第9話 お父さんとお父様
配下の者にゲスオを託し、自宅へ向かう馬車の中、サラは父であるゴルド伯爵と向かい合わせに座っていた。
父とこうして向かい合うのは、2年ぶり……ノルンの街から王都へと向かう道中以来だった。
あの時のサラはまだ自分がマシロだったことを知らず、只々祖父母との別れた寂しさと、これからの人生への不安で俯いていたため、父の顔などほとんど見ていなかった。
そのため、朧げにしか記憶に残っていなかったが、こうしてみると、意外に父が若いことが分かる。少なくとも、生前のマシロよりずっと若い。40代前半……もしかすると30代後半かもしれない。グレイの髪に薄紫色の瞳が落ち着いた印象を与えていた。背が高くがっちりとした体躯、うっすらと体を覆う魔力から、父はそうとう強いのではないかとサラは思った。
2年前のあの時は、憎くて、怖くて、逃げ出したくて仕方なかった父が、今は何となく印象が違って見える。サラが少し大人になったからだろうか。マシロとして覚醒した後だからだろうか。
(この人は、悪い人ではないのかもしれない)
母を捨て、祖父母を奴隷に落とすとサラを脅した最低な男だという評価は、今も変わらない。ゲームのサラなら、助けてもらった状況でも許すことが出来ないでいただろう。しかし、マシロとして第三者の視点で物事をとらえることのできる今のサラは、この父のことをもう少し知りたいと思い始めていた。
先ほどゲスオを剣や魔法ではなく、素手で殴り飛ばした姿をちょっぴり「かっこいい」と思ってしまったせいかもしれないし、「うちの娘」と言ってもらえたせいかもしれない。
「……どうした?」
無言のままじっと自分を見つめる娘の視線が気になったのか、憮然とした表情でゴルドはサラを見た。
「いえ、お父様、男前だなと思って」
「ぶぼっ!」
無表情のまま口元だけむせるという一瞬の芸当を見せた後、何事もなかったかのような表情でゴルドは口をつぐんだ。
自分の不用意な発言のせいとは言え、父の意外な一面を見てサラは目を瞬かせた。
バツが悪いのか、ゴルドはサラから視線を外し、窓の外を見た。
サラはほんわりと胸の奥が熱くなるのを感じ、父に初めての笑顔を向けた。
「先ほどは助けていただき、ありがとうございました」
馬車の中なので立ち上がっての礼は出来なかったが、貴族の令嬢らしく、サラはスカートを軽く掴んで優雅に頭を下げた。
「む」
窓を見たまま、ゴルドは小さく頷いた。
「礼は言えるようだな」
「当然です! これでも、貴族のご令嬢の端くれのゴミくずのホコリくらいの自覚はあります」
「令嬢修行が必要なようだな」
「言葉が過ぎました。申し訳なく存じます」
お父様が可愛かったので、ついつい調子に乗ってしまいました、とは口が裂けても言えない。
「なぜ、あんなところにいた?」
じっ、と目を細めながら、ゴルドが訊問するかのように低い声で訊ねた。
顔がとんでもなく怖いが、「もしかしたらこれが父の素なのかもしれない、ここで怯んでだまったら、もう話す機会がないかもしれない」と自らを説得し、サラは背筋を伸ばした。
「いつもは大通りしか歩きません。今日は考え事をしていて、自分がどこを歩いているのか全く意識できていませんでした」
「そうか……たまたま馬車で通りかかったら、お前がブツブツ言いながら路地に入っていくのが見えてな……。自分が貴族のご令嬢の端くれのゴミくずのホコリくらいの存在だと自覚しているなら行動に注意しろ。お前にとっては今更かもしれんが」
「はい」
と同意してから、サラはふと、父の言葉に違和感を感じた。
「……お父様、私が今まで何をしていたのかご存じだったのですか?」
「……配下の者から報告は聞いている。色々やっているそうだな」
(ばれてる!)
サーッと血の気が引くのを感じた。
今まで全く無関心だと思っていたため、父が自分のことを知っていることにサラは驚愕した。配下、と聞いてサラの頭に浮かんだのは天井裏に潜む忍者のイメージだった。だとすると、サラのこの2年間の黒歴史のほとんどがばれているに違いない。
(指摘される前に自分から反省アピールをしなくては!)
ガバッと、サラは前のめりの姿勢になった。
「色々、とは、『お姉さまの黒焦げの服がおしゃれ』とおねだりされたので、エイミーのドレスに片っ端から火をつけた件でしょうか。それとも、『オークの餌にしてやる』と言われたので『手本を見せてください』と言って、お兄様をオークの檻に突き落とした件でしょうか。それとも『美味しそうなお食事ね?』と羨ましがられたので『味見なさいます?』といって少々臭いのきついざんぱ……お食事をお母さまのお口に入れた件でしょうか!?」
「何をやってるのだ、お前はっ!」
(ばれてなかった!)
「では、何の件でしょうか!?」
「……先日、ノルンの近くの村がゴブリンの大群に襲われた。幸い、村には多くの冒険者が滞在していたため村人への被害はごくわずかであったと聞く。負傷した冒険者達も、たまたま村に大量にあったポーションのおかげで皆無事だそうだ」
「そう……ですか!」
ぱっと顔を輝かせ、ほっと息をついたサラの表情をゴルドは見逃さなかった。
「いつ、分かった」
「? 何のことでしょうか」
「最近増えてきたとはいえ、ノルンの近くは国の中でも魔物が少ない地域だ。冒険者への依頼は少ない。たまたまゴブリンが大量発生したタイミングで、多くの冒険者とポーションが小さな村に集まっていたとは考えられん」
「……何故私にそのようなことをお訊ねになるのですか?」
「とぼけるのか……いや、良い。これ以上は、やめておこう。今日は、な」
ゴルドの顔が怖い。
背筋に寒いものを感じて、サラは慌てて言い訳をしようとした。
「お父様」
「着いたぞ。降りろ」
サラが何かを言いかける前に、ゴルドは馬車を降り、振り返りもせずに立ち去った。
(失敗、してしまったの?)
父の背中を見ながら、ふと、亡くなったマシロの父を思い出した。
昭和の男らしく、無口で頑固な性質だった。マシロは仕事第一で家庭を顧みない父が苦手だった。
ただ、一度だけ打ち解ける機会があった。
マシロが高校生の時、父が病に倒れた。末期の肝癌だった。
看病に疲れ体調を崩した母の代わりに、初めて父の病室を訪れたマシロに、父が「高校を卒業したらどうするのか」と尋ねてきたのだ。それまで父と話した記憶のなかったマシロは、たったそれだけの父の言葉に委縮し、何も返せなかった。無言で俯く娘に、父は「言いたくないなら、言わなくていい。だが、何があっても困らないように、しっかり生きなさい」と告げた。初めてかけられた父からの言葉に、マシロは小さく「はい」と応えた。
その晩、父は息を引き取った。
父との会話は、あれが最初で最後だった。
苦しかったはずなのに、父の死に顔は穏やかだった。
最後の最後に、歩み寄ろうとしてくれた父を、マシロは沈黙という方法で拒んでしまった。父の声が思っていたよりも力強く、まさかその日に逝ってしまうとは思ってもみなかったのだ。打ち解けるチャンスは、当然のようにまた巡ってくるだろうと思っていた。
(私、お父さん似だったんだな)
そんなことも、知らなかった。
冷たくなった父の前で、マシロは生まれて初めて、父を想って泣いた。泣きつかれて眠るまで、母と弟がずっと抱きしめてくれていた。
何十年経っても、マシロはあの時の後悔を忘れることが出来ない。
一人残された馬車の中で、サラはしばらく動けずにいた。
「お嬢様、旦那様とご一緒でしたか。どうぞ、お手を」
初老の執事・ハインツが馬車から降りるのを手助けしてくれ、部屋まで手を引いてくれたことさえ理解できないほど、サラの頭の中は父のことでいっぱいになっていた。
(せっかく歩み寄ろうとしてくれてたのに、嘘をついて失望させてしまった?)
つい1時間ほど前までは何とも思っていなかった今世の父と前世の父が重なる。
サラはひどい脱力感に見舞われ、そのまま冷たいベッドに倒れ込んだ。
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