりの言い伝えを思い出していた。
『聖女の御霊が魔界の扉を塞ぐ』
「旦那様、ご指示を」
「このことは、誰にも漏らすな。幸い、あの年はノルンに魔術師を配置した年だ。ノルンの者たちは魔物が減ったのは魔術師のおかげだと思っているだろう。が、冒険者の中には別の可能性に気づいている者がいるかもしれん。この現象が続けば噂が広まるのは時間の問題だ」
ゴルドは、ノルン地方のグラフを握りしめると、魔法で灰にした。
「急ぎ、ノルンへ向かう」
「御意」
こうして、サラは王都に連れてこられたのだった。
―――聖女であることを隠すために。
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